シスター
雨森透
エマ
この静養所にはカレンダーも時計も無くて、ですから私たちの感じる時の流れはひどく曖昧で、どうしようもなく本能的でした。風の温もりと匂いで季節を知り、空の色と太陽の高さで凡その時刻を感じ取るのです。
慣れてしまえば苦ですらなく、私にはむしろ息がしやすく思えました。
私がここに居を移したのは、齢七つの頃。
どうぞ、ここにいらした時のことを思い出してくださいまし。階段を上りきると、立派な門と、それには少し見劣りする素朴な一軒家が構えておりましたでしょう。
改修工事こそ幾度かございましたけれども、あの風景のさまは昔から変わっておりませんの。十にすら満たなかった私も、貴方と同じ景色を眺めましたのよ。
ええ、それで、あの時点では歳の近い少年少女たちが七人居て、そこで先生と呼ばれる若い女性と暮らしておりました。
私も含めこの施設に来た子供たちはみな感染症に罹っており、それが治るまで隔離せねばならなかった。先生はその病の免疫を持つというこの世でも数少ない人間で、しかも教師の経験があるとかでこの施設で教鞭を取ることになったと伺いましたわ。
当時はまだ対処療法が発見されておらず、手の打ちようがございませんでしたので、それ以外の手立てなどありませんでした。
もちろん、住み慣れた家や家族と離れることは寂しいもので、ましてやあの頃の私は幼かったものでありますから、別れ際に涙ぐむ両親の姿が延々と脳裏によぎり、初日は夜通しですすり泣いたものでした。
そんな心細い最初の夜が明けると、私の腫れぼったい眼を見た先生は静かに微笑み、不安そうな私を自室へと招き入れ、様々なお話を面白おかしく語ってくださりました。
先生のお部屋には暖炉があり、冬の早朝でしたからパチパチと音を立てて赤い火花が散る様子がよく見えました。私たちに宛がわれた部屋よりも遥かに立派なものでしたが、若者の貴重な時間をこの寂れた山の上で費やすというのですから、多少は豪奢な部屋でなければ釣り合わぬというものです。
暖炉の前には白く柔らかなラグが広がっていて、二人でそこに座りこんで過ごしていました。
すると、次第に他の子供たちも集まってきて、終いには皆で先生のお話を聴いていたのです。それから皆で協力して朝食を用意し、天気の良い日だったので庭先で遊んで──……ええ、ですから、その頃には私の小さな脳みそから孤独なんて文字や概念は遥か遠くまで飛んで行ってしまって、実のところ未だに戻って来ないのです。
嗚呼、ごめんあそばせ、昔を懐かしむと、ましてやこの頃の話となりますと、どうしても話が弾んでしまって。ご安心を、そろそろ閑話休題といたしましょう。
この施設にエマという少女が訪れたのは、もう半世紀も前のことになります。
彼女は私よりも三つか四つ年上でしたから、確かここに来たときは十代の半ばだったはずです。
丁度、一人の子供が完治したところでしたので、入れ替わるように彼女はやってきました。子供たちの二段ベッドは一人が去ったことで順が繰り上げられ、後ろから数えて一と二だった私たちは同じ部屋で過ごすことになったのです。
ですから、貴方が私の元に尋ねて来たのは正解であると言えましょう。
よく手入れされた金の長髪を靡かせて門を潜った姿は、今でもはっきりと覚えております。私は生粋の庶民でしたが、一目見ただけで、明らかに良家の娘であると分かりました。
彼女のトランクの中には豪華で眩い衣装が幾つも入っており、先生はそのさまに驚愕して押し黙ってしまいました。きっと、想像もつかないほど値の張るものだったのでしょう。しかし、彼女は「不要なものを押し付けられただけよ。だって、これら全て半世紀も前の様式だもの」と言って、興味の無さげな冷めた様子でした。彼女は元々私たちと違う世界に住んでいたのでしょう。だって、あんな美しい衣装、私は生まれて初めて見たのですから。
