見た瞬間 側にいると 決意する
国王軍と公爵軍による合同征東軍は、三方向からの反撃体制を執ることになった。総兵力の六割がエドウィン大総督指揮の主力第一軍として街道を東進、奪取された4ヶ所の城塞再奪還を目指す。残りの二割は東北部へ向かう第二軍、最後の二割は東南部へ向かう第三軍と分かれて、地域の治安維持と補給線の確保をしつつ、徐々に街道へと転進、国境の城塞前で結集したのち、できれば城塞を再奪還、できなくても城塞近辺に陣を張ることで、騎馬民族の侵略軍への補給線を断つことになった。
第四混成旅団長のフリッツ少将が第三軍司令官となって、二個旅団、三個連隊を指揮することとなった。三個連隊の内の二個連隊がエルツベルガー公爵軍で、そのうちの一つがファニーの率いる連隊だった。この措置は、エドウィン大総督直々によるものだった。
「エルツベルガー公爵令嬢と懇意になること」
エドウィンからこう言われたフリッツは、これって大総督としての指令ではなく、王弟としての依頼なんじゃないかと思ったものだ。有力な武門の公爵家との血縁関係を王家全体が求めているのは、言葉として出てこなくても雰囲気で分かる。個人的な感情に他人から干渉を受けるのは、あまり気分のいいものではない。でもまあ、反対されるよりはマシだ。そう思って割りきることにした。
エルツベルガー公爵領内での行軍になるので、行程はエルツベルガー公爵軍の意見に基づいて選定する。先鋒はファニーの連隊、後詰めも、もう一つのエルツベルガー公爵軍の連隊が務める。
「ぜひ殿下に見てもらいたい村がある」
ファニーが意気込んで紹介した村に着いたのは、公都を出発して三日後だった。つい数年前までは、この辺りも騎馬民族の支配下にあったようなのだが、ファニーの活躍で奪還してからは、ずっと公爵領として治安は安定しているとのことだった。
部隊を村の外縁に逗留させると、フリッツとファニーをはじめとした幹部は村に入る。フリッツをはじめとした国王軍の幹部は、そこで目にしたものに驚いた。
「村人の半数は、騎馬民族…なのか?」
とても信じられない光景だった。
騎馬民族とは、言語、習慣だけでなく、食生活から宗教も人種も、何もかも全く違う。とても共同生活なんて考えられない。
だが、ここでは、それが実現されている。
百人程度の小さな集落といえども、だ。
「ファニー。一体、どんな魔法を使ったんだい?」
思わず、フリッツは素になってファニーに尋ねた。ファニーは、胸を張って答えた。
「騎馬民族だって、私たちと同じ人間。彼らのことを知るために、この村に2~3ヶ月ほど住んで、彼らの倫理観とか価値観を学んだんだ。その結果、私たちの倫理観と価値観が重なるところを共通の規範とし、互いの生活習慣を尊重するようにしたら、今のところ何とかなっている。どうだい。すごいだろ」
「う、うん。すごい。まいった」
「はっはっはーっ。殿下に、まいったって、言わせたよ!」
朗らかにファニーは笑う。
そんなファニーを、フリッツは太陽を見るかのように見つめる。草花を慈しむファニー、気迫を込めて剣を構えるファニー、小さいとはいえ未だに誰も為したことのない制度を作って統治するファニー、そして、子供のように無邪気に笑うファニー。まだ、知り合って間もないのに、どんどん引き込まれる。次はどんなファニーを見せてくれるのだろう。
一方のファニーは、内心ドギマギしていた。
いくら、フリッツが自分に好意的であるとはいえ、長年の宿敵である騎馬民族との共生を図ろうとしていることに、嫌悪感を抱くのではないか。それでも、ファニーには確信があった。
