歪旭の旅人

歪旭の旅人



「ん…」


 暗闇の中目を覚ますと、寝そべる背中に冷たさを感じた。

 視界に映るのは無機質な壁と、太く頑丈そうな木製の格子。湿気を含んだこの空間は、カビ臭く空気が悪い。


「何、ここ…」


 ナイル川の岸辺で王子の兵に捕らえられ、連れ去られたエリカ。


 あれから王子一行は砂漠の道をしばらく走り、大きな街へ出た。

 そこで馬を下ろされ担がれてどこかへ連れて行かれた気がするが…。気付いた時には記憶が飛んでおりよく覚えていない。


 手足を縛られた状態で一兵士の馬に荷物のように積まれた体は、節々が痛み疲れ切っていた。


「アル?メネス…?」


 別の馬に積まれたアルとメネスの行方が気になり辺りにそう問いかけるが、その空間にはエリカ以外人は居らず返事は返ってこない。

 

 エリカは格子に近寄り、隙間から頭を覗かせた。けれど見えるのはどこまでも続く長い廊下といくつかの牢だけだ。


 今自分は一体どこにいるのだろうか。そんなことを考えながら小さくため息を落とす。


『我の言葉は王の命。王に背きしは死罪をも覚悟の上か…?』


 王子の言葉を思い出し眉をひそめる。


「まさか本当に死罪にするつもりなの…?」


 確かにエリカたちは刺客と間違われるような行動をとっていたかもしれない。しかし証拠も何もないのに決めつけるなんて理不尽過ぎる。


 アルやメネスの行方も気になり、気分の落ち着かないエリカは狭い牢の中をグルグルと歩き回る。


「なんとかしてここから出なきゃ!」


 そして格子に近づき揺らしてみる。

 現代とは違い木材でできたものではあるが硬い蔓のような紐で固定された格子はとてもじゃないが外せそうにない。


明りは近くに灯る松明のみ。そのため牢の中は暗く、中の様子が掴めない。


ーーどうしよう…。

 あまりにも非現実的すぎる空間に回る頭も回らない。



「ここから出たいのか?」


 エリカはいきなり聞こえたそんな声に動きを止めた。


「へ…?」


 声の方へ視線を向けると壁に小さな格子窓があり、そこから二つの瞳が覗いていた。

 どうやら隣の牢と繋がっていたようだ。


「驚かせてしまったか」


 光沢を放った黒真珠の瞳を煌めかせ、男はそう言った。


「あなたは…?」


 歳は20代半ばくらいだろうか。

 目鼻立ちのはっきりとした中性的な顔立ち。肌はエジプト人とは思えないほど白い。


ーーこの人、エジプト人じゃない…?

 牢の中であるにも関わらず、凛とした空気を放ち、身に纏う衣装も囚人とは思えないような豪奢さだった。


「我か?我はカエト。

イウヌの予言者だ」

「予言者…?」

「そうだ。星を読み、風に問う者。

我は未来を予言することができる」


 古代エジプトでは神官達が星占いのようなもので未来を占ったといわれている。


「じゃあ、あなたは神官なの?」

「それは違う!!

