第33話 塾の友人宅で起こった事件
それは夏休みに入った八月、お盆前のことだ。時久は通っていた塾で知り合った他校の友人、
短く切り揃えられた黒髪が良く似合う明るい同級生で、悩みがあるように見えなかったが、話を聞くに母親に問題があるようだ。
俊太の母は典型的な成績重視の結果が全てな人間だった。少しでも成績が下がれば説教されて、まともに遊びにも行かせてもらえない。ゲームなんて一日に一時間もできればいいほうだ。
俊太は勉強についていけており、成績は優秀なほうで怒られる回数は少なかったが、どうしても欲しいゲームがあって母に相談したところ、『次の塾のテストの結果次第』となったらしい。
満点をとる勢いで好成績を母に叩きつけてゲームを確実に手に入れたい。でも、一人で黙々と勉強するのは飽きるので、一緒に勉強会をやらないかという相談だ。
自分一人でも勉強はできるが、誰かと一緒のほうが捗るのだと言われて時久は「いいですよ」と引き受けた。時久自身、夏休みの課題を片付けるのに丁度よいなと思ったからだ。
俊太は予習復習が得意なのは塾での態度と成績でよく知っている。自分のやることを邪魔はしてこないだろう。たまには喋ったりしながら勉強するのも悪くはないと軽い気持ちで。
俊太に「オレの家でやろうぜ!」と提案されて、時久は午前中にあった夏期講習を終えた後に彼の自宅を訪ねた。立派な二階建ての一軒家に住む彼は「母さんには言ってあるから」と、玄関のカギを開ける。
「大丈夫なんですか?」
「塾の友達と勉強するって言ったら余裕で許してくれたよ」
時久の成績も伝えたら喜んでたと教えられて、なんとも言えない感情を時久は抱く。一定の基準を満たさなければ、友達とは認められないということではないかと。
俊太自身は特に気にしてはいないようだが、親のせいで友達を選別されるというのは寂しくはないのだろうかと思ってしまう。けれど、時久はそうとは口に出さなかった。
他所には他所の都合があるのだから、それに他者が口を挟むことは難しい。子供であるならば尚更だ。余計な争いは誰も望んではいないだろう。だから、時久は深く聞くこともしなかった。
「母さーん。塾の友達を連れてきたー」
玄関を開けて俊太が母を呼ぶ。けれど、返事はない。あれっと俊太が首を傾げながらもう一度、呼ぶけれど声はしなかった。
「おっかしいな。今日は何処にも出かける予定はないって言ってたけど……」
玄関にある靴を確認して、「母さんいるじゃん」と俊太が呟く。足元には女性物の動きやすそうな靴があった。
電話中だろうかと耳を澄ませてみるも、声はしない。俊太が「トイレかな」と言いながら、室内へと上がって歩いていく。時久も後を追えば、彼はリビングルームの扉を開いた。
「母さんいるー……っ、母さん!」
俊太が大声を上げて荷物も投げ捨てるように走った。何事だと時久が目を向ければ、ダイニングテーブルの傍で女性か倒れているのが見える。
母さんと駆け寄る俊太の様子に倒れているのが彼の母親のようだ。時久も急いで近寄れば、声に反応せず意識ない。
(呼吸が止まっている……)
時久がそれに気づいて俊太を見れば、彼はパニック状態になっているのか、何をすればいいのか分かっていないようだった。ただ、母さんと呼び掛けている。
「シュンさん、救急車を呼びます」
「き、救急車……」
これは駄目だと時久はスマートフォンを取り出して、119番通報をした。
連絡を終えた時久は倒れる俊太の母の状態を確認する。首元を押さえるように倒れて、発疹のようなものが浮き出ていた。
ダイニングテーブルには陶器製の容器が置かれている。中身を覗いてみれば、茶碗蒸しのようだ。
(心臓発作、あるいは食べ物が原因……重度のアレルギーによるアナフィラキシーショック……)
毒物によるとそこまで考えて時久は首を左右に振った。それを捜査するのは警察のすることだと。今は救急車が来るのを待とう。時久はパニック状態にある俊太を落ち着かせるために声をかけ続けた。
*
「川崎俊太くんの母である豊子さんは蜂蜜アレルギーによるアナフィラキシーショックで死亡した」
俊太の自宅、リビングルームで時久はそう言われてじとりとした目を向けた。そんな視線に東郷恭一郎警部は困ったように見つめ返す。
あれから救急車が来て俊太の母は病院に運ばれたが、治療が間に合わずに亡くなってしまったのだ。
俊太の母は珍しい重度の蜂蜜アレルギー。アレルギーによるアナフィラキシーショックの死亡率は低いとはいえ、重度であればその確率も上がってしまう。
重度のアレルギー持ちである母は普段から蜂蜜を摂取しないように気をつけていたので、おかしいと俊太が主張したことと、自宅の死亡ということで事件性が無いかの確認ために警察に通報されて――第一発見者である時久は現場に呼び出された。
捜査の結果、茶碗蒸しに蜂蜜が含まれていたことが判明している。さらに俊太の証言でいつもダイニングテーブルの傍の棚に置かれていたはずの、アナフィラキシーの補助治療剤であるエピペンが無くなっていたということも。
「茶碗蒸しは豊子さんの手作り。アレルギーに気を付けていいたはずの彼女が自分の意思で摂取するのは考えにくく、そもそも茶碗蒸しに蜂蜜は入れない。エピペンも無くなっていたことも怪しく、事件性が考えられる」
「で、第一発見者である私と俊太さんに発見当初のことを現場で聞きたいと」
「話が早くて助かるよ」
現場を実際に見て話を聞かないと分からないこともあるんだ。東郷にそう言われて時久は「私はこの家主ではないので気づけないこともあるかと思いますが」と、前置きをしてから発見時の状況を再度、説明した。
ダイニングテーブルの傍で倒れていたと話して、そうですよねと隣に立つ俊太に声をかける。彼はうんと頷きながらも思い出してか今にも泣き出しそうだ。
そんな息子にお前は悪くないよと父親が言葉をかけている。俊太の姉は黙って茶髪に染められた長い髪を弄っていた。
「茶碗蒸しは前日の夕飯に出たものです、恐らく」
言葉を上手く話せないでいる俊太の代わりに父が答える。前日に茶碗蒸しが出されたこと、けれど多めに作ったなどは聞いていなかったと。
「妻が蜂蜜アレルギーなんで、蜂蜜の類は自宅に無いはずで……」
間違って使うなど信じられないという証言に東郷はなるほどと顎に手をやる。時久はそれを聞きながらどうやって茶碗蒸しに蜂蜜が混入したのだろうかと疑問を抱く。
俊太の父の証言が正しいのならば、自宅には蜂蜜はないということになる。けれど、茶碗蒸しには含まれており、被害者本人の手作りだった。
自分自身で摂取するならば別に茶碗蒸しに含ませなくてもいいはずだ。自殺をするにしてももっと他に良い方法はいくらでもある。
(自殺に見せかける……にしても不自然。茶碗蒸しに蜂蜜を薄く塗れば、目立たない。重度のアレルギーならばその程度の摂取量でもアナフィラキシーショックは引き起こす……)
では、誰がそれをやったのか。考えられるとするならば、自宅を自由に出入りできる家族だ。俊太、父、姉の三人になる。
(どこかに蜂蜜があれば……いや、処分された後か)
そんなことを考えていれば、東郷が三人の事件当日の行動を聞いていた。「豊子さんの死亡時刻前後の動きが知りたいので」といった理由で。
「仕事に言ってまして……八時には家を出ています」
「俺は十時からの夏期講習に間に合うように九時には家を出て……姉ちゃんはどっか出かけたよな?」
「わ、わたしは本を買うために書店へ行ったわよ」
「美香と俊太は一緒に家を出たのか? その時までは母さんは元気だったんだな?」
父の問いに俊太の姉である美香は頷いた。俊太と一緒に家を出たが、その時までは元気だったと。
俊太が帰宅したのは十三時過ぎだ。死亡時刻も十二時半から十三時となっている。誰かが家を訪ねてきた形跡も、そんな話も聞いていない。
(この茶碗蒸しが鍵なような気がしますね)
時久はそう思って「茶碗蒸しは全員食べたのですか?」と俊太に問う。
「え? オレは食べたよ。母さんの作ったの美味しいから、父さんも食べてたし……あれ?」
「どうしましたか?」
「姉ちゃん食べてなかったよな」
びくりと美香が肩を跳ねさせる。時久はその僅かな反応にすっと眼を細めた。
「シュンさん。お姉さんは事件当日の朝、キッチンに立ち寄っていましたか?」
「えっと……あ、うん。母さんが父さんの見送りをしてる時だったかな。冷蔵庫を漁ってた」
別に冷蔵庫を覗くのは普段でもやってるから怪しいとも思わなかった。俊太はそれがどうしたんだよと不思議そうにしている。
「お姉さんは冷蔵庫から何か取り出しましたか?」
「オレが見た限りじゃ……なかったかな?」
「冷蔵庫、拝見しても良いですか?」
時久の言葉にはぁと俊太が声を上げた。それは彼の父もで何を言っているのだといった表情を見せている。けれど、姉の美香だけは違っていた。
ぴきりと固まった表情。それに東郷が気づかないわけもなく、「一応の為、確認させてください」と時久をフォローする。
捜査のためと言われては断ることもできない。許可が下りので、時久は東郷と一緒に冷蔵庫の中を確認した。
中身は綺麗で掃除が行き届いている。雑多に入れられてはおらず、几帳面さがうかがえた。冷蔵庫に入っている食品を確認しながら、時久は野菜室の見て指をさす。
東郷が視線を向けて――それを手にした。
「蜂蜜の瓶が何故、此処に?」
「え、えぇ! うちにあるわけが、そんな……」
困惑する俊太に時久は「家を出て行くまでの間、お母さんと話しましたか?」と質問する。
「いってきますぐらいかな、話したの」
「お姉さんは?」
「同じだったよ」
「なるほど……。東郷警部、お姉さんか被害者のスマートフォンから、メッセージアプリなどの履歴を確認していただけませんか?」
恐らく、昼頃に連絡しているはずです。時久の言葉に東郷が美香へと目を向ける。彼女はポケットに入れていただろうスマートフォンを握り締めていた、隠すように。
僅かに震えている様子に彼女が何か知っているというのは誰の目から見ても分かることだった。
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