私は小学童の頃に祖母を亡くしました。彼女はとても、愉快な女性であり、我が血統において、拾われてきた人間なのでは無いのかという程に、珍しく愉快な人間でした。私の母親も世界をまたに掛けた冒険家ですので、嫁いできた女は所謂、反抗心として愉快に振舞っているのでは無いのだろうかと考えたこともありました。何しろ私も特に父親に対しては、どこか反抗心というか対抗心というか、まぁ父親が嫌いでしたので、やはり母や祖母からの影響力というものはあったのだと思います。母と父の仲に関してはそこまで考えたことはありませんが、所謂亭主関白でありながらも自分の愛した女には、少しばかりの優しさを持ち合わせていたのでは無いのでしょうか。話がだいぶ逸れましたが、彼女、私の祖母は私の理解者のひとりであったと、思っています。祖母は私の考えや、発想を否定することはなく、褒めてくれました。所謂褒めて伸ばすタイプなのかと。しかしまぁ、祖母の考えとしては、まだ幼い子供なのだから、好きな遊びをやらせとけば良いという考えかもしれません。私は他人の子供とズレたような趣味や、遊びを好んでいた訳ではありません。寧ろ、他人の子と遊ぶのはとても楽しいことでした。ですが、私の周りには全くと言っていいほど、友達がいませんでした。いえ、最初のうちは、いたのかも知れません、寧ろ、段々と私の内面の恐ろしさを知って、離れていってしまったのかもしれません。ですが私は、自分の趣味嗜好、そして、自分の考え方や感性は、何ひとつとして間違っているのと思った事はありませんでした。寧ろ、少し自分たちの感性と違っているくらいで、人間関係を絶ってしまう愚かな、人間とは関わりたくないと思っていました。多少の強がりに聞こえるかもしれませんが、やはり自分中心に、世界が回っている方が、気持ちよく、自分らしくいられるのでは無いかと思うのです。その自己中心的な世界のおかげで、この奇っ怪なものに出会ったのかもしれませんが、また後ほど話します。私の趣味の話に戻りますが、私は虫取りが好きでしたので、よく元友達(その当時は友達だと思っていた)と町外れにある、森や林までよく行って、兜虫なんかを捕まえたりしていました。よく、兜虫か鍬形虫、どちらの方が格好がいいかなどと、話をしていました。ですが、私はどちらとも好きでした。何より、頭の角の部分が子供なりに、なんとも機械仕掛けっぽく、家族で見に行った、映画のロボットのような格好の良さを感じました。それは子供ながらに、やはり子供の心を燻られるような、真似事をして遊びたくなるような、所謂厨二病のようなものが芽生えていたのかもしれません。私は吉という友達が昆虫の標本を、作っていましたのでそこで良く、兜虫や、鍬形虫の標本を見してもらっていました。私はそこで機嫌を良くし、私もああいった本を作って、自室で見てみたいものだと考えました。なんせ、他人の子の家で、昆虫の標本を何時間も、眺めるほどキモの座った、子供ではなかったからです。私は、家に帰るなり、自室の襖の中から、兜虫や、鍬形虫の入っている、箱をだし、土の中に埋まっている、兜虫や、鍬形虫を何匹か取り出し、母の裁縫道具から裁縫針を取り出し、仕留めました。まあ、これは標本を作る際に、一般的に行われるものなのですが、私は、仕留めた虫の頭をもぎ取り、学舎の用事で使うノートに貼り付けました。本来なら虫を暖房機かなんかで乾燥させたうえで標本にするのですが、所謂、子供の見様見真似でしたし、私は興奮でそれどころではありませんでした。勿論こんなところを家族のだれかに見られたら(いくら祖母でも見られたくない)たまったものではありません。ですがその日は兄姉たちはそれぞれの用事で家にはいませんでしたしわたしは、所謂、特別日課ということで、早めの帰宅でしたので、家には誰もいませんでした。それゆえに家の中には大時計の音と硬い甲殻を針で刺す不気味な音がやけに大きく響いていました。十分くらい経ち、私はついに自分だけの(とはいっても母の私物を使ってはいますが)標本を手に入れました。私はえらくこの標本に対して、ご機嫌になりました。