22:そして
夏になり、青薔薇は三枚目のアルバムをひっさげての全国ツアーに突入した。
最初にそのことに気がついたのは、夏ツアーの七本目の神戸でのライブだった。
それは、ライブ後にみんなで集まってホテルで打ち上げをした時のこと。
「今日のライブ。一檎が機嫌よくて楽しかった」
「確かに……。今日はメンバーみんな機嫌よかったよね」
「太陽もめっちゃ機嫌よくて、MCですごい喋ってたし……」
メンバーの機嫌がいい。
メンバーの機嫌が悪い。
最近はライブの感想の中に、その言葉が混じるようになっていた。
そのことに気がついて、優花は
そして、春ツアーの頃から、自分も同じ言葉を発していたことを思い出す。
「今日の璃桜様、機嫌よくて笑顔多かった」
「璃桜様と一檎、機嫌よくていっぱい絡んでた」
「今日のライブ、みんな機嫌悪かったから頑張った」
メンバーの機嫌がよければ、良いライブだ、楽しかったと喜び。
メンバーの機嫌が悪ければ、ライブを盛り上げようとして頑張る。
いつしか、遠征組のファンの間では、それが当たり前になっていた。
──そういえば……前回の人生でもこんな感じだったな。
前回の人生でも、ライブ後の打ち上げの時。
ホテルでみんなで集まって、同じような話をしていたことを思い出す。
そんな中。
楓が暗い顔で口を開いた。
「今日、紫苑は機嫌悪そうだった。全然、客席見なかったし……、ベースも間違えまくってた。こんなライブなら、来るんじゃなかった」
「あー、確かに紫苑は機嫌悪かったかも……」
「夏ツアーが終わったら、上がろうかな?」
上がる。
それは、ファンを卒業することである。
その言葉を、最近はみんながよく口にするようになった。
今回の人生。優花には終わりが見えている。
だから、「上がる」と言ったことはない。
でも、前回の人生では三本ライブに行けば、一回は言っていた。
「上がる」は、バンギャの口癖みたいな言葉の一つ。
そう言って、本当に上がる人は少ない。
上がる時はそんな事も言わずに、上がってしまうのだ。
「上がる」と言っている間は、上がらないのはバンギャあるあるだろう。
それでもこの言葉を口にする時、バンギャは心の中にそれなりに重いものを抱えている。
推し活って楽しそうだね、とか。
推しがいて羨ましい、とか。
青春してていいね、とか。
バンギャをやっていると、よく言われる。
確かに楽しい。幸せだ。
推しに出会えてよかったと思う。
その反面。苦しいのも本当だ。
お金。
時間。
健康。
家族。
友達。
恋人。
本気で何かを推してしまう時。
その人の持っているもの、全てに影響が出る。
ライブに行き過ぎて、借金するとか。
睡眠時間を削って、働くとか。
食費を削って、一食しか食べないとか。
無茶な移動で、体を壊すとか。
「もうやめなさい」「恥ずかしい」
そんなことを言われて、家族と不仲になるとか。
「現実見なよ」「彼氏作りなよ」
そんなことを言われて、友達と付き合うのが面倒になるとか。
「俺とバンドどっちが大事なの?」「またライブ?」
そんなことを言われて、恋人に振られるとか。
自業自得の部分もあるが……総じて、色々なものを失うのだ。
そして、推しがいる人生を手放せないことを理解しつつも、ふとした時に考えてしまう。
自分の未来、とか。
推しから解放された自分、とか。
そして、「上がる」という言葉を口にするほど悩むのだ。
辛いなら、やめればいいじゃん、とか。
自分で選んだことでしょ、とか。
その通りだ。
それでも、やっぱり推しが好きで、バンドが好きで、ファンが好きで、ライブが好きで仕方ない。
推しからもらう、幸せ。
推しからもらう、苦しみ。
それが乗った天秤は、いつも揺れている。
幸せの方が重い時は、問題ない。
しかし、苦しみの方が重くなり始めた時、バンギャは「上がる」と口にしてしまう。
そして、「このツアーが終わったら、上がる」と言って、卒業する気満々でツアーを終えておきながら、次のツアーが決まった途端に、すぐにどこに行こうか考え始めてしまう。
バンギャとは、実に面倒くさくて、不安定で、変てこな生き物である。
♪ ♪ ♪
この夏ツアー。
ステージの上は、いつもギクシャクしていた。
MCで璃桜様が喋っても、メンバーは聞いてない、とか。
メンバー同士、視線を合わさない、とか。
パフォーマンスで絡まない、とか。
一つ、一つは、些細な変化だ。
しかし、バンギャは女である。
女の醜い世界を、嫌ってほど、見てきた女なのである。
推しの空気の変化なんてものは、敏感に感じ取るし。
推しが放つ、悪意や敵意も敏感に感じ取る。
ライブが終わった後の客席では、遠征組の子が泣いている姿を見かける。
それが当たり前のようになっていた。
優花の周りでも、「上がる」という言葉が頻繁に飛び交い、本当に来なくなった子もいる。
青薔薇は、ファンを泣かせるライブをするようになっていた。
よく、メンバーが気にしていた。
機材の調子とか、声の調子とか。
それは、ファンにとっては些細なことである。
ファンは、ライブにメンバーの心を見に行っている。魂を感じに行っている。夢を見に行っている。
音が出なくても、声が出なくても。
心を届けてくれれば、それだけで十分なのだ。
メンバーの心がバラバラで、こっちを向いていない。
そんなステージを見て、優花も泣いた夜がいくつかあった。
そして、ツアーの十二公演目の長野。
璃桜様は、右手の小指につけていた指輪を外した。
前回の人生の優花も。今回の人生の優花も。
この時に、青薔薇の終わりを感じた。
璃桜様がこの指輪について、何かを公言したことはない。
でも、バンドが売れて、身につけるものがブランド品になっていっても、この指輪だけはインディーズの頃から変わらずにつけていた。
なんとなく。あの指輪には璃桜様にとって、特別な意味が込められていた気がする。
そして、青薔薇は夏ツアーが終わると、恒例のクリスマスライブも、冬ツアーも、バレンタインライブもしなかった。
なんの動きも無いまま……
秋が終わって。
冬が終わって。
春になった、三月の終わり。
黒い封筒が届いた。
今回の人生の優花は、ここに書かれていることを知っている。
だから、すぐには開けられなかった。
前回の人生の優花は、すぐにこの封筒を開けた。
嫌な予感を感じつつ、少しだけ期待も込めた複雑な心境で。
そして、そこにある文字を見てしまう。
やっぱりな、という、諦めにも似た気持ち。
その反面で、噓でしょ、夢に決まっている、という、その文字を拒絶する気持ち。
『Blue Rose 解散のお知らせ』
予感はあった。なんとなくは、わかっていたのだ。
それでも、もしかしたら……と、期待があった。
そんな、わずかな期待が砕けてしまった。
目に映る、『解散』という文字。
それが、優花に重くのしかかる。
それが、優花を侵食していく。
優花は体中が真っ黒に染まっていくのを感じながら、頭に入らない文字の羅列を瞳に映した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます