《2》構ってほしがりなあの方による干渉と舞台裏

 サクヤがこちら側に渡ってくること自体は、実は決定事項ではなかった。

 重篤な傷を全身に負ったサクヤの、その精神のみを、カンゼが無理やりこちら側に連れてきてしまうことこそが決定事項だった。


 あの子の――カンゼの破綻は決まっていたこと。

 あの子が消滅に向かって歩み始める日は、最初から決まっていた。


 でも、ひとつ誤算があった。それがあの子の犯した「禁忌」だ。

 そのせいで、サクヤの心の傷は異常なスピードで癒えてしまった。逆に、カンゼの命の灯火は、やはり異常なまでのスピードで弱まっていってしまった。


 君、あのまま放置してたら勝手に消滅しちゃってたでしょう? それはその……さすがにね。私の罪悪感がとんでもないことになってしまいますからね。

 君たちの世界ではなにか呼び名があったよね? なんだっけ……そうだ、確か「鬱」。私がそんな状態に陥るといろいろとマズいでしょう? だからね、君を救済することにしたんです。


 そこのところ、ちゃんと理解しておいていただきたいんだなぁ。

 私は私なりに、君たちのために心を砕いているんだ。こんなこと、過去には一度だってなかったんだけどね。


 ……ねえ、観世くん。



     *



『……干渉はもうなさらないはずでは?』

『あはは、そんなことを言った気もするねぇ。まぁ冷たいこと言わないでさ、相手してよ。』


 笑いながら告げると、観世は舌打ちをした。

 露骨だ。多分、私に見せつけるように打った。少しくらい言動を……ええとなんだっけ……そう、おぶらーとに包んでほしい。


『断る。お引き取りください、出口はあちらです』

『なに!? 夢の中で出口ってなんなの、怖い!!』

『うるせえ、さっさと帰れ。こっちは今日も仕事なんだぞ……また異動になりそうなんだよ、ただでさえ病みそうなのにこれ以上余計なストレス抱え込ませんじゃねえ!!』

『わー☆ カンゼが怒ったぞ、逃げろー☆』


 両手を上げて逃げるふりをしてみせると、かわいそうな生き物を見る目を向けられた。

 いや、本当に素直になったなぁと思う。おぶらーとに包むということがどういうことか、この子こそ知らないのでは、と訝しくなってくる。私でさえ知ってるのに……まったく。


『ご、ごめん……怒らないでよ。今日はあんまり長居しないから。』

『長居ってなんだよ、そもそも帰れって言ってんだ俺は。というか用がないなら二度と来ないでほしい』

『ええっ!?』

『ええっじゃねえよ……向こうでは上司だったからそれなりに対応してたけど、正直もうそんな義理もない』


 し、信じられないくらい冷たい。

 だんだん悲しくなってきた。


『うう、カンゼったら冷たい……ひどいよ。』

『寂しいんなら向こうで友達作れよ』

『うーん、私はカンゼがいいんだけどなぁ。』

『気持ち悪い』


 とにかく容赦がない。

 まぁいいです、気持ち悪くて結構。だって私、カンゼのことが大好きなんだもの……と言ったら今度こそ強制的に帰らされてしまうだろう、ここは口を噤むとしようか。


『でもさ。観世、こっちでは公務員さんだなんて、これまた”らしい”仕事に就いてるんだねぇ。』


 話題を変えると、それはそれで観世は心底嫌そうに顔をしかめた。


『なに……それもアンタの思惑通りなの?』

『えっ、やだなぁ違うよ。私、”観世”に干渉したことはないもの。』

『あっそ。つーか”らしい”ってなに』

『うん。植物の子たちの役割って、こっちの公務員さんのお仕事にすごくよく似てるでしょう? 実際、お医者さんよりも近いと思わないかい?』


 窺うように顔を覗き込むと、案の定、観世は仏頂面だ。

 意味は通じているんだろう。元々、この子にはそういう役割を振っていたのだから。


『……ごめんね。早くまともな人材を増やして、カンゼの負担を和らげてあげられれば良かったんだよね。カンゼが無理を押して頑張ってくれてること、ちゃんと知ってたのに、私はそれに甘えてしまってたんだ。』

