at the end of all hallow's eve (2)

*5


 地下鉄を降り、地下道から町に出る。夕方になると風がうんと冷たい。

 そろそろ、冬もの出さなきゃかも。今着てる春秋物のコートはすごく気に入ってるけど、この町じゃ活躍する時間がとても短くて残念だ。

 残念なのは、このコートもだけど……。津花波さんと全然話せなかった。


 でも、キレイだったな……。

 なんであんな夢、見たかな……。


 地下鉄の駅も、バス停に向かう歩道も、カボチャのランタンやお化けや魔女が賑やかに飾られた小じゃれたビルも、とにかく人が多い。

 都会だなあ。地元じゃ、こんなに人が集まるのはショッピングモールか道の駅くらいだもんねえ。飾り付けもなんか洗練されてる気がするし。

 奇抜、といっていいくらいの格好をしてる人もたくさんいるけど、今日の町の雰囲気は全体で「それもアリ」って言ってるみたいだ。

 お祭りみたいにどこかに集まるわけじゃないので、本当に思い思い、って感じだ。

 私には無理だなあ。心愛ならこういうの似合うかなあ。そんな風に思っていた私の視界に、それは急に飛び込んできた。

 えっ、これって偶然?

 そんな都合のいい偶然、ホントにあるの?


 津花波さんだ。大学で見るのと同じように、一人ですたすたと歩いていた。


 人の流れを上手に交わしながら、どこかに向かっているみたいだった。大きな通りを外れて、中途半端なアーケードのある小径に入っていく。

 待って。

 口には出せなかったけど、私の足はもうちょっと積極的だった。津花波さんの消えた方角に向かって駆け出す。


 入り組んだ路地を、あっちに折れ、こっちに折れしながら津花波さんはどんどん謎な方向に進んでゆく。古い雑居ビルやよく分からないお店がごちゃごちゃと建て込んでいて、方向感覚は完全に狂ってしまっていた。


 ふわっと、暖かい空気が私を包む。顔を上げると、夕闇が押し迫った町の片隅に幻想的な光景が広がっていた。


「何これ、キレイ……」


 柔らかい色の石畳で舗装された小径。両脇の並木をつなぐように、幾重にも飾られた電飾。周りのビルの窓からは吊されたカボチャのランタンや魔女のぬいぐるみが揺れている。

 仄かに光る電飾の中には、よく見ると動いているものがあった。どういう仕掛けになってるんだろう! 淡い赤や緑の光が、ホタルのように木々の間を漂っている。

 すれ違う人たちは、この季節らしい…… いや、やり過ぎだろうって感じの仮装姿だ。時代もテイストもバラバラな衣装、凝り過ぎってくらいに作り込まれた仮面、音もなく行き交う人々――


 ――音もなく?


 たくさんの人がそぞろ歩いている気配は確かにあるのに、何か話し声みたいなのも感じられるのに、耳を凝らしてみても誰も何も話していないし、石畳を叩く靴の音もしなかった。

