三文役者

おもいこみひと

三文役者

「君、こんなことも出来ないの?」


 深夜のコンビニ。そのバックヤードにて、私は年下の店長に対し、ただひたすらに頭を下げる。四十路を前にして河童のようになった頭頂を晒す男の姿は、端から見ればさぞかし滑稽だろう。


 役者になりたいと一念発起し、両親の反対を押し切って上京してから、もう二十年。どうやら私には才能というものがなかったらしく、今となってはこうして地元に帰り、底辺の労働環境に沈んでいると言うわけだ。


「お疲れした――」


 午前七時過ぎ、白む山際に向かって息を吐く。帰り道にて聞き知った声の方を向く。小さな電気屋のショーウィンドウ、その中のブラウン管の箱に、かつてルームメイトだった彼の姿があった。べっぴんな女優さんと結婚したらしい。


 それに比べて、今の俺は何だ。実家の子ども部屋に居座り、両親に追い出すと言われるまで働きもしなかった。最寄り駅への人の流れに逆らい、帰宅の途につく。


***


「最悪だ……」


 赤黒い夕焼けの下、冷え切った財布の中身をじっと見る。あんなに熱い演出が来たというのに、肩透かしをくらった挙げ句、三万を一瞬にして溶かしてしまった。俺の全財産だったというのに、これはあの店の陰謀に違いない。きっと才能ある俺を嵌めやがったんだきっとそうに違いない。


 思えば、俺は昔からそうだった。俺には才能があるというのに、見る目のあるやつには終ぞ出会えなかった。親父も、お袋も、監督も、先輩も。女優と結婚したあいつだって初めこそ俺の実力を認めていたが、売れ出した途端に手のひらを返しやがった。


「お前はもっと謙虚になった方が良い」


 あー思い出しただけで腹が立ってきた。今夜もコンビニであのいけ好かない店長に会わないといけないというのに、朝方のように大人しく出来るだろうか。


***


「こんなとこ、言われなくてもこっちからやめてやる!」


 ドアを荒々しく閉めてやり、午の刻の寒空に出る。そもそも、俺はこんな底辺の仕事なぞすべきではなかったのだ。井の中の蛙に叱咤されるような存在ではない。あんな奴、この辺境の地で凍え死ねばいいのである。


 もういい。やはり、俺は役者にしかなれない人間だ。そういう星の下に生まれた人間だ。もう一度両親に掛け合って資金を援助させよう。いや、まともに取り合ってもらえないに違いない。今夜にでも持てるだけの金目の物を頂戴し、再び上京するとしよう。きっと、それがいい。


 さて、そうと決まれば善は急げだ。俺は変な高揚感に駆られ、新月の冬空の下、帰宅の途につくのだった。


***


 十数分ほどで、閑静な住宅街のうちの一つの邸宅に辿り着く。しかし、その玄関を前にしてあることに気づく。いつもは親父が出勤した後に帰宅するため、鍵を持ち合わせていなかったのである。念のためポストの中や植木鉢の下を探ってみたが、特に両親が気を利かせていなかったことを知るのみであった。


 はあ、と白い溜息。俺は一縷の望みをかけ、ベランダなり勝手口なりが不用心にも鍵がかかっていないか、確認するべく庭の方に回ってみる。


 今夜は新月だった。月が少しでも出ていれば、すぐにでも気づけたかも知れない。暗闇の中、まずはリビングの大きな窓を確認しようとしたところで、ようやく異変に気づく。鍵の所がピンポイントで割られ、何者かが侵入した形跡があったのだ。


 思わず俺は窓の下にうずくまり、じっと耳を澄ます。リビングはもう荒らされていた。タイミングが悪かったら鉢合わせていたと思うと、恐怖のあまり一歩も動けない。


 ミシッミシッと、何か聞こえてくる。それは少しずつではあるが、確かに近づいてくる。冬だというのに冷や汗が出て、ますます身体を冷やしていく。気がつけば身体全体がガタガタと震えており、それに伴ってか拍動も五月蠅い。多分、奴は今リビングに戻ってきた。きっと、ここから逃亡する気だろう。俺はもう、限界だった。


 ふと、もう一つの物音。多分、それは二階からで、両親の寝室の扉が開いた音だろう。ニート歴がそれなりにある俺なら分かる。その物音がした瞬間、泥棒は慌てたのか、ドン、と大きめの音がした。それに伴って、二階からの足音が慌ただしく近づいてくる。


 そして、リビングの電気がついた。その瞬間、母親の金切り声がこだまする。さらに時を同じくして、ドタドタと駆ける音。しかもそれは二階からではなく、明らかにリビングからだった。


 しばらくして、ドン、と鈍い音。そして、足音がまた近づいてくる。真上で窓が開く音。俺は死を覚悟して目をぎゅっと閉じる。

ところが、どう言う訳か足音は遠ざかっていく。俺は現実を飲み込むのに時間がかかり、しばらくして助かったのだと一瞬安堵する。


 しかし、母親はそうではなかった。


***


 あの事件から、一週間が経った。小さな街で起こった悲劇は連日世間を賑わせているらしい。


 俺はというと、母親殺しの犯人として賑わいの中心となった。どうやら、店長の証言と俺が行方をくらましたという状況から疑われ、弁明したが、どう言う訳か認められなかった。


 俺は終ぞ、何も出来なかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三文役者 おもいこみひと @omoikomihito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る