毒のような物語に心を揺さぶられてみませんか?(自己責任でw)
- ★★★ Excellent!!!
物語とはなんのためにあるのだろう。
楽しくなるため。溜飲を下げるため。意思を奮い立たせるため。優しい気持になるため。
そんな前進や平穏を促すことを効能とする物語は数多くある。
が、一方で、
辛くなるもの、暗い気持になるもの、怒りがこみ上げるもの、無常観に囚われるものなどの、後ろ向きとしかとれない物語も、やはり少なくはなく存在する。
前者は「良い物語」で後者は「悪い物語」なのだろうか?
もちろん、そんな簡単で丸投げな区分けで論じるのはあまりにも乱暴だ。
そもそも受信機たる読者が個々のユニークな存在である以上、信号の捉え方、変換の仕方も千差万別であるはず。
前向きだろうが後ろ向きだろうが現状維持だろうが、その全てが物語に触れて起こる化学変化なのであれば、いかなる物語にも意義はあり、存在は認められる。
誘発される感情によって決められるのは「好悪」だけだ。
そして、その物語の「良悪」は、テーマや結末ではなく伝達方法たる表現(小説であれば文章)でのみ図られるべきである。
本作を嫌悪する受信機は少なくないかもしれない。だがそれは、本作が良作であることと背反はしない。
本作を読んでどのような感情を抱くのは受信機たる読者の個々で大いに異なるだろう。そしてそのことは、本作の伝達能力が十二分に高いことの顕われでもある。
一受信機の僕が変換してはじき出したのは「感情による行動制御の破綻と感情による破綻行動の遂行という二律の相似性」だった。
が、もっと端的に言えば、「心を揺さぶられた」となる。
しばらくは忘れられないかもしれない。