〜59分の現実。
木田りも
〜59分の現実。
小説。 〜59分の現実。(仮)
そこに、壊れた時計がある。
それは、針が59分59秒を指して次に進もうとカチッ、カチッと動いている。電池を換えれば動き出すことは、わかっている。そうだ。電池を。時計を生き返らせるために、電池を。
ゆっくり、ゆっくりと進むそれは、確実に私に現実を見せつけている。つまり人生はフィクションなのかもしれない。終わりに近づくにつれ現実が見えてくるのか。人生は短く芸術は長いとは上手く言ったものだ。私は、どこへ行ってしまうのか。
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非常に現実的な話をすると、可能性はないのだ。そんなことはきっと誰しもが分かっている。口には出さないが。既にその頃、私はこの世にいないということもわかっている。だからこそ信じてみたいのだ。先にある何かを。私が辿り着けない時間を。
人生を1時間で例えるとしたら私は今もう59分を回った。残された時間はあとわずか、どうしようもないことも分かっていたし、予兆もあった。ただ、大したことはないと自分に言い聞かせ、普通の人と同じように年寄りになって、老衰という死因になるまでなんとなく生きていくのだと思っていた。思えば身体に異常があったという時点ですでにカウントダウンが、始まっていたんだなぁって思う。
ステージⅣと言われた時。なんとなく母の顔が浮かんだ。自分は別に死にたいわけではないけど、そう遠くない未来に、自分の意思とは別に、この世から去らなければならなくなってしまった。医師からは1年と言われた。たったの1年という単位だったが、その時はとても長く感じた。北海道は冬が分かりやすいから、1年の変化も富む。私は、次に雪が根雪になり、年明けの興奮が冷める頃にこの世を去るんだーと思い、母に電話をかけた。
職場には絶対戻っておいでと言われて、私ももちろんそのつもりです!と力強く言った。まだ元気だから実感は湧かないが、これから何もかもが変わってしまう予兆を感じた。微々たるものがやがて大きな歪みになるように、私にもその順番が来てしまったと感じた。だけどこの時はまだ他人事のように思えて仕方なかった。
布団に入るという行為は、死ぬことと同義だと思う。身体を休息させるということにかこつけて、どこか遠くへ行く旅行のような。私は宇宙を見た。私の中の想像上の宇宙。他にも深海にも行ったし、まだ行ったことがないはずのヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、南極。地獄のような炎が燃えたぎるような場所にまで。それから、登場人物も様々だ。知り合い同士じゃないはずの人たちが一堂に会していたり、もう亡くなったはずの人と普通に話していたり。私の想像なのか、その人たちが意思を持って私に会いに来ているのかはわからない。答えがないから。だけど夢を見て起きるたびに、その人たちに会いたいって思うことが増えた。
いろんなことが始まった。2週間に1度、3泊4日の入院。よくあるドキュメントみたいに、髪の毛は全て失くしてから挑んだ。坊主は高校生の時、テストで赤点を取った時以来だ。当時は思ったより似合うって言われてたし思っていたから何の抵抗もなかった……と言いたかったけれど、鏡を見た時になんだか憂鬱になった。覚悟を決めると言えば聞こえはいいが、まるで自分が生きている証が少しずつ減っていくようなそんな感覚に陥った。坊主にする理由が違うだけでこんなにも感じるものは違うのか。
その頃から私は家に帰るたびに、断捨離を行い、モノを減らしたり知り合いに渡したりした。断捨離もただの友達との連絡も全てが終活に繋がっていく。その事実がどこかやるせなくて入院中に、誰もいないところで少しだけ泣いた。
