第52話 第三王女と東の魔族

 学校というのが退屈なのはよく理解できた。

 それなりに由緒正しい学校であり、それなりに貴族というか、国政に携わる家系の子供なんかも多く通っている学校なのだが、はっきり言って授業は退屈極まる。


 実践的ではない。


 端的に、一言で済ますのならばこれに尽きる。

 ということで、私は授業をそっちのけで図書室にこもった。

 魔物図鑑とスキル一覧を覚えるためである。

 まあ特に、魔物図鑑が面白かった。九割は知らない魔物だったし、残った一割は図鑑にも詳細が乗っていなかったので、ほぼほぼ一冊全部を楽しめたと言えよう。

 それから大陸地図。

 まだ次にどっかへ行こうかと、そういう気分ではないが、知っておいて損はない。

 イェールはファズル王国に属する、中央都市に当たる。交易の中心でもあり、王城があるよう、かなり重要な拠点だ。ギルドも本部らしい。

 そんなところの学校だ、身分の高い連中がいたっておかしくはない。

 ないのだが。

 私にとって身分なんて不要そのもので、不要なんだから比較基準にもなりやしない。

 身分があったら、首を物理的に飛ばしても死なないんなら、ちょっとあってもいいかも、と思うけど、そのくらいなものだ。

 こっちも仕事をして金を稼がないと生活できないので、毎日通わなくても良いのは助かる。……助かるというか、勝手にやってるんだけど。

 ちなみに。

 座学は何度か顔を見せ、退屈ならとっとと退室しているが、戦闘系の授業には出ていない。

 可能な限りでないでくれと、お願いされたのだ。

 主に白トカゲと、ギルマスと、ネールゥとかいう隠れてた女だけど。

 ちらっと見た限り、大した訓練じゃなかったので、べつにいい。

 いいけど、退屈だ。

 あまり得るものがない。ああいや、学生っていう立場は手に入れたのかなー。


 まだ授業中の時間、一人で中庭の噴水を横目に校門へ向かう。何度か仕事はしているし、稼いでもいるが、暇な時に寝て過ごせるほど、熟練していない。

 ううむ。

 そろそろ生活にも慣れたし、躰を動かせる場所が欲しい。あと、術式の研究も。

 ……どうしよっか。

 いざとなれば、外に出てやればいいけど、拠点にはしたいよなあ。

「――あら」

 へえ、赤髪でストレートだ。結構長いし、制服だから学生か。お付きの侍女もいるし、あー……錬度低っ! こんな侍女が守れるんだろうか。


 私だって、誰かを守れるほど強くないのに。


「どうかしたの?」

「……ん? なにが?」

「授業中よ」

「そうだね」

「それなのに出て行くの?」

「うん」

「見たことないけれど、学生よね?」

「そう。制服は嫌い」

「じゃあ新入生かしら。サボりはあまり良くないわよ」

「どーも」

 背丈は同じくらいか、じゃあちっこい部類だ。侍女の方は頭一つ大きいし。

 でも警戒されてるなあ……いや、当然か。仕事だもんね。

「……なんでついて来るの?」

「だって面白そうだもの」

 あ、そう。

 まあギルドへ行くだけだし、仕事になれば放置しとけばいいか。変な好奇心じゃなさそうだし。

「そういえば、ギルドに新しく冒険者として、黒狐族が登録されたそうなのよ。あなた知ってる? 物凄い実力者で、取り扱いをどうするか、ちょっともめてるみたいよ」

「へー、知らない」

 同族でそんな実力者がいるんだ……ううん、話を聞いて参考になるかなあ。

 遊びで手合わせは五年早いって中尉殿に言われてるし、しょうがないか。

「新しくって、じゃあ新人なんだ」

「ええ、そうらしいわ。でも不思議と、期待の新人なんて言葉が出てこないのよ」

「ふうん……」

 性格に問題でもあるのかな?

「名前はクロ」

「げふっ、げふっ」

 ――私かい!