ええ、外野が何と騒ごうとも、本人がそのようでしたので、その高価な衣装の数々は部屋のクローゼットで常に私のみすぼらしい衣類の隣に掛けられて仕舞ってありました。どれも普段着には不向きでしたので、彼女はいつも先生が用意したワンピースを着て過ごしておりました。確かに、彼女の持って来た衣装は総じて日常生活には不便そうでしたから、そうせざるを得なかったとも言えましょう。
そのような、華々しい物にはあまり興味を示さない少女でした。彼女が一等大切にしていたのはシルクのキルティング生地で作られた外套でも、アーミンの毛皮の襟巻でも、レースの手袋でもなく、ただ一冊の聖書だったのです。彼女は子供たちの中で唯一文字が読めて、ですから、つまるところ、音読ができた。
彼女は敬虔な信徒でしたから、施設に礼拝室が欲しいと先生に頼んで、物置にしていた小部屋を特別に間借りしていました。
聖堂まがいの白塗りの小部屋は、当然ながら教会のような彩鮮やかなステンドグラスなどありませんでした。申し訳程度にと物置の奥で眠っていた材木の切れ端を十字に組ませたものを奥の壁に掛けて、ガタガタと揺らぐおんぼろな丸椅子を幾つか並べただけの、ひどく簡素なものでした。
しかし、彼女がそこで礼拝を行っている姿はとても様になって見えるものでしたから、皆は彼女をシスターと呼ぶようになりました。シスター・エマと。
彼女以外の子供たちは、私も含めて、宗教というものを何となく上辺をなぞった程度にしか理解が及んでおりませんでしたので、説法は分からずとも修道女をシスターと呼ぶということは知っていたのです。私もそのようなものでした。貧しかったとはいえ、幼い頃から親に連れられ毎週教会に通ったものですから。
私は同室だったのもあって、そのままエマと呼んでいました。いつからか先生も彼女をシスターと呼ぶようになっていましたから、変えなかったのは私だけだったのかもしれません。姉のように慕っておりましたから、わざわざシスターと添えると何だか却って遠い存在のように感じてしまうのです。私たちは皆、共に暮らしていて、彼女はすぐ目の前にいるというのに。
子供たちの秘密基地となっていた小部屋でしたが、礼拝室となってからは丁重に扱われるようになりました。
彼女は穏やかで優しくて、決して他人を貶めるようなことはしません。もちろん、育ちが違いますから常識の乖離は度々目撃しましたが、私たちはそれについて揚げ足取りのようなことはしませんでしたし、彼女も施設の面々との交流を通して異なる暮らしを受容していきました。
ええ、私たちはこの施設において家族でしたもの。少なくとも私がここで暮らしていた間、喧嘩はあれど、仲違いは一度も起きませんでしたのよ。
エマはここに来る前に女学校に通っていたようで、そこでの経験を用いて、私たちに文字の読み書きを教えたり説法を行うなど先生を手伝うようになりました。先生も彼女も教え上手でしたから、分かり易くて、皆すぐに上達しましたわ。この施設に『七日に一度の礼拝』の習慣が生まれたのも、この頃でした。
彼女は上等品そうな銀のロザリオを常日頃から首に下げていましてね。ネックレスの部分に幾つも通っている美しい緑の小さい珠は、エメラルドなのだそうです。子供たちはそのエメラルドというのがどれほど素晴らしいものか知らなかったのですが、彼女が慈しむように何べんも撫でる様子を見て、ガラス玉に勝るほど素晴らしいものであることは分かっていました。
子供たちは皆、先生やエマの教育のおかげで誠実な若者へと成長していったため、ロザリオをはじめとする彼女の高価な所有物を盗ろうなんてことは誰一人としてこれっぽちも考えていなかったでしょう。質素な暮らしでしたが、それは『困窮』ではなかった、というのも大きな要因でしょうね。窓辺で陽光に透かしたら綺麗な翠の影になるんだろうか、だとか、そんなことを口々に言っては各々思いを馳せていました。
戦時中は配給制でしたから、食事が硬いパンひとつや芋だけということもありましたが、それでも子供たちは心豊かであれたのでした。
