第2話 モーフとケット
高台を降りて町に入る頃にはすっかり日が落ちていた。白い箱型の建物が積み木のように並び、ホタルの光を思わせる緑がかった黄色の街灯がその表面をぼんやりと照らしていた。夜が迫る町にはそれなりの活気があって、家路を急ぐ人や飲食店へ向かう人がひっきりなしに行き交った。町の人たちにはちょっとした特徴があった。寒くもないのに皆もこもこしたツナギに身を包み、同素材のフードや帽子をかぶっているのだ。フードや帽子には動物の耳やツノつきのものもあれば、すっかり着ぐるみを着込んでいる者もいる。浮かれた雰囲気がないから、今日が特別な日というわけでもないようだ。私はなるべく目立たないようにコートのフードをかぶって鼻と口元が隠れるようにマフラーを巻いて宿を探した。
下宿屋を見つけたのは幸運だった。新しくはないが手入れが行き届いた清潔な施設で、なにより料金が安かった。家主は無口な夫婦で、青いフリースに全身を包まれた髭もじゃの旦那が出してきた書類に記入すると、白い羊の耳つきフードを被ったおかみさんが部屋へ案内してくれた。二階には三つ部屋があり、ありがたいことに東の角部屋を借りることができるようだ。彼女は言葉を発しないがにこにこと愛想が良く、そばにいるだけで心が和むような、不思議な魅力のある人だった。廊下には洗面所があり、トイレとシャワー室は共用だった。一階にキッチンと食事スペースがある。ギンガムチェックのカーテンで仕切られたキッチンからは良い匂いがしていて、空腹だった私は早速夕食を頼むことにした。おかみさんはにっこりと頷いてキッチンへ向かうと温かい料理を配膳してくれた。カーテンと同じギンガムチェックのランチョンマットの上に、赤い豆のスープとふかふかの白いパンと新鮮そうなサラダが並んだ。私が食事の前に手を合わせると、おかみさんは少し不思議そうな顔でそれを見ていた。この町にはない文化なのだろう。料理は素朴ながらとても美味しく、夢中で食べているうちにいつのまにかおかみさんはいなくなっていた。
「あなた子供?」
急に声がして、持っていたパンを取り落とすところだった。声の方に目をやると赤毛の少女が立っていた。彼女は帽子やフードを被っていなかったが、くるくるの巻き毛をクマの耳のような形に整えていた。服も髪と近い色と質感のツナギを着ている。
「あなたも喋らないの?ここの人たちみたいに」
黙って観察していると彼女はまた質問した。勝ち気な雰囲気の少女だが悪意は感じられない。単純な好奇心で聞いているらしい。
「いや。私は子供ではないよ」
小柄だけどね、と私は付け足してパンを口に入れスープで流し込んだ。
「なんだ。仲間かと思ったのに」
彼女は少しがっかりしたように言いながらキッチンへ向かい、慣れた様子で料理を並べると私の向かいに腰掛けた。
「私はテディ。あなたのお隣さん」
「私はイスカ。よろしく」
二階の、真ん中の部屋に下宿しているらしいテディに私も挨拶をした。彼女はここの家主と違ってお喋りで、色々なことを教えてくれた。彼女は十歳で、両親より一足早く町に来ることになりこの下宿の世話になっていること。家主の夫婦の名前はモーフとケットで、一人息子がいること。その息子が最近まで西の角部屋に暮らしていたことなど。
「息子さんは自立したんだね」
私がそう言うとテディは首を振った。
「違うの。家出なの」
「家出?」
私は驚いて聞き返した。彼女が言うには、モーフ・ケット夫妻の一人息子であるブランキーは泉の女神に惚れ込んでしまい、そのせいで家を出たらしい。泉の女神は美しいけれど冷酷で、世話役たちは今まで何人も泉に沈められてしまったという。息子がそんな女神のそばに行ってしまって、夫妻は心を痛めているに違いない。
「私はあいつを連れ戻すつもりよ。モーフとケットのためにね」
テディは小さな拳を握りしめて力強く言った。そして私の目をまっすぐに見つめてこう続けた。
「イスカ、手伝ってくれない?」
ピンクの雨が降るところ 末埼鳩 @matsusakihato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ピンクの雨が降るところの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます