怖い先生

壱原 一

 

小学校中学年の頃、教育実習の先生が来ました。


すんなりした中背で、くっきりした黒い眉と、物怖じしない目の力、きゅっと微笑んだ口元が印象的な先生でした。


普段と違う先生、しかも相対的に歳が近くにこやかな先生ですから、自分も含めた級友達は総じて興味津々でした。


授業中やたら積極的に手を挙げたり、休み時間や給食の時間に益体のない質問を投げ掛けて逐一盛り上がったり、皆すぐ打ち解けたと思います。


校庭で鬼ごっこや大縄跳びをしたり、教室でお絵描きやオルガン弾きをしたり、真摯な情熱のこもった授業は無論の事、沢山の楽しい思い出を積み上げて、先生の最後の授業が行われました。


先生は、にこにこと、人の命の大切さについて授業したいと言いました。


いかにして人の命が生じるか。その発端となる行動や、誕生までの生物学的な過程、途中で断たれるとき医術的にどのような処置が行われるか。


誕生した人の命が、どのように社会へ登録され、人的、金銭的なリソースを投じられて成長するか。途中で断たれるメジャーパターンの紹介。断たれてから埋葬までの儀式的、社会的処置の流れなど。


先生は、それらについて、極めて具体的な動画や画像、体験者の述懐を含んだ文書等を織り交ぜながら、矢継ぎ早に、畳み掛けるように、滔々と教授しました。


自分は、家が畜産を営んでいたので、生き物の血や肉や骨、生殖や傷病や死が相応に身近でした。同年代では比較的耐性を備えていたと思います。


けれど、そんな当時の自分をしてさえ、先生が提示し、読み上げる資料には、生理的ないし本能的な忌避と嫌悪を禁じ得ない内容や表現が、少なくありませんでした。


受け取る側の精神の成熟が、教授する内容に見合っているか、微塵も考慮していない。胸が焼けて胃がもたれるような、おどろおどろしい生々しさを、相手に突きつけ、直面させる事に、偏執的にこだわっている。


まるで、自らがそうした生々しさから受ける脅威や圧倒の感覚を、相手が知らず、無頓着に居る現状が、堪え難く不快で打ち破らずにはおけないとでもいうように。


先生の物怖じしない目の力、きゅっと微笑んだ口元が、分厚く、どこかぶよぶよとした堅固な体裁と、そこへ隠されたぐらぐらと煮えたぎる攻撃性の象徴の如く感じられました。


そしてまたその攻撃性が、一見して攻撃とは覚られないよう巧みに取り繕われた上で、自分達に向けられていると感じられ、当惑と、落胆と、理解の及ばない恣行への怯えの内に、滞りなく授業が終わりました。


立ち会っていた担任の先生から、「教わった事を良く考えて自分の命も人の命も大切にしてゆきましょう」と、何の変哲もない締めの言葉が入りました。


終わりのチャイムが鳴り、皆で起立し、礼をして、銘々に席を離れ始める級友達は、皆そろって普通でした。


今うけた授業に一切ふれず、担任の先生と連れ立って退室する先生にも目を呉れず、昨日発売した漫画の話をしたり、次の時間の授業の準備をしたり、トイレや水飲みに行ったりしていました。


あまりに誰も触れないので、胸のもやもやが渦を巻き、どうしても吐き出したくなりました。


放課後の帰り道で、校舎から随分はなれ、親しい級友と2人きりになった時、ここぞとばかりに話題に上げた結果、「そんな話してなかったよ」と、心の底から怪訝な顔で、やや鼻白んだように応じられました。


とても受け入れられなくて、翌日以降べつの数名にも密かに話を振りましたが、却ってこちらが先生へ突拍子のない難癖を付けているかの風情に扱われてしまい、ますます煩悶が深まった数日後。


教育実習が最終日を迎え、ささやかなお別れ会が和やかに催されて、先生はにこにこと朗らかに学校を去ってゆきました。


*


お別れ会で、先生は、真摯な情熱のもと、クラスの1人1人に宛てて、手紙を書いてきてくれました。


素敵なメッセージカードに、イラストが描かれていたり、シールが貼られていたりして、みんな大喜びでした。


自分が受け取ったカードには、こう書いてありました。


□□さん、あまりお話しできなかったけれど、じゅ業を受けましたね。お父さんと同じ、りっぱな消ぼう隊員になれるように、がんばってください。そして、お家が火事になったら、たすけてあげて!Bye!


左に、燃える家と、窓から乗り出して両手を差し伸べる人が描かれていました。右に、消防車と、ホースの先から垂れる水滴のシールが貼られていました。


家は畜産を営んでいました。消防隊員を夢みた事はありませんでしたし、父親が消防隊員の級友は居ませんでした。


丁寧に仕上げられた、要領を得ない手紙を、不可解に繰り返し読んでいたところ、最後の授業で見せられた、人が途中で断たれるメジャーパターンの1つの焼け焦げた写真が、脳裏にありありと呼び起こされてきました。


とても気持ちが悪くなって、保健室へ行き、早退し、帰りに少し寄り道をして、人目につかない路地裏のどぶへカードを捨ててしまいました。


万一だれかが通っても、何がかいてあるか毛ほども見てほしくなくて、厚地の紙をぎゅうぎゅうつねり、できるだけ千切って捨ててしまいました。


*


大人になった今でも、外出の折など、ふと見た先に、雰囲気や恰好が似通ったすんなりした中背を認めると、くっきりした黒い眉と、物怖じしない目の力、きゅっと微笑んだ口元がこちらに振り返る気がして、頭や腹や、気分が、ぐうっと重くなる事があります。


短からぬ学生時代、怖い先生は多くいましたが、あの先生だけは、怖さの趣が違いました。


みんな急性のストレスで、特殊な集団ヒステリーのように記憶を封じてしまったのか。それともまさか本当に授業を受けていないのか。


きっとこれからも一生わからないままだと思います。



終.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怖い先生 壱原 一 @Hajime1HARA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