離別
何もない殺風景な空間。それがコアルームの感想だった。教室と同程度の広さに思えるが、あるのは椅子らしき歪な立方体が一つだけ。窓どころか照明設備もないが、ダンジョンと同じでなぜか明るさは確保されている。
「あの椅子までお願い」
「分かった」
その立方体に藤野さんを座らせると、彼女は空中にあるらしき何かを操作し始める。その様子を、俺は近くの床に座ってぼんやり眺めていた。
「!?」
その直後、彼女を取り囲むように無数のディスプレイが現れた。それはステータス画面と同じ仕組みのようで、ただ画像だけが空中に浮いている。
「おお……!?」
「あ、ちょっとテンション上がってる?」
思わず感動の声を上げた俺を見て、藤野さんは軽く笑う。そうして一際巨大な画面を正面に呼び出した彼女は、さっきとは打って変わった真剣な顔を浮かべる。おそらく、三影ダンジョンのエネルギー収支なんかが載っているのだろう。そして――。
「ジュン……っ!」
「え? うわ!?」
突然、椅子から転げ落ちてきた藤野さんを慌てて受け止める。座っていたためクッションにしかならなかったが、怪我は避けられたはずだ。
「どうした? 体調が――」
そう心配しかけた俺だったが、不思議なことに気付く。俺を下敷きにした彼女は、眩しい笑顔で俺を覗き込んでいたのだ。
「ごめん。飛びつこうとして失敗しちゃった」
「え?」
目を瞬かせながら上半身を起こす。どうやら俺に飛びつこうとしたが、体力が低下していて失敗したということらしい。彼女らしい行動に思わず笑みがこぼれた。
「ところで、そのリアクションはもしかして……」
そう問いかけると、藤野さんは笑顔で頷く。
「そう! 目標達成してた!」
「よかった……!」
俺は心から安堵の息を吐いた。これで、彼女の命は失われずにすむ。そう思えばスッと心が軽くなる。藤野さんもテンションが上がったのか、弱々しい雰囲気が薄まっていた。
「ジュンのおかげだよ。あの日、ジュンを誘ってホントによかったぁ……!」
感極まったのか、藤野さんは目じりに涙を浮かべていた。そんな自分に気付いたのか、彼女は服の袖で涙を拭うと、とあるディスプレイに視線を向ける。
「ちなみに、ギリっギリで目標達成してた。これが昨日なら無理だったかも」
「危なかったな……」
そう呟けば、彼女はなぜか笑う。
「今、時間ごとの収支を確認してたんだけどさ。ついさっき、けっこう大きなエネルギー収入があったんだよね」
「さっき?」
俺は首を傾げた。何かイベントでもあっただろうか。
「うん。11層でね。……ほら、エネルギーのメインって感情エネルギーじゃん?」
「あー……」
そのヒントで悟る。つまり、俺とエグゼの戦闘がかなりのエネルギーを生み出していたわけか。それがなければエネルギーが足りていなかったことを考えると、エグゼは墓穴を掘りに来たと言える。
「1対1の戦闘とは思えない数値が出てたみたい」
「エグゼのやつ、涼しい顔をしてたくせに内心は燃えたぎってたんだな」
「そうだね。エグゼさんは【異界渡り】持ちだったから、それが影響してたのかも」
「そうだな。後は――」
そう言いかけて口ごもる。恥ずかしくて言えないが、俺もかなりの感情エネルギーを供給した自信がある。藤野さんの命がかかっていたのだから、当然と言えば当然だが。
こっそりそんなことを考える俺だったが、藤野さんは分かっているぞ、とばかりに俺の胸をつつく。
「ジュンもね。……ありがと」
そうして、俺は彼女からいくつかの話を聞いた。ダンジョンが目的を果たせば、ダンジョンマスターについての秘匿制限はなくなること。ダンジョンには少しずつ入れなくなっていくこと。そして、目標を達成していた時に備えて、両親あてのメッセージが入ったメモリーを机の引き出しに入れていること。
「秘匿制限でダンジョンマスターのことは言えなかったから、どうしても分かりにくくなっちゃったけど」
「分かった。絶対に伝える」
俺は真剣に答える。今からもう一度自宅へ戻る余裕はないし、帰れば両親は彼女を家から出してくれないだろう。
「……」
そうして後事をすべて俺に託した藤野さんは、ふと黙り込んだ。どうしたのかと顔を覗き込めば、その身体が小さく震えていることに気付く。
その視線で、俺が気付いたことを悟ったのだろう。彼女はためらいがちに口を開いた。
「今さらなんだけどさ。……怖くなってきちゃった」
「怖いって、世界を創造するのが?」
「ううん。そうじゃなくて、誰もいない世界に一人で行くこと」
「ああ……」
彼女は申し訳なさそうだったが、それを責める気にはなれなかった。自分の命が助かるかもしれない。藁にも縋る思いでダンジョンマスターになった彼女に、それ以外の要素を考える余裕があるとは思えない。
「図々しいよね。最初はそれでもいいって思ってたのに、命が助かると分かった瞬間にそれが怖くなるなんて」
そして、彼女は俯いたまま小声で呟く。
「どうせならジュンも――」
そう言いかけて、藤野さんは口をつぐんだ。言っても仕方ないことだと思ったのだろう。そんな彼女の震える手を、俺は両手で包み込んだ。
「そうだな。できることなら俺も付いていきたい」
「……やっぱジュンは優しいね」
藤野さんは柔らかく笑う。その手の震えが、ほんの少しだけ小さくなった時だった。
「痛――っ!」
苦悶の声とともに、藤野さんの身体がくの字に折れ曲がる。彼女の病状が最終段階に入ったことは明らかだった。――もう、残された時間はない。
「椅子へ座らせればいいのか?」
俺は床に崩れ落ちていた藤野さんを抱き上げると、なんとか椅子に座らせた。彼女は苦痛と戦いながら、たどたどしい指先でディスプレイを操作していく。そして――。
「あ……」
藤野さんの身体が青白く光りはじめる。神々しさを感じさせる光輝が彼女を包み……そして、彼女の身体が少しずつ薄れていく。
「――ねえ、ジュン。今まで本当にありがとう……ジュンのこと、絶対に忘れないから」
そう告げる彼女に、さっきまでのつらそうな雰囲気はなかった。それこそが、藤野さんがこの世界の存在から外れた証だった。
「藤野さん――」
その様子を目の当たりにした俺は、無意識に彼女の名前を呼んでいた。そんな俺に、藤野さんは泣き笑いのような顔で語りかける。
「もう……そんな顔をされたらさ、
そう言うなり、彼女はふわりと抱きついてきた。藤野さんのぬくもりと重み、そして甘い香りが俺の五感を埋め尽くす。
「ふ、藤野さん――?」
「余計につらくなるから……黙ってるつもりだったのに」
俺の背中に回された両腕に、きゅっと力がこめられる。彼女から放たれる蒼光が二人を包み、まるで俺も一緒にこの世界から消えるかのようだった。
「あのさ、もうバレバレだったかもだけど――」
次の瞬間。藤野さんの顔が近付いたかと思うと、俺たちの唇が重なる。彼女の柔らかい唇の感触に混乱するが、それも初めのうちだけだった。
「ジュン……大好き」
やがて。唇を離した彼女は、涙のにじんだ瞳で精一杯の笑顔を浮かべる。その笑顔のまま、彼女を構成していた輪郭は光の粒子となって消えていき、そして――。
この日。彼女――藤野詩季は、この世界から消滅した。
◆◆◆
「ここは――」
そこは見覚えのあるフロアだった。目の前に巨大な木の洞があるということは、行き来に使った第11層なのだろう。
藤野さんの消滅を見届けた俺は、動く気力もなくずっとコアルームで立ち尽くしていたのだが……どうやら追い出されたらしい。
「ジュン? どうしてここに」
まだぼんやりとしていた俺は、そんな声で我に返った。見れば、ソウさんとマナさんが心配そうな顔で俺を見ている。
「大丈夫? リリックちゃんはどうしたの?」
「リリックは……」
その言葉に胸がズキリと痛む。彼女はきちんと目的を達成したのに、俺の心にあるのは悔恨ばかりだった。
「ダンジョンマスターとして目標を達成した。だから……もう会えない」
こみ上げてくる何かを嚙み殺して静かに告げる。その言葉を聞いて、二人は小さく息を呑んだ。
「やっぱりリリックちゃんはダンジョンマスターだったのか」
「ああ。……そうか、話せるようになったんだ」
俺は呆然と呟く。ダンジョンの秘匿制限が消滅したという事実は、俺の喪失感を嫌でも増幅させた。
「悪い。落ち着くまで放っておいてくれ」
俺はそう告げるのが精一杯だった。そんな俺の意を汲んでくれたようで、二人は少し離れたところで静かに俺を見守っていた。
「――俺さ、正しかったのかな」
やがて。思考も整理できていないままに、俺は二人に話しかける。湧き上がる思いを口から出さなければ、溢れて壊れてしまいそうな気がした。
「ダンジョンマスターの手伝いをしたことが?」
「それは後悔してない。犯罪になることはしてないし、藤野さんの命だって失われずに済んだ」
俺は即座に答える。もし人生をやり直す機会があったとしても、必ず同じ選択をするだろう。
「それなら何を悩んでいるの?」
「……藤野さん、怖がってたんだ。新しい世界を創造するために、一人きりで別世界へ旅立つことを」
「そうだったのか」
ソウさんは静かに頷いた。ダンジョンマスターの目的だって初耳だっただろうに、余計なことは言わず俺の話を聞いてくれる。
「最後にさ、笑ってくれたんだ。でも……やっぱりつらそうで」
今も脳裏に焼き付いている、彼女の精一杯の笑顔。それは逆に言えば、つらい気持ちに蓋をしていたということだ。その事実が俺を責め立てる。
「他にできることはなかったのかって、ずっと考えてる」
結局……俺は、好きな子を一人で別世界へ行かせてしまったのだ。他に方法がなかったことは分かっているが、それでも考えずにはいられなかった。
「……ずっと考えていればいいんじゃないか? 中途半端に切り上げても心の底で燻るだけだからな。――でも、これだけは言っておく」
そして、ソウさんは俺の肩をポンと叩く。
「お前はやれるだけのことをやった。それは俺が保証する。リリックちゃんだって恨んだりしないさ」
「そうよ。このダンジョンの発展も、『うぃずダンジョン』の人気ぶりも、常人に成し遂げられるものじゃないわ。ジュンが頑張った成果よ」
「……うん」
二人の励ましを受けて、俺はなんとか頷きを返した。まだまだ気持ちに整理はつかないが、少しだけ前を向けた気がする。
――ねえねえ! ちょっと配信してみない?
――ねえ見た!? 登録者数、もう100人超えてたね! 凄くない?
――で、でもさ。もしダンジョンマスターが目の前に現れたらどうする? やっぱり戦うの?
彼女と過ごした日々が、次々と現れては消えていく。これほどに一緒の時間を過ごしてきたということを、今さらながらに実感する。
――ジュン、こうなったら一蓮托生だからね? これからはダンジョンマスターの相棒としてもよろしく!
――あたしさ、あと一年くらいで死んじゃうんだよね
――ジュン……大好き
「っ……!」
嗚咽とも呻き声ともつかない声がひとりでに漏れる。楽しそうに明るく笑う彼女も、照れたようにそっぽを向く彼女も……もう記憶だけの存在になってしまった。
「それでも……俺はいいんだ」
そう自分に言い聞かせる。今も心配そうにこっちを見ているソウさんやマナさんを初めとして、多くの人々と思いを分け合うことができるのだから。
だが――彼女はそれすら望めない。
だから。彼女が好きだった桜並木を遠目に見て、俺は誰にともなく願う。
どうか……君が孤独でありませんように
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