第13話 記憶の外へ

「結局は、私たちは忘れていく」


 花の声が、静かに響く。


「現実に戻れば、この違和感も、歪みも、全て日常の中に溶けていく。アキラは、それを知っていた」


 榊原の表情が強張る。


「だから私は」


 花は深く息を吸う。


「記憶を消します」


 シェルターの空気が凍る。


「でも!」


 美咲が声を上げる。


「そうしたら、また同じ罠に……」


「違います」


 花は静かに首を振る。


「これが罠なら、その記憶を持ったまま戻ることこそが、最大の罠。私たちは、この歪みを知ったまま、それを受け入れてしまう」


 榊原の顔に、かすかな笑みが浮かぶ。


「アキラは」


 花は続ける。


「私にこの選択をさせるために、あえて違和感を見せた。この記憶を持って生きていくことが、どれだけ苦しいか知っていたから」


 ディスプレイのカウントダウンが、残り3分を指す。


「記憶を消して、また同じ日々を繰り返す。でも、その繰り返しの中で、少しずつ何かが変わっていく。アキラが目指していたのは、それだったんじゃないでしょうか」


 榊原は黙ってうなずく。


「正解です」


 その言葉に、シェルターの空気が揺れる。


「これこそが、アキラが最終的に到達した答えでした。人間の意識は、真実を知ることで救われるのではない。むしろ……」


「真実を受け入れられない自分を、受け入れることで救われる」


 花がその言葉を完成させる。


 カウントダウンが、残り1分を指す。


「私も」


 美咲が静かに言う。


「記憶を消します」


 佐藤も、ゆっくりと頷く。


「私たちは、この選択すら、プログラムされているのかもしれない」


 花は微笑む。


「でも、それもまた私たち。その事実に気付いた上で、忘れることを選ぶ。それが、人間らしさなのかもしれません」


 カウントダウンが、最後の10秒に入る。


 花は目を閉じる。アキラの笑顔が、まぶたの裏に浮かぶ。


「また会えるわ」


 そう呟いた瞬間、世界が白く染まっていく。


 しかし、その光の中で、彼女は確かに感じていた。

 

 これが終わりではなく、新しい始まりなのだと。

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