我はあの腐りきったやつらが何より嫌いだ。神職でありながら私利私欲のために神を利用しているだけだ。

あやつらは神々を冒涜しておる…!」


 神官という名を口に出した途端、いきなり声を荒げたカエト。


「イウヌは古より神々の住まう神都。この地に蔓延る邪郎どもを排除することが私の使命だ。」


 そんなカエトの言葉に唖然となるエリカ。


「…すまない。

つい声を荒げてしまった」


ーー何かあったのかしら…。


「いいえ…。

あの、ここはイウヌなの?」


 『神官』という言葉に過剰なまでの反応を示すカエトを不思議に思ったが、ふと先程の彼の言葉の中にあったワードを思い出し、そう尋ねた。


「あぁ。そなたここがどこか知らなかったのか?」

「えぇ…」


 神の住まう地とされる古の神都、イウヌ。


ーーあの、ヘリオポリスにいるなんて信じられないわ…。


「…そなたもしやーーーー未来人か?」

「へ…ーーー?」


 呟くように発せられたそんなカエトの言葉に驚いて目を見開く。


「少し前、我は公徳星座表よりあることを読みとった」

「あること?」

「あぁ。ーー近々、時空に歪みが生まれ、そこに生じた荒波が運命の軌道を動かす…とな。

そうなれば、そなたのような未来人が現れることはある意味必然のこと。容易に想像できる」


 瞳を揺らすことなくそう言う彼に言葉を失う。


「時空の、歪み…」

「何千年に一度起こる時の裂け目のことだ。

実際、第4王朝時代にも一度その現象が起きたという記録が残っておる」


 エジプト第4王朝といえば、この時代のおよそ千年ほど前。ギザの三大ピラミッドで知られるクフ王・カフラー王・メンカウラー王の時代だ。


「その裂け目に飲まれ時を超えた者のことを、我ら予言者は“歪旭わいきょくの旅人”と呼ぶ。

ーー…そなた、未来人であろう?」

「え?」

「違うか?」


 エリカはそんなカエトの言葉に半信半疑で小さく頷いた。


「やはりな。そなたはこの時代の者の匂いがせぬ」


ーー匂いなんてあるのかしら。

エリカはそう不思議に思いながらもカエトの瞳を真っ直ぐと見据え、話の続きを促す。


「“歪旭の旅人”は、いにしえより、エジプトの運命を左右する大きな災いから我らを救うメシアとしてこの地に現れると言われている。

そしてまた、偉大なるファラオの隣には必ずその影があり、彼らの作り上げた素晴らしき建造物もまた、“歪旭の旅人”の存在があってこそ完成させることができたと言われている」

「ちょっと待って!メシアって救世主のことよね?私はそんな大それたものじゃないわ。」


 メシアという言葉で思い浮かぶのはモーゼやイエスキリストのような現実離れした人物ばかり。

自分がそんな大それた者であるはずがない。


「何はともあれ、そなたは何かしらの使命を果たすため、時によって選ばれたのだ」


 カエトは透き通る黒真珠の瞳をエリカに向け、ゆっくりとそう告げた。


「ーーそれって、“私は何かの使命のために過去へ引き戻された”ってこと…?」

「あぁ、そういうことになるな」


ーー嘘でしょ…。SF小説でもあるまいし。


「じゃあ、私はこれからどうすればいいの?

もう未来へは帰れないってこと!?」

「落ち着け。予言者の我とて全てが分かるわけではない。時空のひずみの前では人は皆、無力。この先のことは神のみぞ知る」

「そんな…ーー」


 せっかく見つけたはずの希望の光が、カエトのそんな言葉とともに音を立てて崩れ去った。


 それでも諦めきれないエリカはすがるようにカエトに視線を向けたが、彼はもう答えるつもりはないらしく、口を固く結んで揺らめく松明の炎を見つめていた。



「ーー…ねぇ、そういえばここってどこ?」


 しばらくの沈黙の後、牢の中にも関わらずやけに落ち着き払った様子のカエトにそう問いかける。

 目を覚ました時にはすでにこの牢にいたということは、王子の命によってエリカはここへ連れてこられたのだろう。


「ここはイウヌにある離宮。遠征の際によく軍事拠点として利用されている宮だ」


ーー遠征の軍事拠点…。


 ラムセス二世の祖父にあたるラムセス一世が第19王朝を開いたこの頃のエジプトは、アマルナ時代からの政治混乱がやっと治り、対外遠征が活発に行われ始めていた時期だ。

 この頃最も重要とされていた地域は、シリア・パレスチナ方面の地中海沿岸地域といわれている。


ーーだからイウヌに離宮があるのね。


 イウヌはエジプトの北側。古代エジプトでいうと下エジプトとされるところにある。


※上下(南北)エジプトを司る王宮は上エジプトのテーベにあり、ファラオはそこにいる。


「今の軍司令官はさらに北東に砦を築きたいらしいがな」

「もっと北東?」

「あぁ、アヴァリスの辺りが最有力地らしい」


ーーセト神の司る地、アヴァリス!