アデリナ・フォン・エッシェンバッハ。エルツベルガー公の分家筋エッシェンバッハ男爵の令嬢である。ファニーが幼少の頃、ハイキングの帰り道で盗賊団に襲われたことがあったが、その場にアデリナもいた。アデリナの母がファニーの母の側仕え筆頭だったことで、アデリナも招待を受けていたのだ。アデリナにも盗賊団の凶刃が迫ったが、ファニーの手によって救われた。これ以来、アデリナは命の恩人であるファニーの熱狂的信者になり、時間の許す限りファニーの遊び相手、話し相手になった。そのアデリナは数年後、父の転勤により王都へ行くこととなった。ファニーの熱狂的信者は、たとえ公爵領を離れようとも、自らがファニーの役に立てないことを許さない。王宮内で
こうした情報をつい最近帰ってきたアデリナからもらったファニーは、賭けに出た。きっと王太子は、私のやったことを否定したりしない。男装して剣を嗜むなんて女らしさの欠片もない自分を受け入れてくれた王太子を信じて。
「殿下のお越しを伝えると、是非とも歓迎したいと村長が張り切ってるんだ。さあ、行こ」
賭けに勝ったファニーは、喜び勇んでフリッツの手を引いた。
フリッツは更に驚かされた。
村長は、騎馬民族の男だった。
その騎馬民族の村長が、フリッツに対して
そして、騎馬民族の人たちが、自分達の国の料理を持ってきてくれる。
考えられないことだった。
これだけでも、ファニーの努力が伺い知れる。そんなファニーは、逆に騎馬民族のものであろうと思われる食事を前にしていた。
出された料理を全て口にしたフリッツは、ファニーに尋ねた。
「ファニーが食べたもの、僕ももらえるかな」
「殿下も興味あるのかい?」
「そうだね。味の想像が全くつかないから、興味がある。特に、焼く前のパン生地みたいなものをソースに浸したようなのとかが、気になるよ」
「あぁ、マンティだね。私も初めて食べたときには、こんな食べ物が世の中に存在するんだって驚いたものだよ。よっぽど苦手なものでもない限り、試してみると新たな発見ができて楽しいよ」
笑顔でファニーが答える。村長をはじめとした騎馬民族の村人たちも、フリッツに好意の眼差しを向けるのだった。
ファニーの村で二泊したのち、フリッツはファニーたちの進言を受けて部隊を東進させた。丘陵地を抜け小高い丘に立つ。
すると、丘の下の平原に、騎馬民族の大部隊が陣を広げていた。
「なぜ、こんなところに…」
フリッツは絶句する。
自軍の倍くらいか。
ただ休憩中なのか、大きな動きもなく、所々から焚き火の煙が上がっている。
「おそらく、遠征軍の一部を割いて大きく
ファニーは淡々とフリッツに具申した。今の位置からエドウィン大総督の主力部隊に辿り着くのは、早くて明日。その前に鋭気を養っているのではないか。このファニーの意見にフリッツは賛同すると、付近の地理に明るい公爵軍の意見を最大限に汲み取って、敵奇襲部隊に対する奇襲作戦を立案して実行することになった。
砲兵部隊を中央に全て配置して砲撃。砲兵部隊に敵の意識を集中させて手薄になっている敵の後方を左右から騎兵部隊で一点突破して、敵将の首を取る。即席なだけに単純な作戦にしなければ、全員に作戦を徹底させられない。
フリッツとファニーは、ともに右翼の騎兵部隊で敵将の首を狙う。
不意を突かれた騎馬民族の部隊は浮き足立ち、正面に陣取る砲兵部隊への突撃を始める。狙い通り。手薄になった敵の本陣めがけて、王国軍・公爵軍の騎兵部隊が突撃を敢行。
「露払いは私が!」
ファニーが先陣を切る。騎馬民族から放たれる矢をものともしない。敵の槍をかわし、剣を弾き、なだれ込む。敵将の側に、一際存在感を放つ戦士が一人。放たれる覇気から危険を感じたフリッツが馬の足を早めて、その戦士と対峙した。馬上同士の剣戟。互いに一歩も引かない。フリッツがその戦士の足止めをしている間に、ファニーは敵将と対峙。数合打ち合ったのちにファニーの刃が、敵将の首を
刎ねた首を剣に刺して高々と掲げ、勝鬨を上げたファニーは、フリッツへと振り返る。ファニーの表情は、歓喜から悲愴へと180度入れ替わった。
