離れても 心はここに あるという そんな君の 傍にいたい
騎馬民族のエルツベルガー公爵領侵攻軍別動隊撃退戦の際に重傷を負ったフリードリヒ王太子は、公都レーエで3ヶ月の療養を終えると、国王の召喚に応じるため王都へ帰還することになった。エドウィン大総督指揮のウルム王国軍と騎馬民族軍の戦闘は、今のところ王国軍の優勢だが、未だに決着はついておらず、戦闘は継続中だった。
「まだ決着がついていないのに、王都へ帰還しなければならないとは、残念で仕方がない」
フリードリヒ王太子ことフリッツは、臍を噛む。これを聞いた人のほとんどが、西部戦線で武勲を挙げ旭鷹褒綬を授与されたほどの勇将ならではの感想だと思って、王太子の王都への帰還を惜しんだ。ただ、エルツベルガー公爵令嬢フランツィスカことファニーは違った。まもなく退院にまで回復したフリッツの病室に一人呼ばれて、彼の真意を聞かされたからだ。人払いされていて、二人きりだ。夏色を帯びた風が、窓からそよそよと流れ込んできた。
「体の調子がよくなってきたら、いろんな人が僕のところへ話しに来るから、暇を見つけられなくてね。呼び出しなんて仰々しいことをしてしまって、ごめんね」
いくら回復したとはいえ病み上がりだから、王宮や軍部から、そして前線からの使者への応対や、そこから願い出された課題への対応策の検討などで疲れているのだろう。フリッツの笑顔には元気がなかった。輝かんばかりの金髪も心なしかくすんで見える。ファニーは心配になった。
「噂に聞いたけど、明後日には出発するんだって?」
「父から会いに来いって言われたからね。ファニーと一緒に前線に戻りたかったけど、仕方ないさ」
何気ない調子でフリッツは述べる。一緒にって、この人どういう意味で言ってるのかしら、なんてファニーは、一人勝手に困惑する。ファニーの内心を伺い知ることのできないフリッツは、そのまま自分の考えをファニーに伝えた。
「でも、丁度いい機会だ。手傷を負ってしまって、前みたいに剣を振るうことは難しくなってしまったから、軍を辞めようと思ってる」
「えっ…」
ファニーの心に冷たい氷柱が突き刺さった。フリッツと自分は、軍人としての関係で繋がっている。その唯一の関係が断ち切られる。とてつもない絶望感がファニーを襲った。そして、何故そんな絶望感を感じてしまうのか不思議だった。
押し黙ってしまったファニーを、フリッツは不思議そうに眺めた。
「自分でこんなことを言うのは恥ずかしいけど、そこそこの功績を挙げて支持者も多いから、僕が軍を辞めることに反対する声は多いかもしれない。でも、父はもともと僕が軍人になることに反対していたし、宰相からも、どうせやるのだったら、武官でなく文官になってほしいって言われてたからね。あの二人から了承されたら問題ないと思う」
フリッツは窓の外を見やった。清潔で、素朴な建物と木立で彩られた公都。王都のような荘厳さはないが、賑わいのある街並みは、フリッツに安心感を与えてくれる。フリッツは、そんな公都の、更に先を眺めていた。
「ファニー、言っていたよね、あの村で。いつか、こういう村がたくさんできて、騎馬民族たちと仲良くできたらいいなって。ベッドで横になっていた間、ずっと考えていたんだ。ファニーの願いを叶えることこそ、僕の使命なんじゃないかって。騎馬民族との戦闘が終結したら、軍事予算の減額もできるし、経済交流によって商業も盛んになるかもしれない。きっとメリットは大きい。だから、僕は外務省に移って、騎馬民族との折衝をしたいと思っているんだ」
「えっ!!」
ファニーの胸がドキンと高まった。こっちに振り向いたフリッツの笑顔を見て、顔が火照っているのをファニーは自覚する。自分の思いに十分すぎるほど応えてくれているフリッツに、どう返したらいいか頭が回らない。そんなファニーにフリッツは優しく話しかけた。
