エッセイを書きま賞2024🥇🥈🥉 受賞作品その3
犀川 よう
「居座る黒歴史/紫雨」に寄せて
「居座る黒歴史/紫雨」
https://kakuyomu.jp/works/16818093087396093883
物語というのは想像や空想あるいは妄想と呼ばれる虚ろなものから始まっていく。何かに憧れ、期待し、悦に入り、願望をイメージする。すべて自分にとって都合のよい世界の構築から膨らんでいく。現実の世界が神が創り出したものであるならば、夢の世界は人が描いたものなのだろう。それがどんなに稚拙で自分勝手であろうとも、その聖域は何者の浸食も受けずに自由にいることができる。最初で最後のオアシスがそこにはあって、創造力を無垢な環境で育ててくれるのである。
わたしが二十代前半に物書きの世界に入ったとき、一番のコンプレックスは「厨二病」を患った経験がないことだった。大変恥ずかしいが中学でグレたり高校で何故かギャルになり、大学では理系の世界でレポートに追われるわたしには空想の世界が入る余地がなかった。常に現実を前に生きてきただけであったので、小学生の頃にお姫様の絵を描いてシンデレラストーリーを夢見たことも、学習ノートに無敵の剣や鎧を描いたり、最強魔法の発明や必殺技の命名をしたり、勇者やモンスターのキャラクターの設定を書いたりしたこともない。夜に飛び起きてポエムを書いたり、ラブソングの歌詞を書いたことも、授業中に机に突っ伏し「この教室がいきなり魔物に襲われて、自分が正義の味方として成敗する」ことを夢想してひとりニヤニヤしていた経験もない。もちろん有名になった際に備えてサインを考えたり、書く練習なんて一度もしたことがない。商業時代は名前を楷書で書いたものがサインであったくらいだ。だから文系出身の物書きの大半が厨二病の重症患者ばかりなのを知ったときはとても驚いた。子供の頃からそんな非現実な事を考える意味が、当時のわたしにはわからなかったのである。
しかしながらそういう(昔のわたしから言わせると)痛々しい経験というのは小説の世界では非常に大事な素養になってくる。事実、文系出身厨二病作家の話はある意味間が抜けている分、逆にリアリズムがあって面白いことがある。理系的な「何もかもが理屈で折り目正しい世界」の方が「世の中」という現実ではマイナーであることを考えると、彼ら彼女らの想像する甘い考えや行動こそが大半の人間の価値基準であり、「普通」なのだろう。これらを是とするのであれば、わたしは妄想のできないつまらない作家と言うことになる。これは残念で悲しいことながら妥当な評価なのだろうと思っている。
紫雨さんは現代っ子らしからぬ(?)原稿用紙で文字を書いている。この点は非常に好感が持てた。わたしも作家時代は原稿用紙と万年筆で書いていた。ワープロ(!)やパソコンのような簡単に文字を書き直せる機械とは違い、ある種の緊張感がある。何度も失敗しては捨てる。すると物理的なゴミが増えていく。鉛筆であれば消しゴムで消せるが、万年筆は小さな修正もままならない。だから頭の中である程度の文章を考えてから書き始める。これが染みついているのでわたしは今も寝ているときに原稿を考えている。頭の中で原稿を書いてみては消したりしているのだ。本稿はそれを骨子に文字に起こしているというわけなのである。ここにパソコンやスマホ世代にはない思考形態ができている。皆さんもぜひ原稿用紙で書いてみてほしい。普段いかに安易に文字を連ねているかわかるのではないだろうか。
話を戻そう。紫雨さんは厨二病を面白おかしく書いている。自分が一生懸命に書いた夢物語を打ち破るのはいつもお母さんだ。お母さんは現実という番人であり、娘の夢想を快く思っていないのかもしれない。しかし紫雨さんは原稿用紙を書くのをやめない。小学校から小説を書くことが楽しくて続けている。どんなに稚拙で荒唐無稽であってもそれは何者も侵すことのできない神聖ともいえる世界で素晴らしいものである。わたしは自分の劣等感から羨ましさすら感じた。――お母さんという存在が現れるまでその魔法の中にいたい紫雨さんの気持ちに深い憧憬を覚えるのだ。
小説を書くのであれば厨二病は恥ずかしいことでも隠すべきことでもなく、大変立派な才能である。このような文章は理屈で前に進めることができるが、物語は作家自身が厨二病という燃費は悪くとも排気量の大きいエンジンを備えていないければすぐに失速してしまう。傍から見れば「いい歳してまだそんな事を夢見ているの?」と言われるかもしれない。しかしながら作家というのは読者に「いい歳してまだそんな事を夢見させる」職業なのだ。であるのなら、少なくとも作家自身は重篤な厨二病患者でいるべきなのであろう。
わたしは大人になった今もおたふく風邪になったことがない状態のようなもので、もしこの歳で厨二病になったら取り返しのつかないことになるだろう。だが紫雨さんくらいの年齢であれば安心して厨二病に浸ることができる。
作家のエネルギーは厨二病具合で決まる。そのことを小さな頃に知っていたら、わたしはもっと面白い作品が書けたのではないかと、紫雨さんのエッセイを見て感じた次第である。紫雨さんにはこのまま厨二病状態を突き進んでもらい、立派な厨二病小説家になってほしいと願う。(犀川 よう)
エッセイを書きま賞2024🥇🥈🥉 受賞作品その3 犀川 よう @eowpihrfoiw
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