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初めて見たとき、あまり良い印象を持たなかった。
公爵の父に連れられて王宮に参内した時、初めて第一王子を見かけたが、天塩をかけて育てられてきたであろうにも関わらず、おどおどしていて内向的。こんなので立太子できるのかと幼心でも心配したくらいだ。
特に言葉も交わすことなく第一王子との初対面を終えると、以後ファニーが王都に行くことはほとんどなく、十代半ばまで大半を領内で過ごした。世は封建主義。隣国との戦乱に満ちた時代なので、武器を持って戦える男性が優位の社会。エルツベルガー公爵家の第一子であっても女子のファニーの幼少時は、そこそこの基礎教育と礼儀作法を学ぶくらいで、自由奔放に過ごした。
母や使用人たちとのハイキングの帰り道。一行は盗賊団に襲われた。剣を使える男の使用人たちが防戦するが、馬に乗った使用人に本家へ助勢を求めに走らせたので、多勢に無勢。一同に緊張感が走る中でファニーは、手頃な木の棒を拾い上げると、パンツ姿で動きやすい服装だったことも手伝って、素早い脚捌きで屈強な盗賊団の男どもを次々にうち据えていく。常人ならざる運動神経と動体視力を遺憾無く発揮。大半を戦闘不能に陥れて盗賊団を撃退した後に、母から、どこでそんな武術を身に付けたのか尋ねられたファニーは、こう答えた。
「毎日お父様の鍛練場を覗き見して、密かに練習していました」
普段は庭で草花を愛でてばかりいたのだと思っていた母は衝撃を受け、あとから駆けつけてきた夫の公爵に事の顛末を報告。鍛練場で娘の才を確信した公爵は、娘に武術と高等教育を施すことを決意。同年代の男子に交じって鍛練場での稽古に励むようになった。
幼少時は女子の方が成長が早い。生来の身体能力の高さもあって、同年代の男子ではファニーに勝つことができない。鍛練するほど強くなれる実感から、ファニーはますます鍛練にのめり込んでいく。
人に与えられた時間は、誰もが同じ。鍛練する時間を増やせば増やすほど、何かにかける時間が減っていく。高等教育にも前向きな彼女の場合は、淑女としての礼儀作法にかける時間が犠牲になった。服装も、時間をかけないで済む男物を好むようになった。容姿が端麗で必要以上に筋骨がたくましくならない体質が男装することで、逆にファニーの魅力を高めること、そして公爵家の第一子という立場もあって、ファニーの男装に難癖をつける者、陰口を叩く者は、領内に両親くらいしかいなかった。それどころか、ファニーの凛々しさに、執事やメイドたちは、大いに褒め称える始末。公爵軍の将兵たちにも認知されるほどであった。
そんなファニーは、ある紛争に騎兵分隊長として初陣に臨んだ。ある村を占拠した騎馬民族の小集団から、村を解放するためだった。いくらファニーが武芸や知性に秀でていてもファニーのすぐ下の弟に家督を継がせる気だったのと、小規模の紛争でかつ自身が認める若手大隊長の指揮下ならと、公爵自身が認めての初陣だった。
当初、いい経験になるだろうというくらいにしか、公爵自身は思っていなかったらしい。だが事態は、公爵の思っていた通りの小競り合いでは終わらなかった。
初戦の勝利で気を良くした騎馬民族が増援を派遣。目的の村を前にして、ファニーのいる大隊は、増援を受けた騎馬民族相手に苦戦を余儀なくされる。
そんな中でファニーは、先頭を切って自身の分隊だけで夜間に騎乗して突撃を敢行。当初に村を占拠した部隊と合流したばかりの増援部隊とで指揮の統一ができていないであろうことを見越し、ファニーは増援部隊の指揮官を目指す。日中の初戦で公爵軍を退けてから部隊の再編をしていたところの虚を突かれたこと、ファニーの部隊が小規模で索敵の網に引っ掛からなかったことが功を奏し、ファニーの分隊は敵の本陣への突入に成功。敵の矢が鎧兜に突き刺さったままの異様な姿で敵将の首級を挙げたファニーは、馬の上から騎馬民族の言葉で勝鬨を挙げた。
「我こそ雷光公主。我が異能の電光石火で貴卿らの将を討ち取った。将と同じ運命をたどりたくなくば、速やかに立ち去るが良い!」
雷光公主とは、騎馬民族たちが恐れる異国の伝説の鬼姫だ。鎧兜に矢が突き刺さったままの姿が月光に照らされて、余計に異様さが増していたこと、そして発せられた明瞭な声が不気味に澄みわたる女性の声というアンバランスさが相まって、残された騎馬民族の将兵たちは恐慌状態になる。
「ヒトではない鬼姫を殺せるはずがない」
騎馬民族の将兵たちは、瞬殺で将軍を討ち取るという離れ業を演じたファニーを人外だと思い込んで、我先にと逃げ出し始めた。夜間で視界が効かないため、混乱に拍車がかかる。そこに、突然姿を消したファニーに気づいて救援に駆けつけた本隊が、残敵を急襲して止めを刺した。
