第2話 ハンバーグ

とりあえずはらのなかにいれたい、はやくたべないと。

それしか考えられなかった。

それでも生で食べるのは抵抗があり、咄嗟にフライパンを手にしたが。


調理、するべきなのか?


そもそもこれは調理できるのか?


フライパンを片手に少し冷静になってきた相良はフセンをそっと取り、冷蔵庫に張り付けた。

フセンは何となく捨ててはいけない気がした。

パックにぴったりくっついたラップを剥がしてみた。

肉を少し指でつつく。

触れる。実体はあるようだ。

ねっとりとピンクがかった赤色のそれは『合挽きミンチ』とそう変わらないものだった。

匂いを嗅いでみる。

うーん。新しくはないようだ。少し甘酸っぱく獣臭い肉の匂いだ。


なんで、幽霊だなんて思ったのだろう。


死んだかもしれない息子からの手紙がついていたから?

息子は、まだ生きているかもしれない。


そもそも本当に息子は、いるのだろうか。


意識が目の前の食材から息子に移ったときふと思い出す。


「ハンバーグ。」


そういえばあの子がたべたいと言っていたっけ。

相良は呟いた。

「ハンバーグか。久しぶりだな。」

まるでただ単に夕食の献立を決めるように、何の疑問も持たなかった。

この肉は食べても大丈夫だ。

何となくそう感じた。


冷蔵庫を開ける。

「本当になにもないな。」

調味料の類いはあったがハンバーグに使えそうな食材は何もない。

長い間、仕事以外で食べ物のことは考えられなかったが、心地よい空腹を感じながら相良はスーパーへと足早に向かっていた。



やはり、あのひき肉は普通でないのかもしれないな。

と、スーパーの精肉売場で相良は感じていた。


どの肉をみても、吐き気がする。悪寒がするのだ。


何故?

