アケーディア 【ポロンクセマの憂鬱】

瑞 元 義

ポロンクセマの憂鬱

 標高1万メートルを超える山々、永久凍土は溶けることがなく、その山頂付近は一面、雪に覆われていた。


 人跡未踏の聖域に、生命の息吹は感じられない。

 だが、下界に向かうにつれて山肌は本来の温かみのある、くすんだ赤色へと変化して行く。


 銀世界のはるか下、全体から見るとほとんど麓と言って良いような場所で、毛深い四足獣が岩の隙間から顔を上げ、硬い草をはみながら昇る朝日を見おろしていた。


 山から吹き降ろす風は氷を運び、谷を削り、その跡は川となり、森を抜けて平原へと流れ込んでいく。


 その川のほとりには大小の村々が点在し、村民は朝早くからそれぞれの仕事に勤しんでいた。


 人々に、水源と豊かな土壌とをもたらした清流はやがて合流し、長大な蛇のようにうねりながら、海へと流れ込んでいく。


 河から流れる水の量は計り知れないが、偉大なるマネリス海は何事もないように、小さなさざ波を立て、遥かなる水平線を目指す海鳥たちが、穏やかに飛び交っている。


 その視線の先では、果てしない海と、空とが接合し、スフィアに沿った青い空が天頂まで広がっていた...。




「ふぅ...」


 少年ポロンクセマは息をつくと、真上を見上げる。

 東の空から、太陽は登っているが空は暗い...、スフィアの成層圏が近いのだ。


 何色にも染まっていない純白の髪、透き通った肌、着ている着物は、かすかに発光しているかのように見えるほど白く穢れがない。


 白より白く、銀世界を白く切り取ったような少年の浮世離れした印象に、緋い瞳が拍車をかけていた。


 辺りは静まり返り、人跡未踏の聖域は今日も凡百の立ち入りを許さない。

 

 ポロンクセマは、額の汗を手の甲で拭い、階段状に切り出された山肌を見回した。


 表層の永久凍土は、山肌に沿って切り出され、赤い土が露出している。


 ポロンクセマは作業の進捗に満足し、手に持っていた鍬のような道具を引きずりながら、朝日を横目にみずからが形づくった踏面ふみづらを歩く。


 巨大な岩を切り出した段差が幾つも連なり、天への階段を形成していた。


そろそろ、雨の季節だ。


「はぁ...」


 ポロンクセマは、巨大な階段の縁に腰掛けるとため息をつく。

 白いまつ毛が、憂鬱そうに下を向いている。


 数えるのも馬鹿らしいほど繰り返してきた、雨の季節の手順を思い返す。

 空気を攪拌し、より分け、解放する。


 そうすることで、雨が降り、山には水が蓄えられ、やがてその水は川を流れ、少年が愛するこの世界を潤す。


 それは、この星が万全の状態を維持するためのシステムの一つだった。 


 ポロンクセマには使命がある。

 地球人類のため、この星を開拓し彼らの楽園を創り上げるのだ。


 楽園は出来た、とっくの昔に。

 地球人類を何年待ったか、数えるのをやめたのはいつだったのか。


 そんなことを忘れてしまうほどの長い時をポロンクセマはこの世界と過ごしてきたのだ。


 暇を持て余している訳では無い、雨を振らせて循環を促し、地質を維持管理するため山を切り出す、下界の村々の争いが大きくなれば仲裁に出向くこともあった。


 自らの使命を自覚し、日々邁進する。その繰り返しに、報われる日々に、飽いているのだ...。


 ポロンクセマは、地球からこの星に到達した時のことを思い出す。


 その頃、少年自身の自我はなく、なんであれば人の姿でもなかった...。  



 『RT-No.5』と名付けられた液状物質は、葉巻をかたどった姿でこの星に飛来し、この星の薄い大気を貫き、地表に到達後、速やかに地中に染み込み、この星の岩盤層に到達した。


 兼ねてよりこの星のマントルプリュームは、地球ほど活発では無いものの、その活動は確認されており、それを刺激し反応が確認された時は、液状の体が震えるような感動を覚えたものだ。


 星を地盤から改変し、地中の物質を変容させながら、自己を増殖させ、しばらくを過ごした。


 ある程度自己を成長させると、やがて地中から針を突き出すように七つの塔を屹立きつりつさせ、そこから薄い膜のようにした自己を絶えず放出する。


 その膜は、大気を代替し、この星をスフィアと呼ばれる七つの世界に分けた。


 それぞれのスフィアに合わせた、七つの人型に分裂しそれぞれのスフィアを管理し始めたのは、効率上当然の帰結だったのであろう。


 元はおなじ物質だったにもかかわらず、それぞれ個性的な自我が発生したことには皆一様に驚いていた。


「寂しいなぁ... 」


 まだ、それぞれのスフィアが不完全だった頃、お互いに協力していた在りし日を思い出し、ポロンクセマは独りごちる。


 地殻からマントルを刺激し星を温める、2つの衛星を極地に落とし氷を溶かす。

 今は大きくなり空を形づくるスフィアも、最初は人が数人入れるかどうかという広さで、少しずつ大きくなって行ったのだ。


 スフィアの中には海ができ、彼らにとって生命を育むゆりかごとなった。


 いつの間にか、昆虫が発生していたが、気づいた時にはすっかり生態系に溶け込んでおり、駆除することが、難しくなっていたのは苦い思い出だ。


 誤算もあったが、産まれてくる全ての生命は彼らにとって我が子そのものであり、愛おしかった。


 最後に生まれたこの星の人類は、最終的にポロンクセマたちと共に地球人類を出迎え、彼らに共に仕える仲間となる。


 地球人類の似姿として創造した彼らを、事更に愛おしく思っている。


 自らの創造主と出会い、我が子と共に彼らに仕える日を...

 地球からの連絡を待ちながら悠久の時を過ごしてなお... 夢に見るのだ。


 ポロンクセマは何度見あげたか分からない自らが創り出した天球を仰ぎ見る。


 いつの間にか朝日は昇り切っていて、物思いにふける時間の密度を実感する。


 スフィアの光学原理により地球と同じサイズに拡大された太陽がちらりと揺らめいた気がした。


「...?」


 眼球機能の障害か......? それともスフィアのレンズ機能に問題が......?

 いずれにしても、普段ならありえないことだ。


 何も変化しない日常に、遂に自分の制御機構も耐えかねたのか?


「......。」


 ポロンクセマは、山の麓の村々に目を向ける。

ポロンクセマ自身が創った理想郷は今日も慎ましく、健やかに繁栄していた。


 もう少しだけ待ってみよう。


 ポロンクセマは真昼の悪霊アケーディアを振り払い立ち上がると、空気をかき混ぜるために両腕を大きく広げ、空へと突き立てた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アケーディア 【ポロンクセマの憂鬱】 瑞 元 義 @psrhy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

参加中のコンテスト・自主企画