首を刎ねられた騎馬民族の戦士の剣が、フリッツの腹に突き刺さっていた。
「フリッツ君!!!」
敵将の首が刺さった剣を放り投げて、ファニーはフリッツへと駆け寄る。
フリッツには、まだ意識が残っていた。
「や、やったね。ファニー。さすがだね…」
「駄目!しゃべらないで!」
ファニーは特製の鎧を脱ぎ捨てると、軽妙な身のこなしでフリッツの馬へと飛び移った。上着を脱ぎ、引きちぎって刺さった剣が動かないように固定。更に服を脱いで止血を試みる。自身が肌着姿になっていることなど、お構い無しだ。
「そのまま馬の首につかまって!私が操るから」
「う、うん…」
ファニーは馬首を返す。異変に気付いて駆けつけてきた左翼指揮の王国軍連隊長に、指揮権を砲兵隊を指揮している旅団長に委嘱することを告げると、ファニーはひたすら公都を目指す。片手でフリッツに刺さった剣を固定させ、片手で手綱を握る。
「フリッツ君、意識を保つんだ。フリッツ君、死んじゃ駄目だ…」
軍務で培った知識を総動員して最短距離を導き出して一昼夜、馬を駆けらせて何とか公都にたどり着いたファニーは、一目散に医局へ飛び込んだ。
「フリッツ君…いや、王太子殿下が重傷だ!すぐに手当てを!!」
「は、はい!!」
鬼気迫る筆頭公爵令嬢の一喝を受けて、医師、看護師が一斉に動き出す。その様子を安堵した表情で見守るファニーに、アデリナが駆けつけてきた。
「大丈夫ですか?お嬢様!」
「だ、大丈夫だよ…」
「そんなに、お顔を真っ青にされて、大丈夫なわけありません」
「アデリナは心配性だな。私なんかよりも、フリッツ君の方が…」
「お嬢様がお倒れになられて、殿下がお喜びになられるとお思いですか?」
「そ、それは…」
「すでに寝室は整えております。ベッドが汚れることなど気にせず、お休みになられて下さい。明日の朝にご入浴できるよう、浴室も整えておきますから」
「あ、ありがとう…」
ふらふらになっているファニーは、アデリナの肩を借りながら自室へと向かった。
刺さった剣が急所を逸れていたこと、出血が致命に至る量にならなかったこと、処置した医師の腕が良かったことなど、多くの偶然が噛み合ったこともあって、フリッツは徐々に快方へと向かっていった。
「フリッツ君!大丈夫かい?」
目覚めたフリッツにファニーは尋ねる。ベッドに横たわったフリッツは、顔をファニーに向けた。
「ファニー、怪我はないかい」
「何を言っているんだい、君は!私よりも君の方が…」
「そうか、良かった…」
フリッツは微笑んでファニーを見つめた。フリッツの優しい瞳を見たファニーは、自分がさめざめと泣いていることに気付いた。だが、なぜ涙が止まらないのか、何よりも自分のことを第一に大切にしてくれるフリッツの優しさに触れたからか、フリッツが意識を取り戻して安心したからか、居なくなってしまうことがありえることに気づいて恐れているからか、ファニーには分からなかった。ただ、目を離したらフリッツがいなくなってしまうのではないか、これだけが怖かった。
「私のことより、殿下はご自身のことを第一に考えて…」
「…殿下はいやだ。フリッツがいい」
「は、あ…」
フリッツが何を言っているのか、ファニーは分からなかった。拗ねてみせたフリッツは、固まるファニーに再び微笑みを見せた。
「今では、僕のことを名前で呼んでくれるのは、父しかいない。母ですら、僕のことを殿下と呼ぶ。せめて、君だけでも、僕のことを名前で呼んでくれないだろうか…」
「いいのかい、私で」
「うん。君じゃないと駄目なんだ」
「フリッツ君、フリッツ君…よかったよ。ほんとによかったよ…」
フリッツの言葉でファニーの胸はいっぱいになって、涙が止まらなくなった。
そんな二人を、春の優しい陽光があたたかく包み込んでいった。
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