取材記録・裏 其の二:動き出す

 香が勤めている会社が求人を出したので、あたしは応募した。

 香のSNSから、同僚が辞めて仕事が忙しくなるという情報は既に得ていたので、その求人が彼女の部署の補充要員の募集であることは容易に察することが出来た。


 香と違う髪色にし、顔はメイクと眼鏡で誤魔化す。骨格レベルで判別できるような人間でもない限り、これであたしと香が双子だと感づく人はそう居ないはず。


 採用までの道は、あたし自身が驚くほど呆気なくて、偽装した経歴と簡単な持ち込み資料を見せ、愛想を振り撒いただけですぐに決まった。


 就活サイトなどでは、後日採用可否の通知がくるのが一般的と書かれていたが、この会社は余程切羽せっぱ詰まっていたのだろうか、「いつから来られるか」、「なるべく早くしてほしい」とその場で懇願された。


 初出勤の日、配属されたのは希望通り香と同じ部署。事前に学習していた内容は思ったよりも役に立っている。

 先輩ウケのいい後輩の演技も、上手く行っているようだ。言われたことを淡々とこなし、尚且つ彼女らのお株を奪わない程度にアシストする。


 出来なさ過ぎれば舐められ、雑務を教育の一環として押し付けられる。やりすぎれば嫉妬の対象となり、彼女らの視界に入っている間、ずっと足を引っ張られ続ける。


 とにかく彼女たちに邪魔をされたくなければ、使えない新入りと優秀な新人の間を上手く行き来しなければならない。これらは既に学習済みのこと。


 〝普通〟の人間として社会に溶け込むためには、細やかな人間関係の構築スキルを求められている。


 インターネットである程度の予測はできていたけど、実際にそれを体感してしまうと、〝普通〟の人たちが〝普通〟で居られるために、余計なことへリソースを割いて生きていることがよく分かった。


 ある程度の地盤が固まった頃、香との距離を詰める段階に入る。休憩時間や上司の居ない間にする彼女との世間話では学習の成果がはっきりと出ていた。好きだったドラマや芸能人の話、学生時代のあるある話。彼女はそれらの話を微笑みながら共感しているように見えた。


 でも、あたしが彼女になるためには、彼女のもっと深い部分を理解していく必要がある。


 予定と少し違ったのは、芸能人の不倫や不祥事のニュースについての話題。香はそういった話題があまり好きでは無いようで、話がそっちの路線に進むと、なんとかして別方向に切り替えようとしていた。


 彼女の同僚たちが上司の陰口を言っているときですら、香は話を合わせようとすらしない。ある日の休憩中に理由を訊いてみた。


「先輩は、どうして人の悪口や陰口を避けるんですか?」

「うーん。どう言えばいいかな。ユミは、人の悪口って……言ってて楽しい?」


 あたしは回答に困った。そもそも何かに対して楽しいと思ったことがないから。〝普通〟の人が〝楽しい〟を行動の原理にすることがあるのは理解できていたが、あたしがその感情を理解するには学習の期間が足りていなかったのかも知れない。


「楽しいって訳じゃないんですけど、周りと一応話は合わせておいたほうがいいのかなって」

「そう。だったらユミ。――あなたはそんな話題に首を突っ込むべきじゃないわ」

「どうしてですか?」

「悪口や陰口はね、いつか必ず自分の首を絞めるの」


 香の瞳は、あたしを見ていながらも、どこか遠くを見つめているかのような気がした。彼女の返答が宗教めいたロジックだということはなんとなく分かる。その考えが他人の悪口を楽しいものと思えなくしているのだろうと。

 香が何故、そう考えるようになったのか、それを理解しなければ彼女になることは出来ない。


「――っていうのもね、完全に母の受け売りなの」


 少し恥ずかしそうに笑いながら香は呟いた。

 母……。香の母であり、あたしの母でもある、あの写真に写っていた女性。最近になって死んだということは、香のSNSを通して知っている。


「お母さんって、どんな人だったんですか?」

「私の母はね、私にこんな事を教えるくらいだから本当に人の悪口とか言わない人だったわ。私達母子おやこを置いて、妹を連れ去った父への恨み節を除いてね」


「恨み節……、ですか?」

「そう、恨み節。『香はあの男みたいな奴に騙されちゃ駄目よ』とか、『耳当たりの良いことしか言わない男には気を付けなさい、泣きを見る頃には全てが遅いの』とか。最期まで何があったか詳しく教えてくれることは無かったけど、言葉は選びながらも強い恨みや後悔が伝わってきたわ」


 あいつは母と交際している間、人間の皮でも被って生活していたのだと思う。あたしと同じように。

 嫌でも血の繋がりを感じさせられる。


「なんか、変な話しちゃったね。ごめんね、ユミってなんかお話しやすいから。なんか他人じゃないような気がするっていうか、何ていうか」

「いえ、気にしないでください。あ、そういえばお母さんは妹さんについて何か言っていなかったんですか?」


 何でそんな事を訊いたのか、自分でも分からない。


「妹のことはね、亡くなったってことはお母さんから聞いたわ。お母さんはずっと、あの子のことを〝可哀想〟な子って言ってた」


 あたしに何があったのか知らないくせに、あたしが今までどんな生き方をしてきたか知らないくせに。

 あたしが死んだって、簡単に騙されているのだって、所詮他人ひと事でしかなかったから?

 香は大事に育ててきたくせに。


 〝可哀想〟の一言で済ますんだ。


 あたしはその時初めて、眼の前に居る同じ遺伝子を持って産まれた人間に、今まで知らなかった感情を覚えた。心臓を思い切り鷲掴みされているかのような。


「そうですか」

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掌の中の闇 あああああ @agoa5aaaaa

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