「ちょっと待ってそれ勘違い」

「はい?」

「私は実力者じゃない」

「……え? あなたが、じゃあ、クロ?」

「それは合ってるし、今から行くのもギルドだけど、そんな評価は知らん。興味もない。どうでもいい。勘違いして過大評価しないで面倒だから」

「いえ待って、待つのはあなたの方よ。――え? あなたクロなの?」

「だからそうだって言ってる」

「まだ子供じゃない!」

「そうだよ」

 大人だと胸を張るほどの子供じゃないけどね。

 先生に言わせれば、大人にはなるものじゃなく、認められるものだそうで。

「……驚いたわあ」

「ゴシップが好きなの?」

「違うわよ、そういう話が耳に入って来るだけ。というかあなた、何をしたの」

「なにって……トカゲを殴ったくらいだけど」

「なんなのそれ」

「言葉通り」

「というかあなた、私のこと知らないわね……?」

 そりゃそうだ、知るわけがない。

 ただギルドの中に入ってから、知ることはできた。

「ニーニャ様!?」

 声を上げたのは、この前に尾行してたネールゥ。あ、トカゲもいた。

 どうやらこの二人は知り合いらしいと、風呂で聞いた。昔にちょっとあって、ネールゥは頭が上がらないのだとか。

「あらネールゥ、まだお休みは明日まであるわよ」

「私の護衛がない時は、あまり出歩かないで下さいと、あれほどお願いしたじゃありませんか……!」

「そうだったかしら?」

「侍女長まで連れ出して! この方にも仕事はあるんですよ!」

「私を護衛するのが今の仕事ね」

 あ、ため息。大変だね。侍女の方は顔に、諦めました、と書いてある。

「第三王女としての自覚を、もう少し持って下さい」

「立場は学生よ」

 あーうるさい、うるさい。

 私は騒がしくなったのを無視して、受付へ。

「こんにちは」

「え、あ、ああ、ええとクロさんのお客では?」

「知らない、勝手についてきただけ。――仕事ある?」

「はい。ギルマスから、クロさんに頼みたい仕事があると言われています。どうなさいますか?」

「話を聞く。いる?」

「ええ」

「ありがと」

 階段を上がって三番目の部屋。ノックして中へ。

「来た」

「ああクロさん」

「……ノックいる?」

「ええ、そうしていただけると助かります」

 ギルドマスターは決して、戦闘ができないわけではない。おそらく私が全力で身を隠していても、僅かな違和から発見するはずだ。

 目端が利く、とでも言うべきか。

 気配の捉え方が上手い。

「で、仕事?」

「そうです」

 しかも、それに私が気付いていることもわかってるから、性質が悪い。こういうのを大人って言うんだろうなあ。

「内容は」

「東の魔族――というのをご存知ですか」

「ん、聞いたことない」

「これは通称で、東に二日ほど移動した隠れ家に、魔族が一人住んでいます。私どもとは友好的な関係にあり、いくつかの条約も結んでいます」

「へえ」

 そういう魔族もいるだろう。人間だっていろいろなんだから。

「半年に一度は表立って――というと語弊もありますが、お互いに会話をしようと取り決めています。矢面に立つのはギルドであり、それを上へ報告する義務もある。そこでクロさんに、道中の護衛をお願いしたく」

「……? その魔族に逢うだけでしょ?」

「そうです」

「なら今から行けばいい」

「しかし二日の――」

「三十分もかからない。すぐ行く。それとも連れてくる?」

「――」

 視線を手元に落として考えたギルマスは、良いでしょう、なんて言って立ち上がった。

 話が早くて助かるけど、これはもしかして、本気で知らないんだろうか。

 下はまだ騒がしかった。

「む、なんじゃクロ、わしに挨拶もなしに――あだだだっ!」

「挨拶」

「顔を掴むのは挨拶ではない! 持ち上げると足が届かんじゃろうが!」

 ぺいっと捨てておく。

 外に出れば、挨拶を終えたらしいギルマスが出てきた。よし行こう、と思ったらちっこいのが二人と、侍女がいた。

 はて。

「ネールゥはお休み! いいわね!」

 お前も休め。来なくていい。

「で、どこへ行くのかしら」

「ニーニャ様、ここからは」

「――いいよ、おいで。学校に行くだけだから」


 仕事なんてのは、手早く済ました方が良い。

 仕事で楽しむな、終わった後の酒が不味くなる。

 好きな仕事を選ぶな、嫌いな仕事が増える。

 金で判断するのは、自分で起こす仕事だけでいい。


 以上、中尉殿の格言である。

 ちなみに最後のやつは、つまりトラブルを起こした時の判断らしい。先生が何かを思い出して頭を抱えていたけど。


 学校に到着して中に入り、噴水のあたりで少し待っていると、目的の人物がやってきた。

「おや」

「――教員」

 魔法スキルの教員である。個人的に挨拶もした。

「大所帯ですね、ニーニャさんもいらっしゃいますが」

 この男は物腰が柔らかく、相手を見下さず丁寧に教えることからも、学生からの人気が高い。立場や身分に動じないところは、まあ、貴族社会じゃ煙たがられるようだけれど。

「私の仕事」

「クロさんの?」

「そう。ギルマス、仕事終わり」

「――はい?」

「東の魔族への案内、終わり」

 僅かに息を飲むような沈黙が訪れるが、私は念のための警戒を緩めない。

 二日後くらいに逢う予定で、今まだここにいるのなら、間違いなく転移系のスキルを有している。魔族としてはまったく珍しくないので、その初動をキャンセルしないとその後が面倒だ。二日もかけて行きたくない。

 だから。

「いいの? ――?」

 半歩、私が前へ出る。敵意は出さない、ただ意思を見せる。

 ここでその姿を誤魔化すスキルを解除しても良いのか、と。

「――ギルドマスター」

「はい」

「どうでしょう。少し人数は多いですが、休みをいただいたので、うちにいらっしゃいますか?」

 賢明な判断だ。

 ――ここでは、誰が見ているかもわからないから。


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