第5話

 黒い装甲車から、アサルトスーツを身に纏い、フェイスシールド付きのヘルメットを被った者が四人、短機関銃を手に降りてきた。四人とも、かなり体格のいい男だった。

 富士感染症研究センターの社用車であろうワンボックスカーから降りて来たのは、白い防護服を着た二人。一人は中年男性、もう一人は若い男性のようだ。

 異様な光景を、仁科と沙利奈はバスの窓越しに見つめる。

 アサルトスーツを来た四人はしばらくバスに鋭い視線を向けると、アイコンタクトをしたのち、バス前方の扉から乗り込んできた。口元は黒い布で覆われており、素顔を見ることは出来なかったが、四人とも鋭い視線を乗客たちに向けている。

 銃を持った黒ずくめの男たちが乗り込んでくれば、怯えるのは当然だ。乗客たちは恐怖や不安の表情を浮かべている。中には、小さく悲鳴を上げる者もいた。いつその銃が自分に向けられるのかわからない――そんな緊迫した空気の中、四人が銃口を向けたのは上田だった。


「運転士さん、乗り口の扉を開けてもらえますか」先頭に立っていた大柄の男が言う。


 運転士は困惑しながらも、命じられた通り、震えた手で扉のスイッチを押した。中扉がプシューッと音を立てながら開くと、そこから先ほどの白い防護服を着た二人組がバスの中に足を踏み入れた。そして、中年男性の方が上田のことを羽交い締めにした。


「ちょちょちょっ、何してんの!」


 抵抗する上田を見て、仁科の体はようやく動いた。上田から中年男性を引き剥がそうとする。


「おいっ」


 アサルトスーツの四人組の中の一人が、こちらへと向かってくる。そして、銃口を仁科のこめかみに当てた。乗客から「ひゃっ」という短い悲鳴が上がる。


「――仁科さんっ、!」

「邪魔をするな。部外者はここから去れ」


 銃口を突きつけたまま、男は言った。


桧山ひやま……よせ」


 四人組のリーダーと思しき大柄の男が、少々呆れたような声で命じた。桧山と呼ばれた男は不服そうに銃口を下ろし、代わりに仁科に鋭い視線を向けた。

 やれやれ、参ったな――。

 目元しか確認できなかったが、桧山は仁科よりも二回りほど若く見えた。突発的な行動は、経験の浅さや判断力の低さから来ているのだろうが、仁科は自分に近いものを彼から感じ取った。

 その間に、上田はバスから引き摺り下ろされ、口輪のようなものを取り付けられていた。


「とりあえずさ、状況説明してよ。俺ら刑事で、通報受けてここにいるんだからさ」


 桧山の肩に、仁科が馴れ馴れしく手を置いた。桧山は不快そうにそれを振り払うと「説明する義務はない」とだけ答えた。


「……それは困りますね」それまで黙っていた沙利奈が、口を開いた。「我々は機捜です。初動捜査で現場の状況を確認して、報告、引き継がなければなりません。それが、わたしたちのなんです」


 桧山は冷徹な視線を彼女に向けると、そのまま黙り込んだ。そして、回答権を渡すように、視線をゆっくりと後方の大柄の男へと向ける。二人は頷き合うと、場所を入れ替わった。仁科の前には、桧山よりもガタイのいい男が立ちはだかった。こちらは、仁科とそんなに年齢が変わらなさそうだ。


「詳しい話はできない。――が、我々も警察であることは同じだ。ここの現場は我々に任せて、密行に戻れ」

「いや、でも――」

「戻れと言っている。ここで見聞したことは、口外するな」


 仁科の声を遮るように、男の冷たい声が被った。断固として、仁科たちをこの場から追い出そうとしている。

 ――怪しい。何とかして、ここに留まる術はないだろうか。

 仁科が考えを巡らせていると、突然、片耳につけたイヤホンから無線が入った。


『こちら、機捜本部。仁科班、現場から離れ密行に戻れ』

「……はぁっ?」仁科は思わず声を漏らす。


 沙利奈も少々納得のいっていない様子だったが、しばらくすると「了解」と無線に応答した。


「仁科さん、行きましょう」

「えっ? ちょっと、」

「いいから早く」


 戸惑う仁科の襟元を掴むと、バスの外へと引きずり出し、そのまま助手席に押し入れる。沙利奈は運転席に乗り込むと、早々に車を発進させた。


「……おい、沙利奈」

「なんですか」

「いやいや、なんですか、じゃないだろ! あんな妙な連中に現場任せてよかったのかよ」

「良いも悪いも、上から指示された以上、離れるしかないじゃないですか」

「それじゃあ、……納得いかねぇよ」


 小さくなっていくバスを車窓から眺めながら、仁科がぽつりと呟いた。その声には苛立ちと、無力感が滲んでいる。

 沙利奈はちらりと仁科の方を見て、すぐに視線を前に戻した。


「朝ごはん、食べましょう」

「……そんな気分じゃないって」

「じゃあ付き合ってください。わたし、食べたいものがあるんで」


 苛立つ仁科など意に介さない様子で、沙利奈はあっさりと言い放った。


 そんな会話をしたのは、ちょうど一時間前のことだった。

 沙利奈はエッジバーガーで、アサイーバーガーという、聞いただけで不味そうなバーガーのセットを注文すると、今度は助手席に乗り込んだ。それから、仁科はテキトーに管轄地域を巡回していたのだが、先ほどの出来事が頭をかすめては消えを繰り返し、とうとう我慢できなくなりブレーキを踏み込んだのだ。


「お願いっ」仁科が両手を顔の前に合わせる。「何も異常がなさそうならすぐ引き返す。だからっ――」

「現場には戻りません」


 沙利奈はボンネットに視線を向けたまま、きっぱりと言い放った。冷たくも揺るがないその声に仁科が諦めかけたその瞬間、沙利奈の小さな顔がくるりとこちらを向いた。口角がわずかに上がっている。


「……、ね」

「えっ?」

「富士感染症研究センターに向かってください。上田という男は、おそらくそこに運び込まれたと思います」


 予想外の言葉に、仁科はハンドルを握ったまま、沙利奈の横顔を凝視した。


「……富士感染症研究センター?」


 仁科の脳裏には、先ほどバスから目にした光景が過ぎっていた。警察車両と思われる黒の装甲車と、白いワンボックスカー。ワンボックスカーの方には、『富士感染症研究センター』と書かれていた。そこの職員と思われる白い防護服を着た男二人が、上田に口輪をつけ、車の中に押し込んでいるのも目撃している。


「私たちは、現場から離れろと言われただけです。現場にはなっていないその場所なら、付近を探ろうが問題ないでしょう」

「おぉっ、そーゆーことか。沙利奈、めっちゃ頭いいじゃん」


 仁科の感心したような声に、沙利奈は満更でもなさそうな表情を浮かべると、それを誤魔化すようにふたたび前方へと視線を戻した。


「……それはどうも。それより、早く車出してください」

「了解」仁科の顔には、思わず笑みが浮かんだ。「よしっ、行くかぁ」


 ハンドルを切り、アクセルを踏み込む。

 仁科は、いまだかつてない高揚と共に、不穏な気配を感じ取っていた。

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