そうした生活が二年ほど続いていました。その間に完治して施設を出ていった者も、新たに入ってきた子供もいました。
静かな循環に身を委ねていた私たちは、いずれ来たるであろう出立の日を少し憂鬱に思っていました。ここを離れたらもう、否が応でも子供ではあれなくなる。私は、いいえ、私だけではないことでしょう。家族の元に帰ろうと考えて故郷に戻ったとして、帰る家も家族も見つからないかもしれない。居場所はここ以外に残っておらず、アイデンティティの大半は全てここで息づいたのですから、離れがたかった。
世の喧騒から少し離れていて血で汚れることもなかったこの白く慎ましい家こそが、もはや終の棲家にしても構わないほど大きな存在として心に根差していたのです。
普段と何一つ変わらない昼下がり、間延びした温い空気の流れる礼拝室には、その日、私とエマの二人しかいませんでした。礼拝の日ではなく、昼食後の自由時間で、各々が好きな場所で好きなように過ごしていましたからね。
この時間帯の私たちは、ほとんど毎日ここで読書していたのです。彼女が前列の中央の席で、私は後列の窓側の席で、約束していたわけではなかったのですが、ずっとそれが習慣になっていたのです。ですから、この時間で会話は一度もしませんでした。聞こえる音と言えば、外で遊ぶ子供たちの声や、風が吹いて窓が揺れる音、紙を捲る音、椅子が軋む音など、それくらいなもので、私たちの読書を遮ることはありませんでした。
その日──秋の深まる頃のことです、エマは珍しく口を開きました。「貴方たちは戦争孤児よ、私もそう。もう帰る場所なんてない、そんなのないの」と、唐突にそんなことを言い出しました。
己の家族が今どのようにしているのか、どこに住んでいて、戦場はどこまで広がっているのか、私は殆ど知らずにいました。ただ、漠然ともう二度と会えないような気はしていたので、酷くショックを受けるようなことはなく、これからの人生の前提を再確認したくらいの感覚でした。
一方、エマは自暴自棄のように見えたので、私はその言葉の真意を探るでもなく、いつものように相槌を打ちました。誰だって限界というものがあります。彼女の優しさは無尽蔵ではなく、誰かのために、或いは己のためにと感情を抑えていることだってありましょう。私が彼女のように万人に優しくなるというのは難しいことでございますが、他ならぬ友のガス抜きに付き合うくらいのことであれば出来ると思ったのです。
彼女は激昂するでもなく、ただ淡々と事実を陳列するように語っていました。しかし疲れ果てた様子で、彼女を知る人間から見ればそれが明らかに異様であることに気づいたでしょう。
「ここは静養所なんかじゃない。私たちは感染者でも何でもなく、……ただの、孤児。捨て子。私たちは捨てられたのよ」と、彼女は溜息と共に零しました。
この暴露には──ええ、少し驚きましたよ。ずっと、私たちは病に罹っているのだと、疑いもしませんでしたから。喉に膜が張ったような感覚がして、私は暫く物を言えなくなってしまいました。あれを、動揺と言うのでしょう。
彼女は次いで「そんな理屈はすべてまやかしであると、先生も認めていらっしゃったわ。子供を手っ取り早く遠ざけるためのね」と言い添えました。
思えば、定期検査も無く、治療行為と呼べるような事のひとつもありませんでした。瞬間、この世の根底の常識がひっくり返った、要は天変地異の心地で、きっと放心していました。時間をかけて何べんもその事実を咀嚼しましたのよ。もし病が無いものとしたら、何故私たちは親元を離れてここで過ごしているのだろうと、そんな問いに辿り着くのは必然でした。そうしたら、もうねぇ、捨てられたのだと、それしかないじゃあありませんか。この年になれば、私は守られたのかもしれないと、そう考えることも出来ますが……あの頃の私たちには眼前の事実しか見えませんでした。
