第34話 何故、印象に残ったのか
「犯人はお姉さんだったってこと?」
「えぇ。これに関してはトリックらしいトリックではないのですが」
時久はどうやって俊太の姉、美香が母親を殺害したのかを話す。まず、茶碗蒸しを残していた美香は朝、母がダイニングキッチンから離れた隙に、隠し持っていた蜂蜜を冷蔵庫を漁るふりをして茶碗蒸しに塗った。
蜂蜜の瓶を野菜室の奥に隠して何でもないように俊太と一緒に家を出る。それから昼頃にメッセージを母親に送った。
『昼までに戻れそうにないから昨日、残した茶碗蒸しはお母さんが食べて』
昼食時であるタイミングでそのメッセージを見た母親は『昼食に食べるね』と返事を返していたのだ。
「えぇ! それ警察が調べればすぐに分かっちゃうことじゃん。なんで、そんなバレるようなことしたの?」
「彼女はアレルギーを甘く見ていたのですよ」
アレルギーによるアナフィラキシーショックの危険性を美香は理解していなかった。少し苦しむぐらいだろう程度だったのだ。昼過ぎには弟の俊太が帰ってくるので多少、苦しんでいてもどうにかなると。
アナフィラキシーの緩和補助治療剤であるエピペンを隠したのも、それの重要性を知らなかったからだ。長く苦しんでほしいからといった理由で隠したらしい。
「死ぬとは思っていなかったんですよ、彼女は」
いつも弟と比べられ、なかなか上がらない成績に説教されて、ずっとそれが続いて嫌になった。自分たちの苦労も知らず簡単な事だなんて言ってくる母を懲らしめたかったのだと、美香は泣きながら話していた。
アレルギーの浅い知識で、これで自分たちの苦労と同じ苦しみを味わえばいいと。死ぬなんて思わなかったと自白して、彼女は泣き崩れた。
「ちょっとした反抗だったんです。けれど、自分の軽い考えと無知によって母親を死なせてしまった」
「なるほど……。でも、天上院くんが印象に残った理由って何?」
これだけ聞くと印象的な事件だとは思えない。由香奈の疑問に時久は「自分がどれほど幸せであったのかを知ってしまったからでしょうかね」と答えた。
「彼女は弟と比べられてずっと育ってきたようでした。なかなか上がらない成績を頭ごなしに叱られて、弟は褒められて。勉強して、勉強して……それでも母親には認められなくて、辛かったでしょう」
やってしまった行為は許されるものではない。例え、知識がなかったからだとしても、誰かを苦しめるような事は。結果として、死亡させてしまっている以上、罪となってしまう。
けれど、彼女の苦しみというのは誰にも分からない。本人だけにしか理解しえない苦痛であり、悲しみだ。それを見て見ぬふりをしていた父親にも責任はあるだろう。
泣き崩れながら自分の苦しみを叫ぶ姿を見て、時久は自分は恵まれた環境にいたのだなと実感した。
父は警視という立場ではあったものの、教育に厳しいというほどではなかった。もちろん、善悪などはしっかりと教えられたのだが、それでも成績が悪かったからと叱れたことはない。
テストで悪い点数を取ってしまったら「そういう時もある」と、励ましてくれていたのだ、父は。母も勉強しなさいなどしつこく言うこともなく、自分のペースでやりたいようにやりなさいといった感じだった。
塾に入ったのは時久の自分の意思だった。苦手意識のあった科目について少し勉強してみたと思ったことがきっかけだ。両親に強制されたわけでもなく、勧められたからでもない。
教育を押し付けられて、成績に縛られたことがなかった。彼女の苦しみを見て、自分を育ててくれた両親の優しさに気づき、それらが一般的ではないことを知って、時久はこの幸せを忘れてはいけないと思った。
それでいて、押し付けることも、当然であると決めつけることもしてはいけないのだと。
「自分がどれほど恵まれた環境に居て、幸せであるのか。それを知ったきっかけだったので印象に残っていましたね」
「そうか……。人を殺してしまうって、恨みとか殺意があるものばかりだと思っていたけど、こういうこともあるんだね」
由香奈は「わたしも恵まれているかな、家族に」とぽつりと呟いた。その表情は時久が気づいた時のようで。彼女も同じように感じてくれたのだろう。話を聞いていた飛鷹もうんと頷く。時久の言葉が、感情が伝わったようだった。
「でも、事件に関わり過ぎてるのってやっぱり大変だよね」
「そうですね。恭一郎さんがいるとはいえ、安全であるわけではないので。あと、変に噂されたりしますから」
「噂はそうだよねぇ……。二学年に上がる頃にはもう探偵っていう噂は広まっていたし……」
「おかげで塾をやめることになりましたよ」
「そうなの!」
事件に関わって実績を積んで得てしまった信用のせいで、東郷と顔を合わせることが多くなった。それは塾の日であっても変わらず。もちろん、東郷も周囲に配慮はしていたけれど、噂というのは広まるものだ。
塾内で探偵の真似事をやっているなどと言われて揶揄われたり、遠巻きに陰口を言われるようになってしまった。そうなると勉強もやりづらく感じて、時久は塾を止めることに。
ただ、勉強したいことはある程度できたので、多少は残念に思いはしたものの、辞めた後悔はなかった。
「それは……なんというか……」
「で、今度は演劇部の連続殺人事件で学校中の噂の種になっちゃったんだよね、時久くん」
「元々、噂はされていましたからもういいですよ。気にするだけ無駄です。本当の事なのですから」
事件を解決したのは事実なのだから周囲の反応を気にするだけ無駄だ。そういった噂話をする人間というのは物珍しさでやっていることなのだから。飽きればごみを捨てるように次の話の種へと移っていく。
そういうものだと時久は周りのことなど無視している。関わるだけ面倒であり、疲れるだけなのだから。
「天上院くんってメンタル強いよね。だから、中部さんが死のうとした時も落ち着いていられたのかな」
「どうでしょうかね。ただ、私は感じたままのことを伝えただけですよ」
死者を救うことは生きた人間にはできない。代わりに復讐したからといって、それが救済になるとは限らないのだ。
愛した人は貴女が殺人犯になることを望んで、喜ぶ人間だったのか。ただ、そう問いかけただけ。
「彼女を愛していたからこそ、中部さんならばそれを理解しているはずだと、そう思っただけですよ」
「天上院くんって優しいよね」
「そうでもないでしょう」
「いや、殺人を犯した人間にさ、そうやって諭せるのって難しいと思うよ」
わたしは怖かったものと由香奈は話す。同級生の女子が二人も殺害したことが、目の前で死のうとしていたことが、信じられなくて怖かった。
いろんな感情が心を満たして、どんな言葉をかければいいかなんて浮かばなかった。後から自分って冷たい人間だなって自己嫌悪してしまったと、由香奈は視線を落とす。
「時久くんは優しいよね、あたしもそう思うよ。親しい人の頼み事も断れないしさ」
「そこを突かれると否定ができませんね……」
「そこは誇っていいよ、時久くん。ゆかっちも気にしない、気にしない! 他にも聞きたいことがあるんじゃないの?」
「そうだった! やっぱり、探偵と刑事のコンビって良いと思うのよ! ぜひ、警部との関係性を……」
由香奈が興奮したように早口で喋る声が予鈴の音にかき消される。あ、と言葉を零したのを見て時久は「さて、昼休みも終わりですね」と立ち上がった。
「うわーん! これ聞きたかったのにぃぃ!」
「また今度ということで」
「逃がさないからね! 放課後、覚悟しておいてよ!」
なんですか、それはと時久が振り返れば、由香奈が絶対に聞くもんと何故か胸を張って言っている。これには飛鷹も肩をすくめてしまっていた。
どうして、こうも気になるのでしょうかね。時久は不思議に思うが、諦める気のない様子に「わかりましたよ」と折れた。
やったーっと、喜ぶ姿を横目にさて何を話せばいいのだろうかと考えて――スマートフォンが震える。確認すれば、噂の人物からで。
「皇さん、今日の放課後は無理そうです」
「なんで!」
「お呼びがかかったので」
そう言ってスマートフォンの呼び出し画面に映る東郷恭一郎という名前に、由香奈は察したようだ。彼はまた、事件を解決するのだろうと。
END
天上院時久の推理―役者は舞台で踊れるか― 巴 雪夜 @tomoe_yuya
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