他人の親に早めの帰宅をせかされることもなく、まじまじといつまでも眺めていられる、所謂、自分だけの楽園といいますか、自らの出資で開いた喫茶店を好き勝手にできる、、、例えるならこうでしょう。私はこの不気味な頭だけの甲虫の標本を、誰かに見せたくてたまりませんでした。今思えばそんな不気味でバイオレンスなものは見せない方がよかったと思います。私は吉に、お手製のバイオレンス標本を見せに行くことにしました。学舎から帰宅してそのままの格好で標本を作っていましたから、支度はすぐに済みました。玄関に向かい、靴を履こうとしゃがみ込むと、玄関の畳石がさらに黒くなるのを見て私はハッと標本を作っていた部屋に戻り、頭のもげた甲虫らの胴体を必死に片づけました。私は変な子供(当時、ほんの多少なりとも、自ら理解していた)でしたが、これ以上誰かに不気味扱いされるのは嫌でした(何も好きで一人でいるわけではないのです)。この瞬間、所謂、とてつもない恐怖心や孤独感がみぞおちの当たりを楊枝みたいに細く鋭いものでつつかれているのを感じました。やがて帰ってきた当人の声と足音が聞こえてきました。その澄んだ妖艶な声は我が家の女中の七子でした。彼女は父がどこからともなく拾ってきたのですが、そのとき父はとてつもないほど酔っており、所謂、キャバクラのようなところから連れてきたのであろう、と思うほどに化粧の濃い美人でした。母や祖母はてっきり反対するものかと思ってはいましたが、金持ちゆえの感覚といいますか、あっさりと七子が女中になることを許してしまったのです(私ら子供たちは大喜びでした)。彼女は家にある用事を母や祖母に代わるようになりました、夕飯などは母や祖母とともに作ったりしてくれました(何しろ人数が多かったものですし、なにより母や祖母が優しい性格であったので女一人に背負わせることはしたくなかったのだと思います)。それからさらに彼女は子供たちにすごく優しくしてくれました。特に私には最上の愛情を注いでくれていたという風に勝手に思っていました。所謂、私は彼女に惚れていました(年の差は目算で十くらい離れていたでしょう)。「京さん、なにをそんなに勢い立てているのです?」私は、今まで以上にないほどの思考の回転力を発揮しました。「それは、天井の上から甲虫の胴死骸が降ってきたもので、だけど私はこれから友の吉と用事があるものですから、放っておこうと思ったのです。そこに七子が帰って来たものだから、これは目に簪を刺すくらいには、女にはさぞ心地の悪いものだろうと、急いで片付けようと思ったのです。」私は何が何だかわからずに、まるで辞書の文字を意味も分からずに次々と継ぎ接ぎに読み上げるかのように話していました。七子は、その妖艶な顔をきょとんとさせて床畳に転がっている、甲虫の胴死骸を見つめました。私は、七子があまりにも珍しく喋らない(七子は母たちのように愉快な性格ではありませんでしたが、積極的に話をかけてくれる人でした)ものですから、人間だったらあられもないマッパを広げた(赤面する顔はありませんが)甲虫にひどく怯えて、所謂、開いた口が塞がらない状態なのかと思っていました。ですが、七子はその妖艶な顔を私に向けて、微笑みを掛けてきました。これは、私の方が驚きました。七子は胴死骸を拾い上げました(その時に見えた胸元に私はくぎ付けでした)。「これは、私が片付けておきます。私、田舎育ちで、虫は幼なじみなんですよ。京さんはお友達とのお約束に急いでください。」そこで、私は、少し気分をよくして、冗談を言って見せました。「嗚呼、私はてっきり、七子があまりにもしゃべらないものだから、体中の血液が冷たくなってしまったよ。」今思えば、七子は薄々と否、はっきりと甲虫の死骸の原因は、私であることに気づいていたのかもしれない、ですが、惚れている女と話すということは、所謂、恋は盲目というものであり、都合の悪いものは見えないものなのです。私は先ほどから興奮状態(七子の胸元を見てしまったため)にありました。幾ら女中とはいえ、一つ屋根の下暮らしているとはいえ、ずっと慣れないもので、所謂、喉元にずっと刃物を突きつけられている緊張感がありました。