エピローグ

『――ええ。申し訳ありませんが、私たちも知らないんです。彼のことですから、ひょっこり戻ってくるとは思いますが』


 とある新築の一軒家。スマホでの通話を終えた男は、深い溜息をついた。


「あら、なんの電話だったの?」


 ちょうど通話を終えたタイミングでリビングへ入ってきた女性は、自然な動きで夫の膝の上に乗る。それを当然のように迎え入れて、男は通話の内容を口にした。


「いつものやつさ。俺たちなら足取りを知ってるんじゃないかって」


「ふふっ、あの子ったら大人気ねえ」


 小さく笑って、彼女はテレビの画面に目を向ける。今のマスコミの注目は、とあるダンジョン探索者の失踪に集まっていた。


『――その足取りは現在も掴めておらず、日本を代表するトップ探索者の不在に不安の声が上がっています』


「マスコミも必死ね」


 そんな報道を見て、女性は穏やかに微笑む。


「天原ダンジョンが融合を果たして以来、ダンジョン探索者の去就は一大事だからな。深層に潜って貴重なアイテムを持ち帰る人間なら尚更だ」


「人気があって稼ぎもいい。この前も後輩の子に紹介してくれって頼まれたわ。無駄だって説明したのだけれど」


「ハハ、あいつは一途だからな……今頃うまくいっているといいが」


「そうね。【異界喰らい】が世界を超えられることを信じましょう」


「この10年、あいつはあのスキルのために戦い続けたんだ。報われてもらわなきゃ困る」


 どこか懐かしそうに目を細めて、二人は睦まじく笑い合った。




 ◆◆◆




 その世界には、『サクラ』と呼ばれる樹木が群生する地域があった。住民たちはその木を神木として崇め、不自然に花が咲き続ける地域を神域として祀っている。

 彼らの主神はとある女神であり、眷属神とともに世界の運行を見守っていた。


【――やっぱ違ったなぁ】


 そんな世界で、彼女は小さく溜息をついた。この世界を創ってからどれほど経っただろうか。数千年が経っている気もするし、ついこの間のような気もする。

 生まれたての世界は時間の進み方が速いはずだが、世界の内側にいる以上、彼女にもその詳細は分からなかった。


【せっかく村に潜りこんでみたのに、人間って気がしないんだよね。昔作ったNPCもこんな感じ……だったっけ? はっきり思い出せない……】


 遠くに見える村を見て、彼女は昔のことを思い出そうとする。長い時に漂白されて、彼女の『元の世界』での記憶はもはやおぼろげになっていた。


【なんか……やだな】


 ふと、そんな思いが湧き上がる。自分には同格の存在がいない。この世界の人間は当然のこと、眷属神も自分にとっては『頑張って設定したNPC』の延長でしかない。もちろん彼らに愛着はあるのだが、彼女の孤独は日に日に深まっていた。


【元の世界の神話に、人間味のない神様がちょくちょく登場してたけど……アレってこういう気持ちだったのかな】


 神としての思考や振る舞いが増えるにつれ、彼女の人間性は薄まっていった。人間だった部分を刺激してくれるのは、もはや眼下に広がる桜並木だけだ。


 多くの創造神と同じように、世界と同化して自我を手放してしまおうか。そんな思いに駆られるたびに、彼女はこの場所で小さな意地を張っていた。


【あたし……いつまで覚えていられるんだろ】


 それは、人としての大切な記憶。今では顔もぼんやりとしか思い出せないが、桜並木で【彼】と過ごした記憶こそが、彼女の最後の砦だった。


 そのことを忘れてしまった時――自分はただのシステムになる。そんな確信があった。


【ねえ……寂しいよ】


 無機質な未来を予見して、顔も定かではない【彼】に語りかける。だが、たとえ創造神でも他の世界に干渉することは難しい。それが生まれたての世界であれば尚のことだ。


 だから、彼女の呼びかけは決して届かない。それがこの世界の理だ。




 ――そのはずだった。




【え――? この反応、なに?】


 自分の世界に何かが侵入しようとしている。その感覚に彼女はヒヤリとする。他の世界からの侵入者だ。しかも、よりによって侵入者は桜の群生地に降り立っていた。


【ダメ、そこは……!】


 神としての権能を使って、彼女は桜の真っ只中へ転移する。焦って転移してしまったが、すぐ近くに侵入者がいるはずだ。


 そう考えて、相手の詳細な位置を確認しようとした時だった。


「よかった。ようやく……会えた」


【――っ!?】


 背中越しに掛けられた声を聞いた途端、彼女の瞳から涙がこぼれる。なぜ泣いたのかも分からないまま、彼女は衝動的に後ろを振り返った。


「あ――」


 目の前に立つその姿は、記憶よりも逞しくなっているように見えた。いや、そもそもが曖昧な記憶なのだから、その比較に意味はないのかもしれない。

 それに一体どうやってこの世界へ来たのか。時間の流れはどうなっているのか。分からないことばかりだ。


 だが、それでも。目の前の人物が【彼】だということだけは、彼女にとって疑う余地はなかった。


「ごめん。遅くなった」


 再会の約束なんてしていないのに、【彼】は律儀に謝る。


「遅いよ……おばあちゃんになるところだったじゃん」


 歳を取らない彼女の双眸から、新しい涙がとめどなく溢れる。涙で濡れたその頬に手を伸ばして、【彼】は穏やかに微笑んだ。


「そうか。間に合ってよかった」


 そして、【彼】は彼女に手を差し伸べる。


「迎えに来た。今の俺なら、一緒に元の世界に戻れる」


 信じられない言葉に彼女は目をみはる。それは考えたこともない選択肢だった。


「……女神を異世界へ連れ去るなんてさ、罰当たりすぎない?」


 涙をごまかすために軽口を叩けば、彼はすぐに軽口を返してくる。


「罰を当てるのはその女神様だろう? なら大丈夫だ」


 そして、【彼】は周囲をぐるりと見回した。視界を埋め尽くす満開の『サクラ』を見て、その表情がふっと緩む。


「それに……もし連れ去ることができないなら、俺もこの世界に骨を埋めるさ」


「え?」


【彼】の覚悟を、心情を聞いて数千年ぶりに頬が熱くなる。ひょっとして、思っていた以上に自分は愛されていたのだろうか。今さらながらに、そんな自覚が胸を満たしていく。


「一緒に戻るか、それとも俺をこの世界に受け入れるか。どっちかを選んでくれ」


【彼】は晴れやかな表情で言い切る。その言葉が本気であることは、神としての権能を使わなくても分かった。彼は……残りの人生をすべて、彼女のために使うつもりなのだ。


「もう……どうしてそこまで――」


 止まりかけていた涙が再び頬を濡らしていく。彼女は涙で濡れた瞳のまま、それでも笑みを浮かべた。

 それは――あの時のような精一杯の笑顔ではない。曇り一つない、心からの笑みだった。




「どっちでもいいよ。……ジュンと一緒なら」






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ダンジョン配信中! なんだけど相棒のJKがダンジョンマスター(ポンコツ)のような気がする 土鍋 @tudurihimo

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