これなんて、国産だぞ。100グラム500円もする。

きもちわるい。はやくかえりたい。のどがかわいた。


いや、玉ねぎを買わねば。あと卵。

パン粉はいらないかな。無駄なものはあまり入れたくない。

たべれなくなるかもしれないから。


会計を終え、足早にアパートに戻る。

早くしないと、あの肉は跡形もなく消えているかもしれない。




アパートに着くと手も洗わずにすぐに冷蔵庫を開ける。

よかった、消えてない。

ひき肉を冷蔵庫から出し、ダイニングテーブルにのせる。ステーキとは違うけど常温の方がいいだろう。

玉ねぎをみじん切りにして、フライパンでじっくり炒める。

仕事で料理をするときは食材を切ったり、炒めたりする時間が好きで手間がかかればかかる程楽しいのだが、今はその一手間が億劫だ。


しんなりした玉ねぎをボウルに移し、あのひき肉と混ぜ合わせて捏ねる。

ひんやりとした肉の手触り。

油の質感は少なく、赤身が多いような感じだ。

纏まるようにしっかり捏ねて、焼いていく。


はやく。

はやく。


気がはやる。こんなに焦りながら料理をしたのは初めてだった。

手早く皿に炒めた野菜を盛って、ハンバーグをのせる。滴る肉汁を全て食べられるように、ソースにしてまわしかける。

1滴も無駄にしたくなかった。


いざ作ってみると、得体のしれなかったひき肉が艶々の美味しそうなハンバーグになってしまった。


美味しそう。久々に感じたな。

相良は気持ちを落ち着けて、1口頬張った。



うん。ハンバーグだ。

少し固いかな。つなぎがないから。

なんて、考える余裕があるほど『普通のハンバーグ』だった。

なんだ、特別なものでもなんでもなかったじゃないか。

我ながら期待しすぎたかな。

今この状態を何とかしてくれる希望のハンバーグなのかもって。なんだそれ、馬鹿馬鹿しい。


しかし、今まで食事の際に感じていた不快感や恐怖はなかった。


気が付けばすぐに皿は空っぽになっていた。

凄まじかった空腹はすこし和らいでいた。


「ごちそうさまでした。」


相良はそう呟いて、皿を片付けるために立ち上がる。

立ち上がったつもりだった。


ふと顔を上げると、目の前には夢でみた男の子がいた。


夢とは違い、目の前の彼の顔にはもやはかかっていなかった。

黒く丸い瞳に小さな口。くしゃくしゃの黒い髪の毛。真っ白い肌。少し太めの眉を困ったように下げた彼は、申し訳なさそうな顔をしてした。

息子だ。と直感的にそう感じた。


ハンバーグのせいか。

慌てて辺りを見回すと、そこは相良のアパートではなく、ファミリータイプのマンションの一室のダイニングのようだった。

息子と相良は机を挟んで向き合っていた。

机の上には完食したはずのハンバーグが乗っかっていた。

息子は何も話さなかったが、ハンバーグに視線を落とすと嬉しそうに少し微笑んだ。

そして、くるっと相良に背中を向けると開いたベランダの窓に向かって歩みを進める。


おい!!待ってくれ!!!と相良は叫んだが、声は彼には届いていないようだった。


待ってくれ!!!!!

君の名前は!!!!!!


諦めずに叫ぶ。頼む、置いていかないでくれ。


ハンバーグ、おまえのために作ったんだ!!!!

食べられるか!!!!!待ってくれ!!!!


聞こえていない。

息子はベランダに出ていた。

カーテンの向こう側にうっすらと姿がみえる。

背中しか見えなかったが、彼は空を見上げて立っていた。


すぐに彼のそばに駆け寄りたかったが、立ち上がれなかった。

がっちりと椅子に縛り付けられたようにびくともしない。


咄嗟に相良はハンバーグの乗った皿をひっくり返した。

がちゃん、鈍い音がする。

びくっと息子は肩を震わし、ゆっくり振り向いた。



「ゆきはる」



か細い声だった。

恐怖で震えたような。


瞬きをした一瞬に、息子は、ベランダの下へとゆっくり落ちて消えた。


そんな。やめてくれ。





がたん。


気が付けば相良はもとのアパートのダイニングチェアから転げ落ちていた。

片付けようとした皿はテーブルの上にひっくり返って割れていた。




◆◆◆


その日の夜、相良は眠れなかった。

明日は仕事がある。そんなことどうでもよかった。

あれは間違いなく息子だった。

名前は「幸春」。

なんで忘れていたのだろう。

ハンバーグはあの子の好物だったのに。

テストでいい点を取ったとき、友達と喧嘩して仲直りしたとき、誕生日。あの子は嬉しいことがあるといつもハンバーグを食べたいと言ってくれた。

私は、その度に彼女とキッチンに立って作ってやったのだ。

なぜ、その彼女の名前も顔も思い出せないのだろう。


あの冷蔵庫は息子と繋がっているのかもしれない。

あの冷蔵庫にこちら側からなにか入れれば、交信できるかもしれない。こちらもメモでもいれてみようか。


でも、あの子は自分のことを忘れてしまった父親を恨んでいるのかもしれないな。

忘れているだけで、なにか酷いことをしてしまったのかもしれない。


死者と繋がる冷蔵庫?そんなバカなことあるはず無い。

じゃあ、あのひき肉は誰が何のためにいれたんだ。

この世のものではない。



考えが止まらない。

眠れない。

酒を飲んで無理にでも寝なければ。


相良はふらつきながら冷蔵庫にたどり着きビールを取り出そうとして、凍りついた。



冷蔵庫にはまた、身に覚えの無いものが入っていたのだ。



今度は肉ではなかった。

眩しいオレンジ色のそれには、たった今、山でもぎってきたように枝と青々とした葉っぱ、おまけに泥まで付いていた。


相良は空っぽの冷蔵庫に鎮座する柿を見つめて、ただ呆然とするだけだった。
















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無魂の幽霊 暇骨 @himabone0401

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