「いくらご令嬢であられても、我が指揮に従わず勝手に部隊を動かされては困ります」
大隊長の叱責はここまでだった。
「そんなに敵の矢を受けておられるということは、まさか一騎駆けしたのではないでしょうね」
と心配され、
「ここまでの大勝利。さすがは我が公爵軍の戦女神であらせられます」
と褒め称えられた。
自身の初陣を自身で勝利を勝ち取ったファニーだったが、無断で行動したことに反省しきりだった。
「申し訳ない。これは父より叱責を受けなければならないこと。正確に事の顛末を報告して欲しい」
「かしこまりました。フランツィスカ様のご意向も含めて、詳細に報告致します」
大隊長は、令嬢の潔さに感服して深々と頭を下げた。
翌朝、ファニーたちは村へ入った。ファニーが目にしたのは、戦乱に怯えて抱き合う母子、恐慌で虚ろになった村人たちだった。気丈な村長が大隊長に謝辞を述べていたくらいで、物語のように解放軍を歓呼で迎えるなんてことはなかった。
「これが戦争の現実か…」
こうした人たちを守るためにも、もっと頑張らなければ。ファニーは決意を新たにした。
帰還したファニーは、父に呼び出された。
予想通りの叱責から始まった。
そして、公爵としてではなく父として、子の身を案じる言葉が紡がれた。
「お前のために特別に仕立てた鎧兜ではなかったら、死んでいたかもしれないのだぞ。もっと自分の身を大事にしろ」
自分の鎧兜が特別製であることを、ファニーは知っていた。緩衝機能が飛躍的に高まっていることを知っていたので、自身が盾となって一騎駆けまがいのことをしたのだ。だが、そんなことを口にするわけにはいかないので、ただ一言、
「ご心配をおかけしました。以後、気をつけます」
とだけ述べた。
後日の論功行賞において、ファニーは功一等を授与された。軍内部からも支持されるようになり、筆頭公爵令嬢という立場もあって大隊長にまで抜擢された。
そんな中、本国のフリードリヒ第一王子が西部戦線において武勲を挙げ、連隊長大佐に昇進、旭鷹褒綬を授与されたとの話が流れてきた。いよいよ立太子も間近だとの噂が流れる。幼少期に見た、あの頼りない王子が武勲なんて、きっと誰かの功績を横取りして自分の物にしたに違いない。勝手な妄想で王子を断罪すると、すぐに王子のことはすっかり忘れて、ファニーは鍛練に励むのだった。
大隊長になったファニーは、公都の郊外にある駐屯地で職務と鍛練に励むようになった。もともと短かった髪は更に短くなり、男装が板について凛々しい少年剣士のようになっていく。剣の腕も上達してファニーに及ぶ使い手は、もはや2~3人しかいなかった。
父である公爵の手腕が功を奏して軍の人員と装備の充実が達成されたことで、ついに騎馬民族に対する反攻作戦が実行されることになった。ファニーも従軍することになり、自身の大隊を率いて東南部にある村落を奪還することを命じられる。自身は主力軍の一角を担って決戦に臨みたかったが、軍令には素直に従った。
入念な隠密行動の甲斐あって村落に至るまで接敵なく、村落の守備隊も少数だったため、易々と奪還を成功させる。ずいぶん昔に騎馬民族に占領された村落なので、住民はみな騎馬民族。その村人たちを、入村したファニーは眺める。戦乱に怯えて抱き合う母子、恐慌で虚ろになった村人たち…どこかで同じようなものを見た気がして記憶の箪笥を調べてみると、初陣の時に奪還した領民の表情と同じであることに気づいた。幼少期に聞かされた騎馬民族は、人間ではない悪鬼だということだったが、それは違うのではないか。彼らも私たちと同じ、喜怒哀楽を持った人間ではないか。ファニーは脳細胞をフル回転させて疑念を確信に変えると、副官に告げた。
「この村の管理は、今いる騎馬民族の村長に委ねる。我が隊は村民の利敵行為だけを監視、それに対するも捕縛監禁に止め、殺害行為は一切認めない」
というもの。寛大すぎる措置に副官は唖然とするも、ファニーの鋭利な紺碧色の瞳に圧倒されて素直に従った。
ここから、ファニーと騎馬民族の細々とした交流が始まる。騎馬民族と仲良く暮らしたいという仄かな願いが芽生えた瞬間だった。
反攻作戦が始まって1年が過ぎた頃、騎馬民族の首領が交代。その数ヶ月後に騎馬民族の大軍団が街道から殺到してきた。反攻作戦で奪還した4ヵ所の城塞の半分が取り返されてしまう。そこでエルツベルガー公爵は国王に援軍を要請。王弟エルウィン陸軍大将を征東大総督に据えた大規模な討伐軍が派遣された。そこには立太子して混成旅団少将にまで昇進したフリードリヒ王太子も従軍していた。
ずいぶん久しぶりに見た第一王子。完全に別人に見えた。そう簡単に人格なんて変わらないものだと信じていたが、そんなの単なる思い込みに過ぎないのだということを思い知った。
軍議のあとの晩餐会。そこで大総督がとんでもないことを口にする。王位継承順位第一位の高貴な王太子に向かって剣の腕を披露せよなんて、おそれ多いにも程がある。さすがの父も対応に苦慮する中、王太子は何気なく、あくまでも自身の意向であることを前面に出して、ファニーに決闘を申し込んできた。
気の回し方、適切な対処能力。それは認める。だが、剣の腕は如何なものか。激闘の東部戦線を支える古強者揃いのエルツベルガー公爵軍で鍛えぬかれた私に及ぶものか。
ファニーは当初そう思っていたが、模造刀を手にして王太子と向き合って、考え方を真逆に変えた。爆炎のごとき気迫。王都から伝わる王太子の評判は誇張ではなかった。
「一太刀で決める」
ファニーは決意を模造刀に込める。
相手の動きに全神経を尖らせる。
動いた。
猪突猛進という言葉を体現したかのような力強く素早い動きだ。王太子の振り上げた模造刀がファニーに襲いかかってくる。それを正確に見極めて王太子の模造刀と自身の模造刀を交錯させ、王太子の模造刀の軌道を反らした。
「入った!」
ファニーは確信した。
だが、王太子はわずかに身を反らし、ファニーの模造刀に空を切らせる。
「えっ!」
完璧な軌道だった。
それが、かわされた。
剣を交錯させて頭に入れるまで、ほんのほんの一瞬なのに、かわすなんて、あり得ない。
そこからファニーは、自らの動揺を隠したいがために、怒涛の攻撃を敢行した。突き、薙ぎ、振り上げ、振り下ろす。疾風のような連撃。王太子に反撃の機会を与えないが、逆に全ての攻撃が打ち払われている。決め手が見つからない。
と、その時、ファニーの視界に、樹木の上から王太子を弓で狙う、不審な人物が闖入してきた。弓の弦が限界まで引っ張られている。
不審者が弦から手を離した。放たれた3本の矢が王太子に向けて殺到する。
無我夢中だった。ファニーはためらうことなく大きく踏み込んで、自らの模造刀で3本の矢を払い落とした。それと同時に、王太子の模造刀がファニーに直撃。
「………!!!」
激痛でファニーはうずくまった。そこから先は、何を言ったのかすらファニーはよく覚えていない。大事に至らないことが分かると、ファニーは意識を失った。
目覚めたら朝になっていて、ファニーは自室のベッドで寝かされていることに気づいた。痛めたところは適切に処置されていて、それほどの痛みはない。朝食を摂ったのちに庭に咲く花を愛でていると、王太子に声をかけられた。
「ファニー、大丈夫かい?昨日は僕のことを守ってくれてありがとう」
昨日までとは声も表情も全く異なるので、ホントに同一人物なのかとファニーは驚いたが、きっとこっちが王太子の本質なのだろうと納得すると、ファニーは微笑みを浮かべた。
「私なんかに
「そうだね。君に裏切られるようなら、僕は完全に終わりだよ。昨日、君と剣を交えてよく分かった。僕が完全に一人になることはほとんどないけど、たまにこうして話し相手になってくれると嬉しい」
王太子は飾り気の全くない笑顔を浮かべた。そんな王太子を見て、ファニーは苦笑を浮かべた。
「王太子って、思った以上に大変そうだね。余なんて言うから、もっと堅苦しい人だと思った」
「これは父に言われて仕方なく。権威を身に付けるためには、まずは言葉遣いからってね」
「やっぱり。その辺りは、私の父と同じだね。もっとも私の父は、私に淑女らしさを求めてくるのだけど、こればかりは譲れないんだ」
今の自分に誇りを持っているファニーは、それを正直に伝えることで王太子がどんな反応をするのかを試してみた。女性に淑女らしさを求めて呆れるようならそれまで。だが、王太子の反応は違った。
「うん。僕はそれでいいと思うよ。ところで、昨日は藍色の軍服だったけど、日によって色を変えるのかい?」
自分の服装について言及されることを予想していなかったファニーは、どう答えていいか戸惑った。何となく王太子のシンボルカラーである緋色に合わせたくなったから選んだだけなのだが、なぜ合わせたくなったのか、自分自身よく分からなかった。
「こ、これは、私が君に敗れたから。ここ数年は誰にも負けたことがないのに…。敗れた相手の色に合わせるのが当然。緋色を使うわけにはいかないから、せめて朱色で…」
こう答えるのが精一杯。そんなファニーに、王太子は優しく答えた。
「あ、ありがとう。嬉しいよ」
はにかむ王太子。何故だかファニーは、王太子の表情を見て胸が高まった。あんなにすごい剣の使い手なのに、こんな不器用な面も見せて、この人って一体どんな人なのだろう。気になってしまうが、何をどう尋ねればいいか分からない。そよそよと流れる爽やかな春風が、庭園の草花に目を向ける二人を、ただ優しく包み込むばかりであった。
我が儘で無茶なお願いするけれど… Yohukashi @hamza_woodin
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