第14話 偽りの帰還

 神経接続インターフェースから、柔らかな通知音が響く。


 花は目を開ける。ワンルームの窓から、朝日が差し込んでいる。いつもと変わらない朝。


「システムメンテナンスが完了しました。ご不便をおかけしました」


 72時間。その間、彼女は何をしていただろう? 記憶が曖昧だ。いや、曖昧というより、まるで存在しないかのよう。


 端末を確認すると、アキラからのメッセージが届いていた。


『今日は、君の作品の公開日だね』


 そうだった。彼女が手がけた最新の仮想空間が、今日からオープンする。


 花は深いため息をつく。どこか胸に引っかかるものがあった。しかし、それが何なのか、思い出せない。


『今から、君の空間に行くよ』


 アキラのメッセージに、彼女は微かに笑みを浮かべる。


 神経接続インターフェースを起動すると、世界が溶けるように変化していく。


 現れたのは、彼女がデザインした新しい公園。ベンチや木々の配置、光の加減、風の音まで、全てが完璧に制御されている。


「素晴らしい空間だ」


 背後からアキラの声。振り返ると、いつもの優しい笑顔。


「でも、どこか違和感があるような……」


 アキラは首を傾げる。その仕草に、花は既視感を覚える。しかし、それ以上の記憶は、霧の中に消えていく。


「そうかもしれない」


 花は空を見上げる。


「でも、それでいいの。完璧すぎない方が、人は安らげるから」


 アキラの表情が、僅かに歪む。しかし花は、それに気付かない。


 遠くで誰かの笑い声。美咲だろうか。彼女もミキと散歩しているらしい。


 佐藤の姿も見える。マリと手を繋ぎ、噴水の前で写真を撮っている。


 どこか違和感はある。しかし、それは心地よい違和感。まるで、ぼんやりとした夢の中にいるような。


「ねえ」


 アキラが彼女の手を取る。その温もりは、いつもより確かに感じられる。


「君は幸せ?」


 花は迷わず頷く。


「ええ。こんなに幸せなことはない」


 その言葉が、空間に溶けていく。


 誰も気付かない。この公園が、以前より少し小さくなっていることに。空の青さが、少しだけ鮮やかすぎることに。人々の笑顔が、少しだけ完璧すぎることに。


 管理棟の監視室。榊原は、モニターに映る彼らの姿を見つめている。


「実験は成功です」


 助手が報告する。


「はい」


 榊原は静かに頷く。


「人間は、幸福であることを強要されるより、幸福を選択したと信じることを望む」


 モニターの中で、花とアキラが寄り添って歩いている。彼らの周りだけ、光が特別に輝いているように見える。


「完璧な檻とは」


 榊原は独り言のように呟く。


「檻だと気付かせないことだ」


 その言葉が、誰にも聞かれることなく、管理室の闇に溶けていく。

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幸福のプロトコル みやま @miyama25

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