たしかエジプトがヒクソスに占領された時代の首都で、呪われた都ともいわれている地…。


 アヴァリスはイウヌよりさらにナイルの下流にある古代都市で、のちにラムセス二世の世となった時、エジプトの首都 ペル・ラムセスとなる地である。


 現軍司令官は、第一王子のラムセス。彼はエジプトのナポレオンと呼ばれ数々の軍事偉業を成し遂げたトトメス三世を尊敬し、あの栄華を再びエジプトに齎そうとしたと言われている。


ーーアヴァリスに砦を築きたいというのは彼のハングリーさの現れね。


「…あぁ、すごいわ!今まで学んできた歴史が綺麗に繋がる!」


 エリカは自分の知識が実際に生きる時代にいることに体が震えた。


「牢の中だというのにたくましいのう」


 そう言って変なものでも見るような視線を向けるカエト。


「だって古代にいるだけでも信じられないのに、未来で学んできた歴史が今まさに起こっているなんて…すごいことだと思わない?!」

「未来人の考えることはよく分からんな…」


 カエトはそう言って瞳を輝かせるエリカにため息を落とした。


「ねぇ、そういえばあなたはなんでここにいるの?」

「あぁ。我の予言がよく当たるという噂が街に広がり、捕らえられた」

「え?それだけで…?」

「しょうがあるまい。地上に生ける唯一神であるファラオにとって、予言者は恐怖だ。

そなたトトメス王とスフィンクスの逸話を知っておるか?」

「トトメス王って…もしかしてトトメス四世のこと?」

「あぁ」


 トトメス四世は第18王朝 第8代目のファラオで、王位を継承するにあたり非常に変わった逸話を持つ人物だ。


 彼がまだ王子だった頃、ギザにあるかの有名なスフィンクスの前で、『体を覆う砂を取り除いたら王にしてやる』とスフィンクスに告げられる夢を見て、それを実行したことで王になったという逸話だ。


ーーあれは事実なの?


「トトメス王は予言者ではない。しかし夢という名の預言を賜ったことで神となった。

絶対的覇者であるファラオにとって、己以外の『神と代わる存在』は脅威なのだ」


 古代エジプトで、地上に生ける唯一の神であるファラオにとって、預言によりファラオとなったトトメス四世も、神のお告げを聞きユダヤ人を逃したモーゼも…ーー神の声を聞く者は、神権を脅かす脅威だったのだろう。


「だが、予言と預言は違う。

我は未来を知ることができても、神のお告げを聞くことはできん」


 予言とは未来の未知なる出来事を先に述べること。預言とは神の意を人々に伝えること。

 大きな括りの中では同じでもその意味はかなり違う。


「それだけの理由で牢に入れられるなんて酷いわね…」

「うむ…。とは言え、我はやがてここを出ることができると知っておる。だからそこまで苦ではないがな」

「え?出られる日が分かってるの?」


 エリカはカエトの言葉に驚いて声を上げた。


「あぁ、もうすぐやつがここへ来る」


 カエトはそう口を開くと漆黒の瞳を松明の灯る薄暗い廊下へと向けた。


「だが、その前に…ーー。

そなた、ここから出たいか?」

「え…そりゃあ、ね」


 エリカはカエトの唐突な質問に、驚きながらそう答えた。


「うむ。ならば、道を教えよう。

そなたには、さらに、“旨味”を与えねば」

「…うま、み?」


ーー何の話?


「物語には旨味が必要だからな」


 その時、廊下の果ての方からいくつかの足音が聞こえてきた。


ーー誰かが来る…?


「時間がない。今から我が言う通りに進むのだ。

さぁ、行け!!」


ーーーーーーー

ーーーーーーーーー


カサカサ

カサカサカサ


 暗いトンネルのどこかでそんな音がする。

 ここはおそらく地下道。


 元来、多くの要塞には、戦局が不利になった際に城主が逃げられるよう、地下に密道が張り巡らされていたという。


ーーこれもそうなんだろうか…。



カサカサカサ


「ひっ!また…」


 不気味な物音に震え上がる。こんな地下深くに動くものがいるとすれば、それは恐らく、猛毒を持つ生き物か何かだろう。

 エリカは、手に持つ松明をさらにギュッと握りしめ、先に進む。


 あの後、カエトの言う通り、牢の隅にあった水瓶みずがめに手を入れると、栓の様なものがあった。それを思い切り引くと、水が全て抜けた。そして、空っぽになった水瓶を退けるとそこに大きな穴が現れた。

