家族とぼく。
@1monnashi1
おかあさん
「もっとちゃんと食事を食べさせてください。」
お医者さんに怒られている母を見るのはこれが初めてでした。
当時乳幼児だったぼくの母は、ぼくに与える乳が出なかったので粉ミルクを買っていたのですが、ロクに使う予定もない健康器具の買いすぎで破産しかけていました。
なので金銭節約の為に粉ミルクを通常よりも薄めてぼくに与えていたのです。
粉ミルクには幼児に必要な栄養素がバランスよく含まれています。栄養の含有量ももちろん規定値に合わせて調整されています。
1回で使う粉ミルクの量も決まっていて、粉ミルクが入っている缶の側面に細かく記載されています。
そんなものを目分量で減らしてしまえばどうなるのか。
ぼくは間もなく栄養失調で救急搬送され、事情を聴いたお医者さんが母を叱ったのでした。
ぼくの虚弱体質は母から遺伝した先天的なものと先述した行為等による後天的なものの2つからきています。
大人になってからその事を笑い話のようにぼくに話す母の顔はにやにやと笑っていたのが未だに忘れられません。
ぼくは母がきらいになりました。
そしてぼくはそんなぼく自身もきらいになりました。
人生で初めて生きづらさといったものをぼくが覚えたのは、まだ物心がついたばかりの5歳の頃でした。
体が弱かったぼくはこの時初めて自宅療養から保育園に通うことにシフトすることができたのです。
ぼくはこの時まだ行ったことのない「ほいくえん」なるものに心を躍らせていました。
ですが、当時の保育園での5歳はもうすぐ年長さんに差し掛かる当たりの年齢であり、もう保育園内の児童達の中では特定の仲良しグループが形成されていてぼくの入り込む隙間など何処にもなくなっていたのです。
この時点で人とコミュニケーションをとる事が苦手であり、尚且つ運動、勉学両方で大きく周りから遅れをとっている自分を自覚させられました。
人との関わり方が分からない。
人の顔色を窺ったりその場の空気を読んだりする事ができない。
それらを訓練をする機会は保育園の最初の方でとっくの昔に終わっており、そこを経験できず途中から放り込まれたぼくには学ぶ機会はおろか、自分の居場所すら最初からありはしなかったのです。
新天地に全く馴染めないままずるずると時間だけが過ぎました。
保育園の卒業式の日、先生や同じ組の子供達が嗚咽しているとき、ぼくはただ一人で唖然とすることしかできませんでした。
「……ぼくはここにいらないこだ。よそものなんだ。じゃないとぼくだけなみだがでないはずがないもん……」
こんな事を考えるとは。
当時のぼくはとても悲しかったんだと思います。
なかよしのともだちに会えなくなるかもしれない事より。
これから巣立っていく子供達との別れを惜しむ事より。
まわりの人と自分の気持ちを共有できないという孤独や「所詮自分は最初からひとりぼっちだったのだ」という虚しさが。
何十人ものおとなとこどもの悲しみの中で、ぼくの心は唯いつもと同じでひとりでした。
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