貧しい家の育ちでした。それはもう、施設での暮らしの方がうんと豊かに思えるくらいには。私にとっての幸せがどちらの生活であったのか、今でも答えを出せておりません。経験した方しか分かりませんもの。
「純白のクリノリン・ドレスには金糸でアラベスク模様の刺繍が施されているの。アーミンの毛皮の襟巻は、お祖母様のお気に入りでね。それからシルクの外套とレースの手袋はお母様が今の私くらいの頃にお父様から頂いた贈物で、ブーツは私がスイスへと発つ際に姉様が贈ってくださったの」
彼女の言葉から、クローゼットに仕舞いこまれた幾つもの衣装を思い浮かべました。毎日、クローゼットを開ける度に視界に入りますから、いつの間にか何があったか詳しく覚えてしまっていたのです。
「大切なものなの。私の全財産、私の全てなのよ。私にはもうあれらしかない。お金に困ったら全て売ってでも生きなさいとお母様は仰ったけれど、私にはきっと出来やしないわ。私だけ戦火の中から逃がされた。もう家に帰ってくるなとお父様は仰ったけれど、もう帰る家そのものがないのよ。ずっと、この先どうしたらよいのか分からないまま、時間だけが滔々と流れて掴めず過ぎゆく」
施設で暮らす少年少女の大半が十未満のうちに親元を離れていましたが、彼女はそれより数年遅かった。つまり、『エマ』を築いた日々の殆どは過去にあるのです。彼女はそれらを戦火の中に捨て置いて、親が手配したこの施設へと独りでアルプスに逃げて来たのでしょう。
彼女は不意に立ち上がり、危うい足取りで私の隣の席に座りました。この世の全てに絶望し、脱力して雪崩れ込むようでもありました。
エマが何処の国から来たのかは、終ぞ聞けないままでした。彼女はドイツ語もフランス語もイタリア語も流暢で、周囲との交流に臆するような人でもありませんでしたから、二年かけても解れを一つも見つけられなかったのです。ただ、スイスの人ではなかった。私が分かったのはそれくらいなものです。
「主が何をお考えなのか、私には分からない。私はただの人の子で、修道女でもないのにシスターと呼ばれ尊敬され、それに浮かれながらも応えたいと思い、しかしあえなく空回ってしまうくらいの、浅慮な人間だもの」
何度音読しても、何となく救われたような気持ちにはなるけれど、現実は依然として変わらない。私が行動しない限りはどうしようもないのでしょうけれど。──と、彼女はぽつぽつと呟きながら、胸元の十字架を握りしめた。
学があっても人はこうなるのか、と私はその姿をぼんやりと見つめていました。祈りよりも切な、懇願でした。ここはまだ安穏の地でありましたが、国を出れば戦場が広がっていて、美しいステンドグラスのある教会などは砲弾で吹き飛んでしまっているのかもしれない。私は今どこでどんな状態になっていて、そもそもどの国が戦っているのかということをちゃんと理解してはおりませんでした。ただ国の外では大きな戦争が続いていると、それだけの情報で物事を考えていたのです。私は学が無かったから幸せであれたのかもしれない、とも、少しだけ思わずにはいられませんでした。
陽が差し込んでエマの横顔を照らし、木枠の影で翳らせていました。仮にも礼拝所の、つまり神の真正面で、神への疑念を語る彼女の姿は色褪せてもはや写真のようでした。彼女は祈りを止め、まだ動揺の少し残る私を見ました。
「貴方を傷つけてしまおうと思った。残酷な現実で切り裂いてしまえばいいと思った。貴方の肌はこんなに柔らで、いつも朗らかで、世の醜さのこれっぽちも知らなさそうだったから。私は、本当に浅はかなの」とエマは私の右頬を少しつねって、それからすぐに手を離した。彼女に引っ張られた頬肉が残した違和感は、痛みこそなかったものの、私にこれは現実のことだ示すに足るものでした。
ですが、吐き捨てた彼女の方が悲痛な表情をしていたということばかり、鮮烈に残っておりますの。