『知ってます』

『えっ、嘘でしょ!?』


 堪らず悲鳴じみた声が出た。

 言えよ。なんで黙ってた。報・連・相、そこはしっかりお願いしたかった。これでは私がただの駄目上司だ。

 ショックが大きい。地味にダメージを受けて黙り込んでいると、言いにくそうにしながら観世が口を開く。


『……今、大丈夫なの? そっち』


 遠慮がちに尋ねられ、うっかり頬が緩みそうになる。

 なんだかんだ優しい。そう、本質はとてもいい子なんだ、カンゼは。知ってるよ。


『うーん、正直言うと深刻だよね、人材不足。患者は増える一方だし、戦力の中心だった君はいなくなっちゃうし。』

『……ふーん』

『今は二、三人に負担が偏ってる。いい加減システムそのものを変えようかと思ってるんだ、このままじゃ外れクジにもほどがあるもの、植物の子たちばっかり。』


 言いながら、つい溜息が零れた。

 本心からの私の発言を前に、観世の表情は依然として硬い。何人か、めぼしい知り合いの顔を思い浮かべているのかもしれない。この子はとにかく情に厚い。


『皆、治療の回数を重ねるにつれてこちら側に惹かれちゃうっていう傾向はあるしね。まぁ君ほどってわけじゃないが。』

『……あっそ』

『ちょっと、なにその態度! 君が訊いてきたんでしょ!!』


 思わず叫んだ。

 年甲斐もなく声を張り上げてしまった。恥ずかしい。まったく……情に厚い、というのは撤回だ。


『いや、教えてくれてありがたいとは思うけど話が長くて……そろそろ切り上げてほしい』

『君、本当に露骨になったね……。』

『うーん。もうちょっとまともに寝たいんですよ、疲れてるんで』


 疲れ、という言葉に鼻白んでしまう。

 自業自得でしょうが、と思ったからだ。


『……ふん。碌に寝れてないの、昨日サクヤと日が変わる頃までいちゃついてたからでしょ。』


 ぼそっと呟いてやると、途端に観世は派手に咽せた。

 露骨になったし、分かりやすくもなった。素直な反応を前ににんまりしてしまう。


『ッ、な……なん、ふざけんな、視てたとかじゃねえだろうな!?』

『視てないよ~、カマかけただけっていうか……でもやっぱりそうなんだね! やだも~やるじゃんカンゼ☆ こりゃ孫の誕生が楽しみだなぁ☆』

『消えろ』

『ひ、ひどい!!』

『嫌なら帰れ』

『端的!! というか向こうと違うんですからね、避妊はちゃんとしてくださいよ! じゃ、私は行くからね!』

『二度と来んな』


 さっきまでとは比較にならないほど容赦がない。途中から大声を出さなくなった辺り、逆に怖い。

 ちょっと泣きそうになりながら、逃げるように姿を消そうとしたその直前、頭を抱えてその場に蹲る観世の背が視界の端に映り込んだ。

 そんなにも迷惑だったか、私の訪問は? それとも睡眠を妨げられて純粋に困ってるのかな。まぁ悪いことをしたなっていう自覚はある。ふふ、ごめんね。思ってるだけでは伝わらないけども。


 とはいっても、何度考えてみてもやっぱり自業自得なんだよなぁ。

 かわいそうに、サクヤ……あんな鬼畜に捕まって。昨日なんてもう声がガラガラだったね? 観世には言わなかったけど、実は少し覗いてたんだ。ただ、あまりにもあまりで……とても見てられなくなっちゃったんだな。


 カンゼ、ちょっと順応が早すぎると思う。いくらまとまった後だといっても。

 でもまぁ私、君が最後に見せたあの顔、大好きなんだ。君の、ストレスを煽られたときの余裕のない顔がね。


 最後の最後に溜飲が下がったことだし、今回はこれで良しとしようか。



     *



 うーん。

 煙たがられていることは理解できているんだが、やはり私はあの子のことが大好きなんだ。あの子の、世界を裏切ってまで貫いた信念が。


 そういう人間は、こちらの世界には基本的に存在させていなかったはずなのに……そうやって少しずつ綻んでは変わっていくのかもしれない。

 その手の不調和は、本来、私にとって許しがたいものだった。けれど、今なら受け入れられそうな気もしているんだ。それさえも君の影響なのかもしれないね。


 そんなふうに考えてしまえるくらいには、私は君を好いている。


「……また会いにいくよ、観世。」


 口元を緩めて呟くと、瞼の裏に、苦虫を噛み潰したような観世の顔が覗いた。

 思念体の瞼の裏、か――なんとも興味深い。私もまた、彼らに近づいているのかもしれない。少しずつ、少しずつ。


 結局のところ、一番の功労者はあのお嬢さんだ。

 刻み込まれた憧憬が強まりすぎて逆に単調な生き方しかできなくなっていたカンゼを、長い年月に埋もれたあの子の本性を、あなたが瞬く間に引き出してしまった。そして、あの子に運命を捻じ曲げさせてしまった。


 私の調和を、私の作り出した世界を、最も派手に掻き乱してくれたのはあなただ……咲耶。


「……ふふ。」


 今日はとにかく気分が良い。

 かつてなら絶対に許せなかっただろうが、今はそうでもない。少なくとも、君たちのもとに訪れる幸福を願える程度には、私の心は晴れやかだ。


 私の作った檻を壊して羽ばたいた君たちの幸せを、心から願っているよ。




〈構ってほしがりなあの御方による干渉と舞台裏/了〉

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