ですが、幾らその刃物が喉元にあったとしても、それが実際に使われることがなければ、いつしか慣れてしまい、終われてしまうので、私はその刃物を好んで突きつけられている、所謂、恋マゾでした(これは世のほとんどの人がそうだと思っています)。話を戻すと、七子は私の行った所業を、黙っているつもりで、それどころかその凄惨な事件現場の処理を請け負ってくれていたのです。また話はそれますが、私の顔は同い年や兄姉に比べてはるかに整っており、姉や母(たまに祖母や七子)に女用のおめかしをさせられて、所謂、着せ替え人形のように遊ばれていました(その当時、今も、まんざらでもなかった)。おかげで小学童というには、所謂、月と鼈のように、ですがこれはほかの子供にこの話をすれば、どちらが鼈なんだという、しょうのない話になりかねない。丸く収めるなら、私は、とてもませていた、野猥でエロティックな子供でした。いかんせん、世の女というのは、顔がよければその正体が、醜い悪臭のする狼であっても、ホイホイとその口の中に入っていってしまうのです。つまりは各方面の女から大変に好意を向けられるような子供でした。風が吹かない草原の枯草のように動かない私の、艶やかな肌を、鋭くとがったもしくは、棒菓子のように軽く歯を食い込ませれば折れてしまうような七子の指が、触れて私はハッとしました。「一刻も早く片付けといてくれ。」なんて偉そうに言ってるのか、夜枕に向かって叫びたくなるような、恥ずかしい思いをしました。嗚呼、自分はなんて欲張りなんだと、友達が欲しければ、美人な嫁が欲しいなどと、いつも私は、こんな時、神様は目を凝らして、傲慢な私に罰を与えてくるのではないかと、私は平然を装って透かして見せたのが、失敗の元でした。今ここにきて私は、吉のことを思い出し、家を飛び出しました。吉の家は私の家から生えている、電柱線をたどっていけば走って二十分くらいのところで、大変面倒くさいくらいの距離にあり、公運車は走ってはいましたが、そんな駄賃はなく、乗って降りたとしても、そこからさらに、五分くらいかかるので、私はいつも走っていました。ただ今は標本を鞄に入れているので、ガチャガチャと揺らすわけにもいかず、それほど意味もなく、走っては標本の状態を確認しては走り、を繰り返してようやっと、吉の家に着いたのです。時間は昼の十三時過ぎくらいだったでしょうか、吉の家からは何やら、腹の虫を叩き起こす、飯の匂いがゆらゆらと寄ってきました。「吉、私も標本を作ったんだぜひ見てくれないかな。」「飯時に、虫を見る気は起きないよ。とりあえず上がってきてくれ。」そうか、私も飯を食いながら標本を作ろうと考えていれば、あんな凄惨な甲虫の死骸本を作ってはいなかっただろう。私は、飯の香りがするところまでよそよそと足をすり歩きして、障子戸の隙間からひょこっと吉に顔を見せてみるのでした。「まあ、座れよ。」と、吉が少し笑いながら箸で自分の向かいを指しました。吉は湯気の立ったお粥にたくあんを乗せたものをくっていました。「それは自分で作った粥か?」私は大層、感心した様子で聞きました。「大人はみんな家にいないから、どうせなら腹をすかして待つのはもったいないと、余っていた冷や飯で作ったんだ。」吉は自分の好奇心を高らかに見せつける事もなく、淡々と話してくれました。吉は大変大人びたような子供でした、所謂、優等生と言えるような子供で、私とは違い、老若男女問わず、「彼は凄い子供だ。将来は帝学にいくような子だ。」などとはやし立てられるような子供でした。私も、勉学は多少の才があり、検紙などでは、同年の子供より、頭は回っていました。ですが、私のどろどろとした祟りのような一面は、教師たちには見抜かれていましたので、ほめてくれることはなく、私はいつも母や七子、一番は祖母に見せびらかしに行くのでした。祖母は決まって、「京はそっちの血を濃く引いたのね」と祖母の旦那、つまり私の祖父の血統が濃いのだと話すのでした。私はあまりそれが好きではないのでしたが、さらにひどいときは、「能秀たかひで(私の父親)に似たのね。」