「しばらくは、あっちで頑張らないといけないと思う。でも、僕の心はここにあるということだけは、覚えておいてほしい。僕の我が儘、聞いてくれるかな?」
「も、もちろんだとも。フリッツ君は、私たちにとっても、大事な人なんだから。そんなフリッツ君が、私たちのことをこんなに気にかけてくれるなんて、とってもうれしいよ」
「そうかい。君にそう言ってもらえたら、僕もうれしい」
窓の外から差し込む初夏の陽光も、熱を帯びていた。
フリッツが王都へと旅立ったその日、ファニーは意を決して父の執務室の扉を叩いた。
突然の訪問にも関わらず、父のエルツベルガー公ヨアヒムは、平然としてファニーを迎えた。
「来ると思っていたよ、ファニー」
「ど、どうしてですか?」
うろたえるファニー。そんな娘を、半ば呆れた表情でヨアヒムは眺めた。
「何ヵ月もおまえの様子を見ていたら、誰にでも分かる。まあ、フリードリヒ王太子殿下は、私の目から見ても素晴らしいお方だ。我が家の伝統から逸脱してしまっても、ご先祖様方へ顔向けできないなんてことには、ならないだろう」
「……」
父が何を言っているのか、ファニーには分からない。戸惑う娘を見たヨアヒムは、剣の腕も確かで人望もあり、教養も十分なのに、何でこんなにそっち方面は疎いのかと、一つため息をつくと、娘に命じた。
「我が公爵家は、どことも血縁関係を結ぶことなく自立することで、血縁関係に基づく余計な戦乱を避け、騎馬民族に専念することを方針としてきた。だが、フリードリヒ王太子殿下のお考えを聞き、このたび方針を変更する。殿下の理想を現実のものとするべく、我が公爵家は全力で殿下を支援する。その第一手として、公爵家の筆頭令嬢であるフランツィスカを王都へ派遣して、殿下の補佐をさせることにした。フランツィスカよ、王都の公爵邸に赴き、駐在武官になることを命ずる」
「私を、王都に!?」
「そうだ。そういやお前は、エッシェンバッハのところの娘と仲が良かったよな。彼女も連れていくといい。話は通しておく」
「あ、ありがとうございます!!」
ファニーは満面の笑みで父に頭を下げた。そんな娘の姿を見て、ヨアヒムは複雑な表情を浮かべた。
王都に帰還したフリッツは、王宮の一角にある自らの邸宅に入ると、直立している人物に出くわした。王の侍従長だった。彼によると、このまますぐに王へ拝謁して、そのまま晩餐まで同席せよとの王命が下っているとのこと。日を置かずにすぐとは、あまりにも意外。狐につままれたような気分で、侍従長のあとを歩く。フリッツが扉を潜ったのは、黄玉の間だった。王が著名人と謁見する場所だ。まあ、ここに連れてこられたということは、大したことにはならないのだろうなんて、フリッツは安易に構えていたら、玉座に座った国王から、いきなり雷を落とされた。
「フリッツ!お前というヤツは、王太子という身分を何だと思っているのだ。余の跡取りなのに、余よりも先に死にそうになるとは。少しは自分の命を大事に考えよ!」
国王からの一喝を受けて、フリッツは跪いてこうべを垂れた。
「はっ。自らの軽率を深く反省しております。つきましては、身の危険のある軍籍からは離れようと考えております」
「だから余は、お前が軍人になることに反対していたのだ。だから、今すぐにでも軍籍からは離れ……うん?」
王は一瞬言葉に詰まった。跪いてこうべを垂れていたフリッツは顔を上げた。
「ですから、軍籍から離れると申し上げました」
「お、お、お前、本当にいいのか?いくら王族とはいえ、二十歳そこそこで少将にまで登り詰めただけでなく、王の一存だけでは授与されない旭鷹褒綬まで授与されているのだぞ。軍の中でも大いに支持されているのも聞いている。国王でありながら元帥位まで保持していた第五代の英雄王以来なのに、本当にいいのか?」