彼女のきめ細やかな頬を伝う珠のような涙は、窓の向こうの秋晴れをこれでもかというほど映していて、エメラルドよりも眩しくて、涙は青いのだと思い知りました。
白くて冷たい壁は、迸る熱を冷ましてその場を凌ぐには丁度よいものです。ひとしきり涙を流したエマは、壁にぺたりと頬をつけて、熱を外へと分け与えていました。それを真似した私を、彼女は一目見て可笑しそうにくすくすと笑い出しました。窓の隙間からは外のそよ風が漏れていて、眼前を通り過ぎる冷風が心地良かった。私たちは窓一つ分を隔てて、その熱と涼を共有していました。
部屋はこんなにも白いのに、硝子一枚隔てた向こうは目が眩むほど青々しくて、彼女の「戦場も晴れているのかしら」という小さな呟きが、眠気を誘う昼間の空気に溶けていきました。私はその輪郭が無くなる様を見届けてから、「さあねぇ、砂埃が酷くてこの部屋くらい白かったりして」と少し意地悪なことを言ってしまいました。
「少しでも早く、家族皆がこの青空を見上げられるようになればいいのに」と彼女は気にした様子もなく続けるので、私は控えめに曖昧な相槌を返しました。私とて浅慮であったのです。
そうそう、彼女の話をするならば、是非こちらをお見せしないと。彼女が持っていた銀のロザリオです。別れの際に、餞別として彼女が手渡してくれましてね、今生ずっと身から離さず持っていてほしいと頼まれたのです。私は今でも敬虔と言えるほどの熱心ではありませんが、彼女の言葉通り毎日朝から晩まで首に下げておりますのよ。就寝の時にだけ外して、丁寧に磨いてからその輝きに見劣りしないしっかりとした箱にしまうのです。
私は彼女よりも先に施設を発ちました。戦争が終わって一年と経っていない頃のことです。それからは手元にあった少しの金で商売をしながら、世界各地を巡っておりましたのよ。結局、最後はこの国に腰を据えたのですがね。
数年前からはここで孤児院の院長をしておりますの。ええ、隔離のための静養所ではなく、正真正銘の孤児院を。
そのような訳ですので、施設から出たエマについてを私は何も知らないのだけれども、貴方は何かご存じなのかしら? ──いいえ、答えずとも結構。
貴方が彼女を知っているということだけで、私は嬉しいのですよ。これ以上満たされたら、早々に召されてしまいそうだわ。まだやりたいことも山のようにあるから御遠慮させていただきますわね、……なんて。
貴方が何故エマを知ろうとし、どのようにして私の元へと来訪なさったのかということは、私からは聞かないでおりましょう。老い先長くないものですから、このような老婆には知らずともよいことなのかもしれません。どのような答えでも、未練が膨らんでしまいそうですからね。
ええ、ありますとも、未練など山のように。懸命に生きて、それでもなお過去に執心したくなることもあるのですよ。あともう少し若ければ、などと。そのような、初めからどうにもならないことを、ずっと惜しく思っておりますの。
それにしても、久しぶりに過去の話が出来て、良い機会をくださって本当にありがとうございました。その場限りの家族というのは本当に言葉通りでして、施設を出てからも連絡は取り合っていたのですが、みな二度目の大戦以降そういうのも途絶えてしまいましてね。誰が生きていて、今どうしているのかというのも、もう何も分からないのです。
とはいえ、それも一つの在り方でございましょう。共に暮らしていた、家族のような存在だった、そんな思い出が無意識であろうとも『その人』を形作っている。たとえ思い出せなくなろうと、充分ですのよ。それすらも叶わず、理不尽に取り上げられてしまうことだってあるくらいなのですから。
そろそろ、お時間ですね。
では、貴方と、それから彼女の行く先が良いものであることを願って、アーメン。
シスター 雨森透 @amamor1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます