台風の中心気圧と「新世界」(2)

 一一月三日。

 晴れた!

 昨日は、西日本・東日本大荒れの天気だったのに、それが「うそのような」いい天気。

 しかも、愛称がかわいらしすぎる「キキクル」(気象庁)を見てみても、昨日の大雨の影響はほとんど残っていないっぽい。

 毎年、ある日に、特定の天気が出現する可能性が、統計的な「偶然」の範囲を超えて高いとき、その日を「特異日」という。

 で。

 一一月三日は、晴れの特異日。

 さすがだ。


 *        *        *


 さて。

 台風の衛星画像から中心気圧や最大風速を推定するドボラック法。

 アメリカの気象学者ヴァーノン・ドボラック(ドヴォラック)さんが開発したので、「ドボラック法」という。

 「ドボラック」は、英語の綴りではDvorakとなる。

 この綴りを、気象をやっている人はすなおに「ドボラック」と読むだろう。

 でも、クラシック音楽の愛好者や詳しいひとは、たぶん、この綴りを「ドボラック」や「ドヴォラック」とは読まない。

 たぶん、チェコ語(正確にはDvořákで、「r」の上に谷型の記号がつく)で、「ドヴォジャーク」、「ドヴォルジャーク」、「ドヴォルザーク」などと読むはずだ。

 この「r」は、「r」のように舌を巻き上げながら同時に「z」を発音する音なので、「ドヴォジャーク」がチェコ語の発音にいちばん近いだろうけど、一般的なのは「ドヴォルザーク」か「ドボルザーク」だろう。

 作曲家アントニン・ドヴォルザーク。

 あの、スーパーの閉店の時間とかに、「蛍の光」とともによく流れるメロディーの作曲者だ。

 私は、小さいころに初めて連れて行ったもらったプラネタリウムで、日没のときに流れた曲として初めてこの曲を覚えた。この曲が終わると

「あたりはすっかり暗くなって」

と、星空の解説が始まる。

 なぜあのメロディーが日没や閉店に使われるかというと、曲調もあるだろうけど、この曲に「家路」というタイトルがあって、「家に帰る時間」を連想させるからだ。日本語の歌詞を思い浮かべられるひともいるだろう。

 これは日本だけではないようで、アポロ計画で月着陸を果たした宇宙飛行士が月から地球への帰還のときに最初に聴いたのがこの曲だったと聞いたことがある。ドヴォルザーク没後につけられた英語の歌詞のタイトルは「Goin' Home」というらしい。

 一方で、宮沢賢治はこのメロディーに「種山たねやまはら」というタイトルで歌詞をつけている(種山ヶ原は岩手県の高原の名。賢治のいくつかの作品の舞台となっている)。宮沢賢治が文語で格調の高い詩が書けること、そこに「アルペン農」のように外来語を自然に組み込む才能もあることがよくわかる。

 この「文語詩」作りの才能は、後年、一九三一(昭和六)年、賢治が高熱に倒れ、死を予感しつつ「雨ニモ負ケズ」を手帳に記した後に発揮される。晩年の賢治は、病床で、五七調、七五調、七七調などの「文語詩」の創作にその持てる力を傾注したのだ(ただし、口語詩や童話を書かなくなったわけではない)。

 この歌詞での歌唱は「宮沢賢治の詩の世界 種山ヶ原」で検索すると聴くことができる。

 この「家路」は、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」の第二楽章のテーマとなるメロディー(音楽論では「主題」という)で、哀愁を誘うメロディーを吹いているのはコーラングレーまたはイングリッシュホルンという楽器だ(『響け! ユーフォニアム』では麗奈がトランペットで吹いていたけど)。

 「ホルン」(フランス語「コーラングレ」は「コール・アングレ」と切れ、その「コール」も同じ)はぐるぐる巻いたまるい金管楽器のことだが、コーラングレはホルンの仲間ではなく、オーボエので「低い音の出るオーボエ」である。

 ほかにも、ドヴォルザークは「ユーモレスク」(の第七番がよく知られている)の作者としてもよく知られている。


 ブラームスは、ドヴォルザークについて「こいつがゴミ箱に捨てたメロディーでおれなら一曲書ける」と言ったそうだ。「普通の作曲家なら名メロディーだと思うようなものさえボツにしてしまうほどにメロディーづくりがうまい」という意味だ。

 クラシックの交響曲というと、曲にもよるが、なかなかメロディーが覚えられなかったり、どういう曲なのかつかみどころがなかったりする。聴き慣れた人はそうでもないのだろうけど、何度か聴かないとどんな曲なのかなかなか印象が持てない。

 ところが、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」は、第一楽章から最後の第四楽章まで、そのメインのメロディー(主題)がどれも親しみやすく、すぐに覚えられる(第八番、第七番もいい曲ですよ!)。

 「家路」のメロディーは第二楽章だが、第一楽章、第三楽章、第四楽章のメインのメロディーも親しみやすい。

 大阪環状線のしん今宮いまみや駅で発車メロディーとして使われているくらい。

 なんで新今宮駅でこの曲だろうと思ったら、近くに「新世界」(通天閣のある繁華街エリア)があるからだね。


 チェコ語ではドヴォルザーク(ドヴォジャーク)、英語ではドヴォラック。

 ドヴォルザーク(ドヴォジャーク)はチェコでは比較的多い苗字のようで、ドボラック法を開発したアメリカの気象学者ヴァーノン・ドヴォラックさんはチェコ系だったのだろう。作曲家のドヴォルザークと同じ一族ではないようだけど。


 ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」はドヴォルザークのアメリカ(合衆国)滞在中に書かれた。「新世界」は、もちろん新今宮のことではなく、当時の「旧世界」ヨーロッパに対するアメリカのことだ。

 で。

 作曲家のドヴォルザークさんも、アメリカでは「ドヴォラック」(ドボラック)さんと呼ばれていたんだろうな。

 ……という、台風にはほとんど何の関係もないお話でした。

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