取材記録・裏 其の一:糸の切られた人形は
あまりにも呆気ない死に方だった。
あたしは物心ついたような頃から、あいつの欲望の捌け口として生かされてきた。
男手ひとつで育てた、なんて言えば聞こえはいいかもしれない。でもあたしを育ててきた金は、あいつが弱い誰かからタカって作った金と、何も知らなかった頃のあたしが映った、……気持ち悪いことをされている映像の売上金。
債務者というべきか、被害者の一人が、あいつを滅多刺しにした。あんな
あいつが居なくなってから、あたしは自由にテレビを見て、ネットを使うことが出来るようになった。咎める人が居なくなったから。いつまで
あいつに唯一感謝できる点は、現金主義だったってことくらい。まあ、アシがつくのが怖くて預けられなかっただけかもしれないのだけど。
自由になった私はまず、学園ドラマを観た。行ったことがなかったけど、行かなきゃいけない場所だったってことを初めて知った。
子育てブログを読んだ。意外だった。殴ったり蹴ったり、子どもに欲情したりしない親のほうが多数派だった。
恋愛もののアニメを観た。世界は〝愛してる〟なんて気持ちの悪い言葉で溢れかえっていた。
あいつと同じ様なことをして、捕まっていた男のニュースを見た。寄せられていたコメントには、〝こいつに育てられてた子どもが可哀想〟なんて書かれていた。
あたしは〝可哀想〟なの?
顔も声も知らない何処かの誰かが貼った〝可哀想〟っていうレッテルは、どうやったら剥がれるんだろう。
あいつが残していった荷物。まだ全部は片付けられていない。
その中に、一枚の写真がある。
あいつに抱かれた赤ん坊の頃のあたし。そして知らない女と、そいつに抱かれた赤ん坊の写真。
女はあたしを産んだ人らしい。そして赤ん坊は、あたしの双子の姉。名前は
彼女の名前を検索すると、いとも簡単にSNSのアカウントが見つかった。中学生の頃あたりからずっと使われている。
あたしは彼女の呟きを、足跡を、全部、全部読み込んだ。
彼女の日常は、ドラマやアニメの脇にいるような登場人物、日記ブログの筆者、掲示板で自分語りをしている人のそれと何ら変わりのない、〝普通〟そのもの。
あたしの知っている〝普通〟じゃない〝普通〟。
同じ遺伝子をもって産まれたあたしが香になったら、あたしはその時〝可哀想〟じゃなくなるのかな。
香のことを、もっと近くで見てみたくなった。もっと彼女を知りたくなった。
もし彼女が〝普通〟を持っているのなら、あたしは香になってみたい。
同じ職場にでも行くことが出来たら、もっと彼女を
でも、問題が一つだけあった。
あたしは法律上、とっくに死んでいる人間だったから。
これはあいつが死んでからの手続きでいろいろと判ったこと。どうやら幼い頃に遭難し、死亡を推定されたことになっている。
手続きを踏めば戸籍を取り戻すことが出来ることは分かったけど、〝可哀想〟な戸籍を取り戻したいなんて気持ちは微塵も湧かなかった。警察に関係を問われた時も、偽名を使った上で恋人だったってことにしていた。
だからあたし、
香に近づくためには、まず社会に上手く溶け込むことが必要。その為には〝普通〟というものを学び、戸籍も手に入れておくべきだろう。
誰の物かも分からない戸籍を手に入れるのは簡単だった。インターネットで探してみたら、どうやって入手したのか分からない他人の戸籍を商品にしている業者が簡単に見つかった。
数ヶ月もしないうちに印鑑登録証や住民票、――どうやったのか分からないけど――あたしの顔写真にすげ替えられている期限のまだ残った運転免許証などが届いた。その日からあたしは〝ユミ〟になった。
あたしが汚い金の一部を注ぎ込んで手に入れた〝ユミ〟という仮の名は、きっとどこかで誰にも知られずに死んだか、名前を捨ててどこかへ逃げた人の名前なんだと思う。
あとは〝普通〟というものの学習。あたしの〝普通〟が世間一般とかけ離れていることは電子の海を泳いだおかげか身に沁みて理解している。
だからあたしは、彼らの〝普通〟と、人間の社会に溶け込む手段を貪欲に
平成初期生まれの女性が好きな芸能人、ドラマ、懐かしい文化を学習。
恋愛観や死生観、他愛のない日常の中で彼らが感じたものを学習。
怒りと悲しみ、笑いの表情を学習。模倣。喜びの表情だけは、どうしても理解が出来なかった。
調べ上げた香の職場で働くために必要なスキルを
朝も昼も夜も、何日も何週も何月も学習を重ねた。
あとは香を学習し、模倣し、手に入れるだけ。
待っていてね、お姉ちゃん。
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