と、言ってくれるものですから、内心、涙と鼻水を垂らしつつも、我慢して祖母の手を握るのでした。吉はお粥をかつかつとかき込むと、台所に食器を持っていき、水につけて、「先に私の部屋に行っておいでよ。」と、言うので、私は慣れたように、吉の部屋にするすると向かっていくのでした。学舎では整理整頓が行き届いても以外にも、吉の部屋は散らかっており、やはり優等生は演じているものだと、所謂、生まれながらに人は平等であるところで、この世は生まれながらに生きづらくなっているわけではなく、自らが外面のために、それを、演じているものだと思うのでした。「ついに、京も作ったのか。母が京を家に帰すのはいつも忍びないと嘆いていたから、これは丁度いいな。」吉は台所から持ってきた干し柿を加えながら、話しまた、もう片方の干し柿を、私に差し出すのでした。「どれ、見せてみてよ。」

 私はついに来たかと、鞄にしまってあった、学舎ノートを取り出し、子供の好奇心という恐れしらずの恐怖心の蓋を、開いて見せるのでした。吉は少し肩をびくつかせながら、その、禍禍しく、黒くてかる、甲虫の頭を、見つめていました。「京、急いできたのか、胴が取れてしまっているよ。でも糊剤でつけて乾燥させれば、心配ないよ。」吉の顔は恐怖の顔に、憐みの顔を混ぜたような、所謂、苦笑いをしていました。「私は甲虫の頭がなんとも洗練されて、かっこいいといつも思っていたんだ。だから、頭を集めて作ったんだ。だから、心配いらないよ。」吉の顔がさらに引きつっていくのが目に見えてわかりました。ですが、私は、それが吉の、私に対する、嫌悪の表情とは分からずに、「飼っていた、甲虫の頭を切って、作ったんだ。」血液の循環がわからなくなるくらいに、ぐるぐると動いているのを感じながら、私は、その自らの不気味さを披露して見せました。「気味が悪いものを持ってくるな!」吉は、手に持っていた、干し柿の硬い蔕を私に思い切り投げつけました。私はそれまで吉に、抱いていた思いが、所謂、卓袱台返しのように、ひっくり返り、そこで、今まで私が吉に抱いていた憧れは、私の妬みであることに気づきました(もしくは、今まで私の中にあった不満が、吉への妬みに昇華された)。彼と同じことをすれば、友人が増え、大人たち(教師たち)も、私を認めてくれると、考えていたのです。今思うと、この考えもまた、自分を縛っている、悪い習慣だったと思います(この経験は後々に活きてきますが)。私は蔕の当たった額を、痛みがなくなるように強く引っ掻いて、立ち上がり、吉に掴みかかりました。私は、尻尾を踏まれて起こった虎猫のように怒っていました。ですが、どこかで吉に、「きっとこいつは、自分の非を認めて、頭を下げてくる。」などと、考えていました。所謂、友との諍いの末に、太い幹のように友情が育つという、いかにも作ったような、青春劇ができると思っていたのです。ですが、吉は、私を思い切り強く、突き放して、「早く出ていけ!こんなところ、母や父に見られたら、僕が困るんだ。」嗚呼、なるほど、こんなおかしな子供と友人だと思われては、普段の立派な外壁は、豆腐のようになってしまうと、そういうことだろうと思いました。私は、言うことを聞かざるを得なかった、それは当然、この家の住人の言うことは聞かなくてはならないし、何しろ、とてつもないほどの、重苦しい空気に、私は、若干の、衝撃を受けました。ここで米国の、宇宙飛行士が訓練したら、きっといい訓練になるだろう。私は、標本を鞄に突っ込んで、吉の隣を通り過ぎました。この時も私は、かなりの恐怖心を植え付けられました。いったいどんな顔をして通り過ぎればよいのか、なにしろ、こんなことは滅多にないことですから、ここで私の中二心が育つのを感じました。嗚呼、これはこれからも、思考の片隅に残り、将来の嫁と諍いが起これば、きっと、このことを思い出し、恥ずかしくなって、それどころではなくなるのだろう、そして、嫁に、「真面目に喧嘩して!」などと言われようものなら、体中から血液が噴出して、胃の中の蛙がゲコゲコと泣き出すのです。