取材記録・後編:取材を終えて
――――その日の夜――――
俺は
ほかに誰も残っていない探偵事務所の中で一人きり。カップのコーヒーは
いつからか、交換を先延ばしされた蛍光灯は、チカチカと点滅している。
素行調査や浮気調査、ペット探しを主体とする探偵業を営む俺は、ある男性から依頼を受けていた。「婚約者である香の様子が最近おかしい、浮気をしていないか調査をしてほしい」と。
でも、尾行をしている最中に感づかれてしまった。しかも、彼女の方から「何か御用ですか?」俺に話しかけてきた。探偵失格レベルどころの話ではない。
その時にたまたま、
「自分の職業はホラー系Webサイトのライターで、この町の取材をしていたところ、ついつい香さんのことが気になって、追いかけてしまったんです。すみません」
と言い、いざとなった時の為、用意していたダミーの名刺を渡していた。
面倒なことに彼女はオカルト話が好きだったみたいで、逆にどんどん食いついてきた。引くに引けなくなった俺は仕方なく、取材というテイでついでに浮気でもしていないかどうか聞き出そうと考えた。
「もし、この町にまつわる怖い話を知っているようでしたら、教えていただけたりなんて、できませんかね」
我ながらひどい口説き文句だったが、彼女は喜んでそれを引き受けた。
「ええ、分かりました。とっておきの、怖い話を持っていますから楽しみにしておいてください」
ってね。
もう滅茶苦茶だよ。
それで後日、喫茶店で待ち合わせをして聞いたのが、今まさに聞いている、昼間に録音したデータの話。
まさか、彼女が人を殺していただなんて。
カップに残る冷めきったコーヒーをぐいっと飲み干す。喉を通る冷たい苦みで、俺は少しばかりの冷静さを取り戻した。
勿論、彼女の発言をすべて鵜呑みにしている訳では無い。彼女の発言には不可解な点がいくつもあったからだ。
まず、彼女がユミとトラブルになった日、真夜中のアパート、しかも廊下で大声を出して、誰もそれを疑問に思っていなかったのかという点。
そして、事件が起こる前と後で、香が自分に話しかけられた他人の言葉をハッキリと覚えているような鮮明さに変わった点だ。
まるで「事件が起きる前の香は知らないけど、今の香は私です」と言っているかのような。
何より不自然だったのは、彼女がユミを突き飛ばした時の証言だ。階段に向かって走っていた香がユミに捕まったところまでは良い。
ただ、そのあとどうやって、香はユミを階段の下に向かって突き飛ばしたのか。
素直に考えた場合、先に階段へ辿り着いていた香が階段に向かってユミを突き飛ばすケースであれば、どこかで位置関係を変えている必要がある。
もちろん話では説明していないだけで、位置関係に変動のある
そして何より、最後まで彼女の口から自分に婚約者が存在していることが語られなかった。それが一番の疑問だった。
彼女が本物の香なら、婚約者に自分の置かれている状況を相談くらいしているはずだ。ただの付き合いたてカップルなんかじゃあるまいし。
実際、依頼人もここ数年の彼女について気になった点を訊いた時に、「おかしな後輩に付きまとわれているという相談をされたことはある」と言っていた。
香は本当に、依頼人の婚約者なのだろうか……?
そもそも、〝香〟は本当に〝香〟なのか……?
事実は小説より奇なり、探偵小説の読み過ぎだろうか。とも思ったが、彼女を取材している間、その不自然さが完全に晴れることは無かった。
そして、俺はある一つの仮説を立てた。
本当は、殺されたのが香で、あの喫茶店で俺と話をしていた香はユミなんじゃないかって。
もしそうであれば、彼女は自分の姉――そもそも姉妹関係の設定から嘘である可能性はあるが――を殺害し、彼女に成り代わり何食わぬ顔で生活していて、
そしてわざわざ、俺みたいな得体の知れない人物にその話を怪談かのように話す、とんでもないサイコパスであるとも言える。
しかし、この法治国家日本で、そんな簡単に一人二役の生活ができるものなのだろうか?
だから最後につい、おそるおそる訊いてしまったんだ。
「お前は本当は誰なんだ」って。
まあ、見事にはぐらかされてしまったけど。
耳からイヤホンを抜き取り、加熱式たばこの煙を深く吸い込む。肺に広がったベリーの香りは脳天にまで届くような感じがした。
そういえば、彼女は別れ際に俺のことを「探偵さん」と口走っていた。わざとらしく。
俺の正体が探偵だってことは、十中八九バレていると見て間違いないだろう。
それにしても、仮にそれが真実だったとして、ユミが香と入れ替わって生きることにどんなメリットがあるのだろうか。それだけは考えても考えても、思いつく気がしなかった。
ただ、
「あんなに憎んで」
……と。本物の香は、ユミを気味悪がったり拒絶したりする要素があっても、憎むような理由なんて無かったよな……?
俺は
ただ、探偵の端くれとして、見逃してはならない事件の尻尾を握ってしまっている可能性だってある。
このデータは信頼できる知人の刑事に渡すことにしよう。今からまとめる推測だらけの意見書と一緒に。
――――突如、呼び鈴が鳴った。
こんな真夜中に一体、誰が営業終了とフダに書かれている探偵事務所のチャイムを鳴らすんだ。まったく。
俺は重い腰を上げソファから立ち上がった。ゆっくりと歩く間にも、呼び鈴は鳴り続ける。
ピンポーン。ピンポーン。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。
ピンポーン。
そして玄関に辿り着いた俺は、ドアをゆっくりと開けた。
「はい、
・真章へ続く ?
⇒YES NO
掌の中の闇 あああああ @agoa5aaaaa
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