 ぽう、っと灯ったホタルのような淡い光はその数を増し、夜の色を濃くしてゆく空からの光と入れ替わるように辺りを照らしている。


 ハロウィン。全ての聖なる者たちのための夕べ。


 ――あ、普通の人がいる

 恋人どうし、だと思う。街路樹にもたれ、楽しそうに何かを話している男の人と、彼を見上げて嬉しそうに頷いている女の人。

 彼女の左手は男の人の右手の袖をちょこんと掴んでいて、こっちまでその幸せそうな空気が伝わってくるみたいだった。

 この人たちだけ、仮装してないんだ。今更のように気付く。

 二人は周りのことを気にせずにおしゃべりに熱中しているし、周りの仮装姿の人たちも関心なしって感じで通り過ぎていく。

 私と二人を隔てる空間に――これも、どんな仕掛けなんだろう?――青白い、手品で見るような炎がぼっと現れた。


 一つ。それから追いかけるようにもう一つ。


 周りの景色が、輪郭をなくしていく。街路樹は影だけになり、仮装姿の人たちも衣装と仮面だけになって、ただ目の前の二人だけがくっきりと鮮やかさを増していって――。


「――花音」


 不意にかけられたその声に、私は驚いてふり返った。



*6


「つ、津花波さん……?」


 この非日常の、非現実的な景色の中に飛び込んできた、私の日常とつながる彼女。学校で会った時のままの格好なのに、不思議とこの空気の中にはなじんで見えた。


「そっちは、ダメ。戻れなくなる」

「えっ……。 ゴメン、ちょっと意味わかんないんだけど……」


 津花波さんが、私とさっきの二人の間に割り込むように視界を塞ぐ。けっこうな声を出してるのに、二人がこっちを気にする様子はない。


遺念火いねんび

「いっ……? いねん……?」

「私の地元じゃ、そう呼んでる。こっちじゃ別の名前があるのかな。のこす念の火で、遺念火」

「あの青い火みたいなのが、それなの?」

「そう。あれはね、哀しい恋をして亡くなった恋人どうしの思いが、遺ったもの。私はそう聞いてる」


 津花波さんの白い肌が、辺りの淡い光に照らされて陶器のように輝きを増している。背は私よりも少し高くて、手足も細くて長い。モデルさんみたいにすらっとした体型だ。

 ホントに、キレイすぎるなあ……。こんな時なのに、周りの何よりも津花波さんに惹きつけられてしまう。


「お母さんかお祖母さんに、習わなかったの? そういうの」

「ええ~? 何でお母さん?」

「だって花音、見える人、なんでしょ?」


 静かで、だけど鋭い刃物のような津花波さんの視線。私は射すくめられたように、彼女から目を離すことができなかった。


「見えるって、何……」


 その言葉に、私は白々しさを感じてしまう。

 お母さんにもお祖母ちゃんにも、そんな話は聞いたことがない。だけど、昼でも夜でも関係なく目に飛び込んでくる『何か』、近づいちゃいけないと心が強く命じる『場所』、影が薄くなったり、濃くなったりする『人』――。小さな頃からいやというほど味わってきた『私だけ』の感覚を、津花波さんは分かってる。

 直感だったけど、それは確信でもあった。


「ここも、そうだよ。やっぱり都会だね。こういう場所、普通は谷地とか森とかなんだけど」


 辺りを見渡して、津花波さんは小さくため息をつく。淡々として、だけどちょっとだけ憂鬱そうな表情を浮かべていた。

 聞かなきゃ。津花波さんなら、分かるかも知れない。私が感じてきたこの違和感も、今、ここで起こっている何かも……。


「津花波さん……は、こういうの、見えたり分かったりするの? ねえ、私もずっと前から不思議に思ってた。そ、そうだよ、あと今日ね…… 今朝、夢を見たの。ちゃんと覚えてないけど、確かにここだった」


 この瞬間も、今朝がたに見た夢の輪郭はどんどん崩れていく。どこかに消えてゆく。強烈な焦りが、私を駆り立てる。


「ちゃんとメモったもん。あの二人はいなかったけど、こんな感じの場所で。それからね、津花波さんもいたんだよ! これって、偶然? 津花波さん、何か知ってて……」


「花音」


 私の急き立てる声を遮る、津花波さんの静かな声。私は息をのんだ。



*7


「この道を戻って、最初の四つ角を左に曲がれば、さっきの場所に出るから。今まで何もなかったんなら、これからも何もなくていい。だから」

「だから、何……?」

「今までの場所に帰るのが、いいと思う」


 今までの場所。

 大学に入って、一人暮らしにも慣れて、家族には週一で連絡して、友達とは時々買い物に出かけて――。


 それで、いいの?

 このまま、津花波さんと別れて帰ってもいいの?


