台風の中心気圧と「新世界」(3)

 それで、アメリカに行って交響曲や弦楽四重奏曲を書いた作曲家のアントニン・ドヴォルザークではなく、アメリカのアイオワ州生まれの気象学者のヴァーノン・ドボラック(ドヴォラック)さんが開発したドボラック法。

 台風の中心気圧や最大風速を直接に計測できないとき、そのドボラック法で台風の中心気圧や最大風速を推定している。


 ところが、じつは、同じドボラック法を使っていても、その推定値には幅があるらしい。

 台風の中心気圧や最大風速は日本の気象庁も推定しているが、ハワイにある米軍の合同台風情報センターというところも同じくドボラック法で推定を行っていて、その中心気圧や最大風速の数値には差がある。概して、米軍のほうがシビアに(中心気圧は低く、最大風速は速く)推定する傾向があるという。米軍のほうは「最大風速」の定義が違うので、その定義の違いのせいで数値が大きくなることもあるが、それを均してもやはり米軍の推定値のほうが大きいらしい。

 ドボラック法にはかなり厳密な解析手順が決められているけれども、いくつもの仮定を置いて解析している。また、「雲パターン」のどれに当てはめるかなどは主観によって左右されることもあり、その中心気圧や最大風速の推定には幅が出てしまう。

 また、ドボラックさんはアメリカの人だから、ドボラック法はアメリカに出現する「ハリケーン」を念頭に置いて開発されている。ハリケーンも台風も名まえが違うだけで同じ現象なのだけど、海域を取り巻く地形の違いや海の特性などから、アメリカのハリケーンと赤道以北の西太平洋の台風では、同じような形をしていてもじつは強さが違うという可能性がある。

 さらに、台風一つひとつの個性というものもある。強そうに見えて意外と弱いとか、弱そうに見えて意外に強いとかいう可能性もある。


 気象庁は台風の中心気圧予報の誤差と中心近くの風の強さの誤差について検証結果を発表している(ちなみに台風以外の日常的な天気予報についても検証結果は発表している)。

 それによると、中心気圧については四八時間前予報でだいたい一五ヘクトパスカルから二三ヘクトパスカル程度の誤差があり、二〇〇一年から二〇二三年までで平均誤差が二〇ヘクトパスカルを上回った年は五回、一五ヘクトパスカルを下回った年はない。

 二四時間予報では、年平均の誤差は一〇ヘクトパスカルから一五ヘクトパスカルの範囲に収まっている。大ハズレはしていないものの、逆に平均誤差一〇ヘクトパスカルを下回る年がないのも確かだ。

 最大風速については、四八時間前で六メートルから一〇メートルぐらい、二四時間では五メートルから七メートルぐらいとなっている。

 台風は、こういう統計を取るにはそれほど数が多くないので、一つ「大ハズレ」があるとそれに引っぱられて数値が大きくなってしまうし、推定値は「キリのいい数字」(一の位が〇か五)で発表することがあるので、それの影響も考えなければいけない。だから、この「ハズレ」の数値は参考程度に眺めておくことも必要といえば必要なのだけど。


 現在、台風の中心気圧や最大風速を直接測定するのは、そのために研究プロジェクトが組まれたばあいを除くと、行われていない。ただ、可視光線や赤外線だけではなく、レーダーを用いてさまざまな波長の電波を使って行う観測も行われている。

 ただ、私は、理想を言えば、台風の風が吹き荒れる海面での観測ができればいいと思っている。

 台風は積乱雲の巨大な集合体だ。その積乱雲の性質にはまだわかっていないことも多い。線状降水帯の予報が難しいのはそのためだ。

 ということは、台風のような極端な状況の下では、その積乱雲の動きはさらに複雑である可能性があり、私たちがまだ知らないような動きが起こっている可能性もある。それが台風の性格に大きな影響を与えていることもあり得るだろう。

 さらに、海中から、台風による海面近くの海水の「かき混ぜ効果」を検証する、という課題もあると思う。

 台風が通り過ぎると、その強烈な風で海面近くの海水がかき混ぜられる。その結果、台風を生み出すほどに高温だった表面の海水が、もっと冷たい下の海水とかき混ぜられる。したがって海水面の温度が下がる。

 そうすると、台風が通ったあとは海面の海水の温度が下がることになる。台風は海水面の温度が高いと発生し発達するので、台風が通ったあと、海水面の温度が下がった海では台風は生まれにくい、発達しにくい、ということになる。

 この「かき混ぜ効果」そのものが起こることは実証されているけれど、一方で、実際には、前の台風とおんなじようなコースをまた台風が通ってくる、ということもある。つまり、前の台風の「かき混ぜ」で海水温度が下がっても、やっぱりそこを台風が台風のまま通ってくる、ということもあり得るわけだ。

 実際に台風の下でどんな「かき混ぜ」が起こっているか、ということも、調べたほうがいいのかも知れない。

 もちろん、台風の下に船を出したりすると確実に遭難するので、人間が船を出して調べに行く、というのはとても難しい。ただ、無人で、AIなどの操縦による自動航行ならば、なんとかなるのではないかと思う。

 ドボラック法の改善もAI技術を活用してもっと行えるかも知れない。

 ただ、AIによる学習は、事例がたくさんあることが必要だけど、台風の事例は年に二十個程度だ。ドボラック法には気象衛星写真が必須なので、気象衛星がなかったころのデータは使えない。そこで、かりに五十年間のデータがあるとしても、学習に使える台風は一千個程度だ。AIの学習にとってじゅうぶんに多いとは言えない。

 さらに、もし「温暖化」で台風の発生環境が変わっていたら、昔のデータを学習するとかえってハズレてしまう可能性もある。そうでないとしても、エルニーニョやラニーニャの影響などで年によって海面の状況や風の状況は大きく違ってしまう。季節によっても台風の動きのパターンは違うので、そのこともさらにAIの学習には不利だ。

 台風災害がゼロになることは、少なくとも近い将来にはたぶんないと思うけど、いろんな技術の可能性を試すことで、台風による気象災害を減らして行くことはできるのではないかと思う。


 (終)


 この記事の作成には、(アントニン・ドヴォルザークに関連するもの以外で)筆保弘徳(編著)『ようこそ、そらの研究室へ 台風についてわかっていることいないこと』(ペレ出版)と気象庁のホームページ「知識・解説>気象に関する観測と予報の技術の解説…台風」、「各種データ・資料>台風予報の精度結果検証」を参照しました。作者・作成者のみなさま、ありがとうございました。

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続・台風の話 清瀬 六朗 @r_kiyose

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