優しい時間

「うふっ」


 優斗の口から抑えきれない喜悦が漏れる。


「できた……」


 与えられた自室の床で、人生初の腕立て伏せを成功させた彼は、異世界を訪れて何度目か分からない歓喜に震えていた。


「できたよ皆……先生……僕、できた。皆と同じで……できたんだ」


「失礼します優斗様。お茶をお持ちしました」


「は、はい! ありがとうございます!」


 一人で感動していた優斗だが、扉の外から聞こえた声に反応して慌てて立ち上がり、控えめに入って来たアイリスとネヴァを出迎えた。


「あら? どうされました?」


 しかし顔が赤くなっていたのは隠せず、可愛らしく首を傾げたアイリスに尋ねられてしまった。


「腕立て伏せをやってたんですが……」


「腕立て伏せ……こうですか?」


「あ、そうですそうです」


 説明をしようとした優斗だったが、異世界に腕立て伏せという概念があるのかと疑問を覚え言葉が途切れた。しかし、アイリスが肘を曲げてまさに腕立て伏せの動作をすると、勢いよく頷いた。


「その、ここに来る前はかなり体が弱くて、同じ年齢の人達がしていても僕はずっと見ているだけだったんです。僕もそれは仕方ないことだと思ってました……でも……でも……」


 優斗は言葉に詰まり鼻が少々赤くなっているが、ヒマワリの様な満面の笑みを浮かべる。


 体が弱かった優斗は学校での体育の授業は見学だった。教師から見た優斗は負荷の高い運動をするとどうなるか分からず、あらゆる意味でリスクを招きかねないなため仕方ないことだろう。


 しかし授業は授業であり教師は見学と言う形で参加させたのが、それは他の同級生が元気に動き回っている姿を見続けるだけの時間だ。


 なにかしらの体調不良なら次の体育で参加すればいいだけの話だが、優斗はその次が存在せず結局その命を終えてしまった。


 だが今は違う。その輪に入ることこそできないが、優斗は普通……と言うには若干語弊がある肉体となり、見ているだけだった行為を実体験することができるようになった。


「あ、勿論いきなりなんでもできるだなんて思っていませんから、無理はしませんよ」


 話のついでに優斗は、無理な運動をしないと口にする。


 これにはアイリスとネヴァも安堵した。あくまでこのテーマパークは適度な娯楽を提供するものであり、無理な運動で体を壊すのは趣旨から外れてしまう。


「優斗様、よろしかったら一緒にお茶を楽しみませんか?」


「あ、はい。分かりました」


 話が一息ついたと判断したアイリスが提案すると、優斗は特に難しいことを考えず頷いた。


 通常、王女が個室で男とお茶を楽しむなどあり得ない話だが、優斗は断る理由がないと言う簡単な発想しか持たなかった。


「ブルー王国の紅茶は他国でも知られているんですよ」


「紅茶……」


 手際よくネヴァがお茶会の準備を整えている間、アイリスは紅茶について少し語る。だが優斗にすればかなりの未知が伴っていた。


(麦茶とどう違うんだろう……)


 優斗にすればお茶と言えば麦茶だ。紅茶に触れる機会もあるにはあったが、結局飲むことはなかったので、今回もまた初めての体験だった。


(紅茶と言えばイギリスだったような。ブルー王国もそうなのかな? あれ……でもイギリスは紅茶の産地としてはそうでもないって聞いた覚えが……)


 更に優斗は元の世界のことを思い出しながら、ブルー王国との類似点を見つけようとしたが、あやふやな知識のせいで若干混乱してしまう。


 尤もこの世界は、上位存在が大体こんな感じでいいだろう。と、これまたあやふやな感覚で作られているため、優斗がいくら考えても無駄である。


「どうぞ優斗様」


「ありがとうございますネヴァさん」

(なんだか現実感がないや)


 ネヴァに礼を言う優斗は、何度目か分からない感想を抱く。


 これぞメイドといった存在に紅茶を提供されるなど、この世界に来る前の優斗に言ってもポカンとするだけだろう。


「いただきます」

(わあ……)


 紅茶をゆっくり口に含んだ優斗は、心の中でも表現することができなかった。


 僅かな苦み、甘み、複雑な風味。それらは短い優斗の人生経験では何かと比べることもできず、ただ美味しいとだけ感じた。


 次の瞬間、妙なことが起きた。


 優斗はアイリスとネヴァになんとか感想を伝えようとしたが、ティーカップを優雅に持つアイリスを見て固まってしまった。


「どうされました?」


「いえ、綺麗だなあと」


 不思議に思ったアイリスに、優斗は馬鹿正直な感想を口にする。


 王女として相応しい教育を受けているアイリスがティーカップを持つと気品が溢れ、それだけで素晴らしい絵画の世界に迷い込んだかのような光景となる。


 だが表現の仕方が少し悪かったかもしれない。


「まあ……」


「あ⁉ その! ごめんなさい! えーっと、凄くかっこいいと言うかなんと言うか……!」


 綺麗だと伝えられたアイリスが僅かに頬を染めると、優斗は全く言葉が足りていなかったことを自覚し、慌てて意図したものを伝えようとした。


「うふ。似合っている。と言ったところでしょうか?」


「そうです! 似合ってます!」


「ありがとうございます」


 酷く慌てている優斗の姿が可愛らしかったのか、ネヴァがくすりと微笑んで助け舟を出すと、彼は我が意を得たりと言わんばかりに大きく首を上下させる。


 どこまでも、どこまでも優しい時間だった。



 ◆

あとがき

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異世界テーマパークへようこそ!襲われるお姫様!屑勇者!追放にざまあ!上下水道!更には完璧なマニュアルに従うスタッフが貴方をお出迎え!……マニュアルに不備がありすぎるんだけど!なんでもありませんお客様! 福朗 @fukuiti

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