 エリカは、先ほどの足音がすぐそこまで迫っていたため、無我夢中で、底の見えないその穴に飛び込んだのだ。



ーーそして今に至るのだ。



カサカサカサ


「タランチュラとかサソリだったらどうしよう…。見た瞬間気絶しちゃう」


 カエトの話ではこの通路の突き当たりの天部に格子が嵌められており、それを外すと外に出れると言う。

 エリカを疲れと恐怖に鈍る足を必死に動かし、前に進み続けた。




ーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーー


「ーー…何故私に知らせなかった!あの者を捕らえるなどなんと愚かな」


 エリカの消えていった穴から視線をそらし、廊下の先から聞こえたそんな声にニヤリと口端をあげるカエト。

 彼の横顔は、それは愉快そうに歪んでいた。


「王子申し訳ありません!まさかあなた様のご友人とは知らず…」

「叔父上の愚かな犬め。それ相応の処罰があることを覚悟しておけ」


 低く唸るような声。苛つきを孕み、彼にとって最高潮の軽蔑が込められていることが分かった。


「冷静な心は何よりの知恵ですよ、王子」


先ほどの声の主が目の前に現れると、カエトはそう言って笑みを広げた。


「おう、カエト。久しぶりじゃないか」

「お久しぶりでございます。我が君」


 カエトは恭しくそう言うと、牢越しに立つ人物に、わざとらしく体を折った。


「予言者のお前が、随分な様だな。牢の居心地はどうだ?」

「…なかなか良いぞ。そなたもどうだ、ラムセス」


 カエトは皮肉の込められたそんな言葉に、いつもの口調に戻した。

 彼にとって、今目の前にいるエジプト王国の第一王子は、主人であると共に、幼い頃からの友人でもある。


「ほう。ではずっとそこにいるか?」

「そなた、我をこんな所に閉じ込めておくつもりか?新しい予言をそなたに伝えようと思っていたのだが、やめておこ…」

「冗談だ。早く出ろ」


 そう言ってかんぬきの引かれる音が響き渡り、ギギィという鈍い音ともに牢の扉が開かれた。


「気づかなくて悪かったな」

「別に構わん。牢での生活もなかなか快適だったからな」


カエトはそう言って両の肩を順に軽く回した。


「ラムセス…そなたがここへ来たのは、我を牢から出すためだけではないだろう?」

「おぉ、さすがカエト。若き名予言者」


 ラムセスはそう言ってカエトの言葉に愉しそうにそう返した。


「そなたの目的は隣の牢に“いた”あの娘か?」


 牢を出て自由の身となったカエトは、空っぽになった牢へ目を向けた。


「ーーーーお前、まさか…」

「そのまさかだ。

あの娘ならさっきこの牢を出て行ったぞ」


 カエトはそう言って再び、ニヤリと口端を吊り上げる。

 カエトの漆黒の瞳とラムセスの碧色の瞳、深く底のない美しい双瞳がバチリとぶつかった。


「ーーーーはぁ…。全く余計なことを」


 しばらくの沈黙の後、ラムセスがそう言って溜め息を零した。


「そろそろそなたが来る頃だろうとは思っていた。

あの娘、なかなか興味深い。反逆罪などくだらない罪でそなたに搾られるのが不憫になってな。」


 カエトはそう言って、不敵な笑みを浮かべた。


「嘘をつけ。お前は、ただ面白がってるだけだろ」


 ラムセスはいつもの如く自分を困らせる旧友に肩を竦めた。


「ラムセス、久々に賭けをしないか?」

「…なんの賭けだ」

「彼女を捕らえ、我の元に連れてこられたら、そなたに予言を授けよう。

もしそれができなかったら…ーー」


 カエトは敢えてそこで言葉を止め、ラムセスの碧色の目を捉えた。


「この予言は天空の戯言ととして我の胸にとどめよう」


 ラムセスはカエトのそんな言葉に溜め息をついた。


 幼い頃から彼を知っているラムセスは、二歳ほど年上のこの男を兄のように慕って来た。彼もラムセスを弟のように可愛がり、支えてきた。


 ただ、この“遊び”が始まると…。彼は一切の情けを与えてくれないことも、ラムセスはよく知っていた。


「あの通路の先は塀の外に繋がっている。もしかしたらもう街の方まで逃げ出ているかもしれないな」


 カエトは笑みを緩ませることなく、愉しそうにそう言った。



「…いや。それはどうかな」


ーーまだあの娘はこの要塞の中にいる。


 ラムセスには彼女を見つけ出す、確かな自信があった。







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NeFeR ~寵愛されし妃 光月深夢 @Kozuki_

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