「津花波さんは、どうするの? あの二人は? ここってどこなの? ていうか何なの?」

「落ち着いて。私はやることがあるから、ここに残るよ。あの二人は……、今は、あのまま。ちょっと私じゃ手に負えないから」

「私も行く」


 反射的に、そう応えていた。津花波さんの表情にさざ波が立つ。


「私も、行きたい。津花波さんが知ってるコト、私も知りたい。だって、これが何なのか分からないまま、津花波さんは知ってるのに、ひとりで帰るなんてもうできないよ……」


 口に出したら、堰が切れた。後から後から湧き上がる、切実な思い――。今日、ここに来るまでに味わってきたたくさんの違和感が、森を渡る風のように押し寄せてくる。

 思わず、津花波さんの両手をつかんですがり付いていた。


「――戻れなくなるよ?」

「いいの。だって今日、あんな夢を見たんだよ? 何か意味あるって。絶対そうだと思うの」


 津花波さんが、ここで初めて会ったみたいな顔になる。大学じゃ、見たことのないような表情だ。

 困惑してるけど、どこか誘うみたいな……。


「夢って、楽しい夢でも、怖い夢でも、すぐ忘れるじゃん」

「う、うん……」

「あれにも、ちゃんと意味があるんだよ」

「意味って……? さっきの私の話?」


 そうそう。津花波さんが頷く。


「普通の子なら大丈夫だけど、花音みたいな子はちょっと危ない。こういう所に、夢はつながってるからね。これからは、メモとか取らない方がいいよ」


 少し穏やかさを増した津花波さんの表情に、吸い込まれそうになる。そうだ、私、津花波さんと――。


 そこまで。いたずらっぽく笑って、津花波さんが私の唇に人差し指を押し当てた。ひんやりとした感触に酔いそうになる。

 だけどそれは一瞬の出来事で、津花波さんはもうさっきの二人の方に向き直っていた。


「じゃあ、着いてきて。あの二人の横を通り過ぎるから。私の手をしっかり握ってて。あと、絶対に声をかけたり、目を合わせたりしちゃダメ。いい?」


 津花波さんが、右手を伸ばして私をいざなう。その指先に、迷いはなかった。


 ――この手を取ったら。ここから一緒に歩き出したら。私はきっと、戻ることはできない。だけど、行かなかったらもやもやした日常に戻るだけ。

 飛び込もう。

 私は頷いて、津花波さんの手を握った。私の手の方がびっしょりと汗をかいていて、なんかゴメンって気持ちになった。それを口に出してた。


「ゴメン、汗……」

「気にしない。それより」

「……うん?」

「津花波さん、って呼ばれるの、慣れない。名前で呼んで」

「なっ…… 今? え~、なんか急に恥ずかしい」

「いいから」

「あ、朱音……?」

「花音。さっき言ったこと、忘れないでね」


 少し心を許した様な表情の中に、隠せない緊張感がのぞいている。私は息を詰めて、頷いた。


 かつ、かつ。

 朱音と私の足音が、淡い光と、行き交う人たちと、窓からぶら下がったカボチャのランタンの間に不自然なほど響き渡る。


 ハロウィン。地下の扉が開いて、こちらとあちらが行き交う不思議な時間。全ての聖なるものたちの夕暮れ。


 一歩を踏み出すたび、記憶の海に沈みかけていた景色が目の前のそれと淡く重なってゆく。私の手を握り、私を引っ張る朱音だけが現実で、あとは全部夢の中みたいだ。

 「遺念火」の向こう側に見える、幸せそうな恋人たち。無数の仮装姿の人たち。お化けと魔女と、カボチャのランタン。

 この先には、もう戻る道はない。さっき唇に触れた朱音の指先と、夢の中で交わしたキスと、今、私の手を握る感触を頼りに、私は淡い光の中を進んでゆく。

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夕闇 蛍火 夢の続き 黒川亜季 @_aki_kurokawa

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