フリッツが軍にしがみつくとばかり思い込んでいた国王は、思わぬ返答をされてしまったために、うろたえる。そんな父の姿に笑い出してしまうのをこらえて、フリッツは答えた。
「おかしな、おっしゃりようですね。父上は僕が軍にいることに反対なさってたではないですか。てっきり、もろ手を挙げて賛成して下さると期待していたのですが」
「そ、それは、もちろん。お前が危険なところへ行かなくなるのは、王としても父としても喜ばしいことだが」
「ありがとうございます。軍籍から離れたあと、僕は外務省に入って外交に取り組みたいと考えております。よろしいでしょうか」
「う、うん、まあ、隣国との折衝は王としても大事なことだからな。外務省にわざわざ入省せずとも、王太子として取り組んでもいいのではないか?」
「いえ、職員がどのような仕事をしているか知っておくためにも、是非とも入省して、『東方』をはじめとした諸問題に、取り組んでいきたいのです」
「軍のことを知るために軍務省に入りたいと言って、結果を出したお前のことだ。考えがあってのことだろうから、反対はしないが…」
「さすが父上。ご理解頂き、感謝に堪えません」
フリッツは、恭しくこうべを垂れることにより、会話のペースを握ることができた喜色を、父である国王に見せずに済ませる。ちゃんと、「東方」という言葉を強調して使った上で、国王という最高権力者から言質をとった。これで、誰からも文句を言わせない。自らの成功に満足していたら、国王から意外な奇襲攻撃を食らった。
「そういえばお前、あのエルツベルガー公爵家のご令嬢と、良い仲らしいではないか。その辺りのことを、是非このあとの晩餐で話してもらいたい。これは、今後の王国の運営とも密接に関わってくるから、拒絶は許さんぞ」
「え、え、そ、そんなに、たいそうなことでは、ありませんよ。人と人が仲良くなることなんて、男女関係ないし、どこにでもあることであって…」
「エルツベルガー公爵家がどういう家門か、知らないお前ではあるまい。どこにでもある家門ではないぞ。そうやって慌てるお前を見るのは、ずいぶんと久しぶりだ。リンデにナディヤ、バルティも呼んでいるから、親子団らんと洒落込もうではないか」
リンデとは、フリッツの母ディートリンデ王后のことで、ナディヤはフリッツのすぐ下の妹のナディヤ第二王女、バルティはナディヤ王女の下のバルタザール第二王子のこと。とんだ尋問を受けることになりそうだ。病み上がりで疲れた精神が更にすり減りそうでげんなりするが、腹違いの第一王女がいないだけマシかと、何とか気を取り直そうともがくフリッツだった。
男女関係に疎いフリッツは、親子団らんでファニーとのことを洗いざらい白状させられてしまった。何故かナディヤはファニーのことを知っていたようで、
「フランツィスカ様が、わたくしのお姉さまになるなんて、とっても嬉しいですわ」
などと言う始末なので、そんな話にはなっていないと、何度も否定しなければならず、戦場で戦っている方が何倍も楽だったと思って、自邸に戻ったのだった。
お陰でファニーのことは、すぐに王宮全体に伝わってしまった。