私の身体に薬が入る。治すというよりは遅らせる。ただ誤魔化しているだけ。私はもう何かに寄りかかっていないと生きられない。か細い命を守り続けなければならない。今はまだ実感はないがこんな風にただ普通に過ごしているだけの時間にも私は蝕まれている。今思うと、異常とか変化は少しずつあったんだと思う。見ないふりをしていたのは紛れもなく自分だった。後悔先に立たずとは上手く言ったもので、自分も先人が作った言葉通りの生涯を送るようだ。人間が作ったことわざとかは、なかなか真理を突いているとほくそ笑んだ。笑おうとして、吐き気が上回るようになる。この生活にもなれた。いっぱい食べて、太ったままいてやろうと思っていたが、何も食べたいと思わない。もはや、食べないことの方が幸せに感じるように思えた。いやこれは病院食の味の問題かもしれない。家に帰った時、久しぶりにご飯をたくさん食べた。反動なのか、その後ものすごく体調が悪くなったけど。
なんだか、こうなってから友達がたくさん予定を立ててくれていることに気づいた。近くの予定、ここ1ヶ月くらいの予定、それに、来年再来年、その先の予定、いつになるかわからない予定もたくさん。それが、その気持ちが嬉しかった。本当に嬉しかった。でもどうしようもなく悔しかった。私は現実というものから離れて、寿命とか余命とかそういったものがない世界を信じたかった。そういったものはファンタジー小説とかファンタジー映画とか、アニメとかそんなものでしかなく、例えばノンフィクションの闘病日記とかは、途中で終わっていたり、結果がもう出てしまっているものばかりだ。周りの人が私に近づいているようで遠ざかっているのがわかる。別れるために後悔しないために会う。まだ私は生きているのに。それが悔しくて悔しくて何度も泣いた。何故泣いてるのかわからなくなるくらい泣いた後に、それでもスッキリしない頭を忘れるために、また布団に入る。
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普通の日に目が覚めた。自分はまだ高校生で、なんでもない日。だるい授業に終わった後のだるい部活。眠たくなる先生の話を寝そうになりながら聞き、友達と流行りのゲームの話をしながらお昼ご飯を食べて、5時間目は満腹でまた眠くなる。部活をたらたらとやり家に帰る。温かいご飯とお風呂が待っていて、夜は少しだけゴロゴロした後、また眠気が来たので僕は眠る。
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目を覚ました時に微かに残る断片的な思い出は、時にこんなふうに繋がる。死ぬ時に忘れてしまうような1日の記憶は確かに私の頭の中には残っていて、その日を生きていた証拠も残っている。私はこんな風に、形のないものでもまだ残っていることに希望を見出した。まだ終わってないのだから、出来ることがある。私は行動することにした。
夏。暑い日。私は、生前葬を行った。元気なうちに楽しく別れを告げた。1年前とは姿の変わった私を見て驚いた顔をした人もいた。少し痩せた私を見て憐れむ姿も見えた。絶対来ないと思ってた人もいたし、来るだろうと思ってた人が来なかった。
「えー本日は」
と、私が喪主として挨拶をする。私の死を皆に知らしめるように。私がいなくなることを憶えていて忘れないでって。でも、やがていつかは終わるのだから、心配しないでほしいって。不安になって欲しくないから、これからしっかり準備が出来るからって行った生前葬は、より一層私の体感時間を加速させた。全体を見回した時、その表情を見た。もう2度と会わないと思っていた人の後悔が詰まった顔。いつも会っていた人たちがこちらを見ている。私はどんな顔をして話せば良いのか。
私は、挨拶を終えた後、椅子に座り込み、立ち上がることができなかった。体調が悪かったわけではなく。
夜も深まる。余興も終わった。各所で懐かしい話がたくさんあった。ふと、どこからきてどこへゆくのかを悶々と考えていた。私はいずれこの中にはいない存在になる。心の中に残るとは言うが、肉体はなくなり燃やされ、あんな小さい骨壷に納められる。私はどこかに物として置かれる。人だったものは人ではない。だから今のうちに全てとの別れを済まさなければならない。でもだからこそ、今日のお別れは私が会いたい人には全て来て欲しかった。癌になっても、もうすぐ人生が終わる時でも上手く行くことばかりではないらしい。楽しそうに立食してい人々を私は遠くから見ていた。
