そのバンギャ、2度目の推し活を満喫する

碧井ウタ

01:予想外のニュース

 久しぶりの貴重な二連休の最後の夜。

 優花ゆかは、憂鬱という名の海の中にいた。


「はぁー……」


 夕食を食べ終わった二十一時頃から、アパートのワンルームの部屋には何度も大きなため息が響く。


 眠りについてしまえば、また明日という名の現実がやってくる。

 時計の針が進むにつれて、彼女の心はどんどん沈み込んでいった。



 この二日間。

 優花が出かけたのは、近所のスーパーだけ。

 溜まっていた家事を嫌々やっつけて、あとはゴロゴロして過ごした。


 独身で、友達も少ない。

 おばさん。そんな風に呼ばれる歳になってしまった優花の休日は、いつもこんな感じだ。


 人生を楽しんでいる人たちから見たら、退屈でつまらなく見えるだろう。

 しかし、優花にとっては、実に幸せな時間だった。


 アラームに叩き起こされずに好きな時間に起きられる。

 二度寝、三度寝をしたっていい。

 太陽が出ているうちに、ポテトチップスを片手にビール。

 ご飯を作るのが面倒くさければ、ピザのデリバリーを頼んでもいいのだ。


 仕事がない、自由な時間。

 それだけで、優花には十分に幸せだった。


 そんな夢みたいな幸せな時間が、終わりを迎えつつあるなか。

 優花は、ベッドに転がって携帯をいじっていた。


「仕事、行きたくない」


 そんな独り言を呟きながら、なんとなく見ていたニュースサイト。

 気になる見出しを見つけては、適当にタップして流し読みをしていく。


「はーあ……、つまんないな……」


 すでに目ぼしい記事は、読み終わってしまった。

 そろそろ風呂にでも入ろうか、などと考えながら画面をスクロールしていると……。

 彼女の瞳に、ある文字が飛び込んできた。


「えっ? えぇぇぇぇ──!!!!」


 思わず大声で叫びながらベッドから飛び起きて、慌てて一つのニュースをタップする。


 さっきまでの退屈そうな人間とは別人のように、真剣な表情で画面を見つめる。

 鼓膜に響く心臓の音がやけに大きく聞こえるのを感じながら……瞬きすら忘れて、優花は食い入るように画面の文字を目で追った。


「嘘、でしょ……」


 それはニュース画面の下の方にある、日本人のほとんどの人が開かないであろう小さなニュースだ。

 しかし、優花にとっては……ここ数年で見たどんな大きなニュースよりも、重大なニュースだった。


『人気バンドBlue Roseの元ボーカル璃桜リオ、三股W不倫で泥沼離婚』


 わずかに寄せられたコメント欄には……


「誰だよw」

「リオ様懐かしいw」

「『優しい夜』好きだったー」

「リオふけたなwww」

「高校の時めっちゃファンだったのに……」


 などなどの文字が並ぶ。


 そんなコメント欄さえも必死に目で追いながら、優花の瞳はどこかうつろだった。

 何を隠そう、このニュースの主役である璃桜こと璃桜様は……優花の青春だ。


 二十数年前の夏。

 バンド活動に幕を下ろした、「Blue Rose」というヴィジュアル系のバンドがあった。


 そのバンドのボーカル……璃桜。

 優花が夢中になり、三年間追い続けた人だ。


 優花の青春を捧げた璃桜様が、色々とやらかしたらしくニュースになっている。

 それだけでもアレなのだが、この記事には続きがあった……。


『……璃桜には妻Aさんとの間に三人の子供がいて……』


「はっ? 一番上の子供って……」


 優花は指を折りながら数えて…………叫ぶ。


「バンド時代に子供いたんじゃん!」


 Blue Roseのメジャーデビューが1998年の夏。

 優花の計算では、デビューから二年後に生まれた子らしい。


「女の子か……とか、それはどうでもいいし」


 優花の胸の中には、なんとも言い表せない感情が渦巻いていた。

 ファン時代は20代だった優花も、今は40代。

 あの頃みたいに純粋でもなければ、アーティストに夢をみていない。


 璃桜様に子供がいるのは仕方ないし、結婚を隠すのも……人気商売だ。

 きっと、仕方のないことなのだろう。


 しかし、どうにもに落ちないのは、この記憶が脳裏にビッチリと焼きついているせいだ。

 優花の頭の中を、いくつもの雑誌のインタビュー、ラジオで璃桜様が語っていた言葉たちが踊り出す。


『基本暗いんで、全然モテないんです(苦笑)』

『ずっと彼女がいなくて……』

『スタジオと家の往復で全然出会いがなくて……』


 うん。確かに言っていた。

 一回だけじゃない、色んな媒体で、だ。


 最後に彼がしたという恋の話は、決まってインディーズ時代の失恋話だった。


『ツアーから戻ったら、当時の彼女が他の男と腕を組んで歩いているところに出くわして、すっごいショックで……。その日はメンバーに付き合ってもらって、朝まで飲み明かしました(笑)』


 その経験を元にできた曲、『キミが消えた街』はインディーズで異例のヒットを飛ばし、Blue Roseこと青薔薇あおばらをメジャーへ押し上げるきっかけになった。


 ブルーローズは六文字、アオバラは四文字。

 言うほど短くなっていない愛称だが、V系界ではよくあることだ。

 Blue Roseを愛する者たちは、愛情を持ってこのバンドを「青薔薇」と呼んでいた。

 ちなみに一部のV系ファンは「ブルロ」と呼んでいたが、これは青薔薇ガチ勢からすると邪道である。


 そんな青薔薇が解散する直前に出演したラジオでも、璃桜様はいつもと同じ顔で笑いながら「モテない」「彼女が欲しい」と言っていたのを覚えている。


 ──おい、おい、おい、おい、この大嘘つきめ。


 そんな思いも少しは感じてはいるが、どこかで諦めの感情も抱いている。

 人気商売。イメージ大事に、だ。

 お化粧をして、ステージで暴れ回っている。

 そんなバンドマンが、生活感を見せたくないっていう気持ちも理解できる。


 でも、こんな形で知りたくなかった、が偽らざる本音である。


 そんなことを思いつつ、優花はちょっとだけ苦い気持ちを抱えながら、記事にある画像のリンクをタップした。

 一枚目に出てきたのは、不倫相手の肩を抱いてラブホテルから出てきた璃桜様の写真だ。


 ノーメイクの48歳。

 すっかり、おじさんになっている写真の中の璃桜様にあの頃の面影はない。

 胸には謎の絵が描かれた、お世辞にもオシャレとは言えないトレーナー。

 体型も……お察しだ。


 優花は広告がやけにうるさい画面を開き、何枚もある写真を次々と表示していく……。


 美人妻Aさんとの結婚式の写真

 ──え⁉︎ なにこれ、髪も黒く染めて七三しちさんにしてる。そういえば、一か月くらい黒髪の時があったな。あの頃か……。


 美人OL、Bさんとの写真

 ──え⁉︎ OLっていうか、これドレスだよね? どう見てもキャバ嬢じゃない?


 美人主婦Cさんとの写真

 ──え⁉︎ 相手の女、旦那だけじゃなくて子供もいるの? どっちも最低じゃん!


 そうやって一枚ずつページをめくっていくと、真っ黒な悪意を感じる一枚の写真にぶち当たった。


「もおおぉぉぉー。……お願いだから上から撮らないであげてよ」


 そこには、はG……ゲフンゲフン。

 頭の部分に皮膚の増えた様子の……変わり果てた璃桜様がいた。

 ちょびっと光っている気もするが、きっと気のせいだろう。

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