弱き者、汝の名は男なり。

 私は常々、NTRれる男に必要不可欠な素質は二つあると思っている。
 一つは、善良な正しき男であること。
 もう一つは、女を己の腕の中に繋ぎ留められない、弱い男であることである。
 この作品の主人公は、弱き男である己に抗った。物語のクライマックスの彼は、己の人生で最も強き瞬間だったであろう。
 しかし――彼は届かなかった。NTR小説である、という予定調和を抜きにしても、彼の敗北はあまりに自明だった。どれだけ強くなろうが、彼は『善き人』だったからである。
 かぐや姫の無理難題に応えようとした求婚者達に喩えるなら、彼は大伴御行や石上麻呂のように、正面から難題を説こうとした真っ直ぐな性根な男だったからである。
 正しく善き者が、歪んだ性根の悪しきものに敵うわけがない。この物語の作者の南沼氏は、アウトローを描く事には定評がある(……と私は思っている)が、この作品にもその筆致は十二分に発揮されている。純朴な男子高生だった主人公の前に、ミサキと共に岡田が登場し、噎せ返るような『悪』の兆が立ち込めて物語は加速する。
 私は格闘ものは大好物である。立ち合いの行方を、二手、三手、と予想しながら読むのも一つの醍醐味だ。磯村と岡田と立ち合いの、私の予想はこうだった。岡田がボクサーというのはフェイク。オープンフィンガーグローブと砂地というリングから、岡田は恐らくレスリングかBJJをベースにしたMMA。立ち技で磯村が岡田をKOしたと思い、勝利の雄たけびを上げる瞬間、足を刈られてグラウンドに持ち込み、卑怯だ反則だと泣き言(正当な抗議)を言う磯村を岡田が締めて終わりか、と。
 私のこの試合予想は、良い意味で裏切られる事になる。
 主人公がどのように負けるかは、その目でしかと確かめて頂きたい。
 しかし、いずれにせよ、結末は貴方の想像する通りになるだろう。
 男と男の戦いは、女の前で蹲ったものの負けなのだから。
 そして、負けた男が強者に女を眼前で奪われるのを歯噛みしながら見上げるのは、NTRの残酷な定めなのだ。