第6話


 岳たちが目的地に着いたのは、午前八時を大幅に過ぎた頃だった。

 L字型で三階建ての白い建物は、刑務所を彷彿させるような高い塀で囲まれており、門をくぐってからでないとその全貌を確認することは出来なかった。門の両サイドには一人ずつ警備がついており、険しい表情で岳たちを見据えた。現在は敷地内への立ち入りを制限しているようで、入構許可を得るまでにも少々時間を要したが、しばらくして門は開いた。

 荷台から降りると、そこにはアサルトスーツを着用した体格の良い大男が一人と、その後ろに二十代半ばほどの若い男が一人。身長が一七〇センチにも満たない岳からすれば、二人ともかなり背が高く、立っているだけで威圧感があった。


「――山梨県警特殊部隊SAT井手口いでぐちわたる警部補です」


 先に名乗ったのは、アサルトスーツを着た大男の方だった。低く太い声ではあるものの、あっさりとした声質に不快さはない。

 差し出された大きな手を凝視してから、岳はその手を取った。


「陸上自衛隊普通科連隊、中隊長の柞木田岳三佐だ」


 繋がれた手はきつく握られることもなく、かと言って嫌味っぽさも感じられず、しっかりとした握手だった。相手の性格をそこから測ろうとしたが、深く考えることはやめた。井手口の態度から、こちらに敵意や対抗心などはない、と判断するに留めた。

 どちらからともなく手を離すと、井手口は後ろに立っていた男に視線を向ける。若い男は、その視線に応えるようにたった一言。


「……桧山」


 短く名乗り、握手を求めることもなく、桧山と名乗ったその男は後ろへと下がった。表情は冷めており、言葉数も少ないが、目の奥から鋭いものを感じた。

 他の者たちは、桧山の態度をあまりよく捉えなかったようで、一瞬周囲に微妙な空気が生まれた。守野は不快そうに顔を歪め、赤松は「何やねんアイツ」とぽつりと呟く。岡崎は相手に聞こえそうな音量で容赦なく舌を打ち、そんなギスギスした空気に田島は肝を冷やしていた。


「状況が状況だ。慣れない顔にいちいち愛想を求めるな」


 真藤の言葉に、隊員たちは背筋を伸ばし、不満を飲み込んだ。

 一方、桧山はそんなやりとりをまったく意に介さない様子で、そこに立ち尽くしている。


「少々、気難しいヤツでして……」


 井手口は苦笑しながら、桧山を一瞥した。フォローのつもりだったのだろうが、当の本人はまったく反応を示さない。静かに周囲を観察しているが、早くこの場から離脱したいという感情も透けて見える。


「ですが、現場では頼りになるヤツです。ここはどうか、大目に見ていただけると」

「そういうことでしたら、お気になさらず。現場で活躍してくれるのであれば、それ以上望むことはありませんから」


 岳が微笑みながら応じると、井手口は安堵したように表情を緩めた。


「それはありがたい。――では、仮設の拠点に案内します」


 井手口が敷地内を先導し、自衛隊一行はその後ろに続いた。

 建物から百メートルほどのところに、大きめの白いパイプテントが設営されていた。四方は横幕で隠されていたが、そこが指揮本部であることは、テント横に設置された幟旗で一目瞭然だった。

 テントの中には長机、ホワイトボード、敷地内に点在する防犯カメラ映像を映し出したモニターが並んでおり、緊張感が漂っていた。

 井手口がテントへ足を踏み入れると、SATと自衛隊の隊員たちが忙しなく動き回っていた。岳たちの目にも、その光景は異常に映った。


「おいっ、何かあったのか?」


 近くを通りかかった隊員に、井手口は声を掛けた。


「井手口さんっ、」


 顔面蒼白のその隊員は、井手口の顔を見るなり少しホッとした表情を見せたが、すぐにその顔は強張った。


「……マズイです。我々の班が保護した研究員の上田さんですが――既に化がかなり進行していたようで、先ほど主任研究員の田辺たなべさんと、研究員の持月もちづきさんを含む複数人を襲ったとの情報が入りました」

「何だとっ……!?」


 隊員の震える声を聞き、驚愕の表情を浮かべる井手口を見て、ただならぬことが起きているということは、岳たちにも理解が出来た。


「……すぐに隊長と通信を取ってくれ」

「は、はいっ!」


 参ったな、と困ったように頭を掻くと、井手口は岳たちの方を振り向いた。


「緊急事態が発生しました。事態の詳細を説明する余地もないほどに、一刻を争う状況です。すぐに臨戦態勢が取れるよう、準備を――」

「ちょっと待ってくれ」岳が井手口の言葉を割って入る。「あまりにも情報が少なすぎる。状況が把握できていない中で、危険な場所に部下を放りこむわけにはいかない」


 井手口の表情は険しくなる。


「……何も聞いていないんですか?」

「研究センターから、ウィルスが漏出したという話は聞いている。詳しい話は、現地の自衛隊や警察から説明があると言われ、我々は事態を把握しきれていないままここに連れて来られた」

「……それは一体どういうことでしょうか? 危険な現場だからこそ、事前に情報を共有しておくよう、自衛隊の先行部隊にも伝えたはずですが」


 井手口の鋭い目つきが、テント内の自衛隊先行部隊に向けられた。その中で一番の年長者と思しき白髪混じりの男性隊員が、焦ったように答えた。


「私は、しっかりと司令に伝えましたよっ!? 現場の報告書も、隅々まで詳細に記載して提出したんです!」


 では、なぜ情報共有がなされていないのか――。


「井手口警部補――」


 自衛隊員に追及しようとする井手口の気配を察したのか、岳はそれを制するように井手口と向き合った。


「一刻を争う状況、なんですよね? 追及したい気持ちはわかりますが、いまは我々が現状を把握することが一番重要だと思います」


 岳の言葉に、井手口は力を抜くように短い息をつく。冷静さを欠いていた自分自身を見つめ直し、井手口は岳の言葉に賛同するように、何度か小さく頷いた。


「……桧山、」

「はい」


 両手を腰に当てた井手口は、こんな状況でも真顔を貫いている桧山の方を振り向いた。


「バイパーの詳細と、現時点での本事案の説明、諸々お前の方から説明してくれ。俺は隊長と通信をして、指示を仰ぐ」

「……はい」


 桧山が短く返事をすると、井手口は通信班の方へ足早に向かって行った。

 桧山は、何も言わずにホワイトボードの方へと歩み寄っていく。岳たちも自然とその背中を追い、彼とホワイトボードを囲むようにして集まった。

 ホワイトボードには、大きく【バイパー保護・制圧作戦】と書かれていた。

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君のための明日に 雨谷ちひろ @amgi_chr_

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