ここで小学童の私は、友人を失くすのでした。家につくと、庭先に水を撒いていた、七子が私によってきて、「おでこから血が、、、。」などと、なんとも美しい顔で言うものですから、私は、今回ばかりは、猫に化けて、七子のみぞおちあたりに、顔をうずめて、額の血を、着物に塗りたくり、ニャーニャーと泣くのでした。七子は、私の頭をなでたり、髪の毛を手櫛しながら、「可愛い坊やは、いったいどうして泣いているの。」と、歌を歌うように囁くので、私は、先ほどの話を、してみせると、私は、これはしまったと、内心、冷静になり、それでも、泣き続け、惚れた女に泣きつくのでした。七子は、「ふふ、かわいそうに。私がついていますからね。」と、言ってくれるのでした。七子はまた、自分の妖艶な顔を、私の顔に近づけて、私の頬に、その桃色の艶やかな、唇を当てるのでした。それから、私は、兄や姉、母などから、額のでかいガーゼの訳を聞かれても、「昼寝をしていて、便所に行きたくて起き上がったら、卓袱台の下まで寝転がっており、その時にぶつけた。」などと、言ってみれば、皆に大笑いされ、軽く頭をポンポンとなでられ、可愛がられるのでした。その日は夕飯時に、祖母の姿は見えず、帰ってきたのは、風呂から上がった時のことでした、祖母にもまた、額の傷の訳を聞かれると、私は、また、涙をこみ上げさせて、祖母の余所行きの服に、顔をうずめて、七子と同様に、吉の家であったことを話すのでした。その夜、私は祖母の部屋に行き、また慰めてもらいに行くのでした。「おばあちゃんも甲虫は好きだよ、昔はよく、捕まえたもんさぁ。」祖母の優しい声に、心地よくなり、私は、祖母の肩を叩き始めるのでした。「ありがとうねぇ。」祖母は、皴の寄った、かわいらしい笑顔を私に、向けてしてくれました。そして、「京ちゃんは、あっちの血が濃くて頭がいいからね、自分の思うようにやったらいいさぁ。」またこのお決まりの言葉を言うものだから、私は、胸の鼓動が少し早くなるのを感じました。そして、私は祖母を痛くするつもりで、祖母の肩を、ドスっと少し強めに二回、叩きました。この話から間もなく、私が四年生を終えて、五年生になった春頃、私の祖母は亡くなりました。原因は、階段から躓いた拍子に、転げ落ち、すぐに医者を呼べば助かったものの、その日は誰もおらずに、一人ぼっちで逝ってしまいました。亡くなる前、祖母は「京ちゃんの、中学服の姿が、みてみたいねぇ。」などと言うものですから、私は、「私のお嫁さんも、見てよ。」などと、甘え、てっきり長生きするものだと思っていました。そして祖母はこの時ばかりは、「京ちゃんは、おばあちゃんや、美恵子(私の母)に似て、優しいからねぇ。」私は、このことを、お通夜の時に何度も、思い出し、紙に書きだしたりして、親戚の前でみっともなく泣いていました。すると、父が私の首根っこを掴んで、「泣くなら、外で泣け。」と、私を、夜の外へと締め出しました。この時ほど、父を恨めしく、憎たらしく思ったことはありませんでした。するとそれを見ていた、兄姉や、母、七子たちは隠れて泣くのでした。そして、子供たちで「やっぱり、父は、人間じゃない」と、文句を言いあうのでした。お通夜も終わり、

私は、母に家に上げてもらい、風呂にも入らずに寝てしまいした。その夜、私の心の中に、一つの黒く光る、星のようなものが、私の世界に落ちてくるのを感じました。それは靄がかかっており、どこか馴染むような感覚がして、私はそれを心の手でつかむのでした。それは、低く響くような声で「ボクトトモダチニナッテ。」と言いました。するとそれは、私を大きく包み込み、私はまた深い、眠りにつくのでした。これが、とあるものに(未だに理解していない)、出会ったきっかけでした。


「ひとりぼっちの流れ星 弐」 終

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ひとりぼっちの流れ星 天島 常理 @Amashima191

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