王都での勤務が決まり、王都の公爵邸に引っ越しを済ませたファニーが、慣例に従い国王に挨拶のアポイントを取るため王宮に赴く。王宮の門衛に自らの氏名を名乗ると、宮内省の事務所に案内されるはずが、この場で待つように頭を下げられて、別の門衛が王宮へと走っていった。しばらくすると、その門衛が身なりの整った紳士を連れて走ってきた。驚いたことに、紳士は国王直属の侍従長だった。侍従長に促されるまま、王宮の中へ。王宮へ入ると、近衛兵が列を作って整然と並んでいた。まるで王族なみの待遇。女性ながらも豪気なファニーですら、予想外の出来事に茫然となる。促されるままに歩みを進めると、ある大きな部屋に通された。すでに玉座に座っている人物が二人。王国貴族なら誰でも知っている。国王と王后だ。陛の下には、よく知っている人物が腕を組んで憮然としていた。フリッツだ。その傍らに二人の男女。フリッツの妹弟である第二王女と第二王子だろう。フリッツはファニーに気づくと、慌てて走り寄ってきた。
「ごめん、ファニー。驚いただろう。こんなことはしないでくれって何度も頼んだのだけど、両親がどうしてもすぐにファニーに会いたいって言うものだから、気を悪くしたら、本当にごめん」
国王への挨拶を遮ることは、いくら王太子であっても許されないことなのに、こうやってフリッツが謝ってきたということは、非公式ながらも特別な意味合いがあるのだと、瞬時でファニーは感じた。
「いいよ。逆にこんなに歓迎してもらって、私はとっても嬉しい。ありがとう、フリッツ君」
「ほう、フリッツ君か。それはいい!」
国王が声を上げた。これを聞いたフリッツはすっと引き下がり、代わりにファニーが前に出て、軍靴を鳴らし完璧な所作で軍人式の礼を国王夫妻に取って、名乗りを上げた。
「エルツベルガー公爵家のフランツィスカでございます、陛下。このたびは、過分なご対応をして下さり、感謝に堪えません。父より王都での駐在を命じられました。しばらく王都でお世話になりますので、挨拶にと伺わせて頂きました。どうか、お見知りおき下さいますよう、切にお願い申し上げます」
「うわさは、かねがね聞いておる。なるほど、武門誉れ高きエルツベルガー公爵家のご令嬢だ。これからは、この王宮を、おじ、おばの家に来るみたいに、気軽に訪ねに来てほしい。いつでも歓迎する」
と、国王。続いて王后が語りかける。
「陛下の仰る通り、いつでもおいで下さいね。それにしても、うわさ以上の凛々しさですね。ぜひ、お話を聞きたいので、近いうちにお茶会へのご招待を出させてもらいますね」
「そのお茶会、絶対私も誘ってくださいよね」
同席いていたナディヤ王女が、熱いまなざしで母を見つめた。「分かってますわよ」という母の返事を聞き終わる前に、ナディヤはファニーの前までやって来た。
「お初にお目にかかります。フリッツの妹のナディヤです。フランツィスカ様にお会いできることを、ずっと待ち望んでいました。そのお召し物、とってもお似合いですわ。素敵。かっこいい…。そこで、フランツィスカ様。お願いがあるのですけど…」
「はあ、お伺いします」
「フランツィスカ様のことを、おねーさまって呼んでよろしいかしら」
「そ、そんな、畏れ多いことで…」
「ということは、よろしいということで?」
ぐいぐい迫ってくるナディヤ。さすがのファニーでもナディヤの気迫に押され苦笑を浮かべると、首を縦に振った。
「きゃー。うれしい。ありがとう。おねーさま。これからもよろしく!!」
「おいナディヤ。ファニーが困っているだろ」
「なによ。お兄様。何で邪魔するのよ」
「ここはお前の部屋ではない。少しは自重しろ」
「意地悪なお兄様。ベーだ」
これ以上は悪態をつかずに引き下がるナディヤ。傍らにいるバルティは苦笑を浮かべるばかり。ずいぶん昔に来た王宮とは全く異なる穏やかな雰囲気が流れている。きっとこれも、長い時間をかけてフリッツが作り上げてきたのであろう。ポカポカと暖かいものが、ファニーの胸に広がっていった。
近くの大聖堂から、正午を知らせる鐘の音が響き渡ってきた。まるで、ファニーの来訪を祝福しているかのようであった。
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