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普通の日に目が覚めた。切羽詰まった朝の時間。学校に遅刻してはいけないから朝ごはんを抜いて学校に向かう。僕は元カノと出会う。いや、まだ彼女だ。そうだ、僕たちはお互い違う大学に進学した後、調子がどんどん狂っていきやがてゆっくりと別れてしまった。今はまだ彼女だ。
「ねえ、今度さ海行こうよ。」
いつもどこかに行きたがる彼女を煙たく思っていた。また今度、また今度を繰り返していた。これがもしかしたら小さな癌だったのかもしれない。
「行こう、僕も行きたい」
現実で言えなかったこと、存在しない時間に私は肯定した。あの頃のやり直しがしたいのだろうと思った。
「本当はずっと行ってみたいと思ってたんだけど、なんだか恥ずかしくて」
「恥ずかしいって何さ笑」
彼女は笑っている。僕も笑う。ずっと。
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もう、身体はかなり動かなくなった。母の介助がないと動くのが大変になってきた。トイレに行くのも一苦労だ。外に出るなんてもってのほか、ただ起きているだけでも苦痛を感じる。秋も深まり、ストーブをつけた。テレビはクリスマスケーキのCMがしきりに流れている。私は、実感している。ここからまた元気な状態に戻ることは厳しいと。暖かい部屋とクリスマス目前のソワソワした空気を傍目に、私はひっそりといなくなっていくのだと思った。
(このまま終わってたまるか)
私の中にほんの少しだけある闘争心みたいなものが何かから抗っているのがわかる。とてつもない倦怠感を超えて、君に通じるかわからないLINEを送った。
[来年の夏、海に行こう]
私は、こうなってから初めて自分から先の予定を立てた。現実的な話をすると、可能性はないのだ。だけどこの先の予定が欲しい。私は、まだ死にたくない。いつか君に届いてほしい。でもきっともうダメかもしれない。メリークリスマスとハッピーニューイヤーが聞こえた。1年が終わる。始まる。
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カラフルな海。カラフルな海が広がる。海に行ったことがなかったからカラフルに見える。
私は起き上がることができない。既読がつかない。トイレに向かう。まだ行ったことないヨーロッパのカラフルな海。私はもう体から何も排泄できないかもしれない。
もう亡くなったおじいちゃんの若い頃と出会った。「大丈夫」って言ってくれた。既読はまだつかない。布団に入っていたらうちについていた。母に抱えられていた記憶。生まれた時の記憶。みんなは走り出す。結局実現しなかったな〜って。どこにもいないんだな〜って。
カラフルな海、カラフルな海の波打ち際、空に虹。掴めない虹。私が立ち上がる。急激な痛み。時計の秒針の音が響く。カラフルな海。
雨が降ってきた。カラフルな海がカラフルな海に飲み込まれる。既読はもうつかないだろう。元気にしてるだろうか。心臓マッサージかな?
体がドクンドクン。ちょっと痛いかな。
あー結構痛い。眠ろうとしているのに。
布団に入るということは死に近づくということ?職場にも戻らないとなーあけましておめでとうって言わなきゃ。起き上がらなきゃ。
抗がん剤って思ったよりきついんだな。
普通の日高校生のとある日。
お母さんありがとう。お母さんありがとう。
クリスマスも年末年始も乗り越えた。歓喜の歌がたくさん流れていた頃も過ぎ去りみんながまた仕事に戻り早数日。気怠いこの時期。子どもは冬休みかな。スキーしたり暖かい部屋の中で遊んだり雪遊びしたりかな。楽しかったな。
既読はたぶんずっとつかないけど一緒にいてくれてありがとう。職場の人も応援してくれてありがとう。お母さん迷惑かけてごめんねありがとう。次の場所へ進んでみるよ。どこでどうなるかわからないけどさーまあたまには思い出してよ。そしてやがてカラフルな海が少しずつ色を失っていく。
波の音も遠くなっていく。海から帰る。いろんなものが遠く。いろんなものが収まっていく。
秒針の音。既読まだかな。
「あーやっぱまだ死にたくないな。」
秒針の音。秒針の音が。
終わり。
〜59分の現実。 木田りも @kidarimo777
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