episode 4 もっと大切なこと [終]

 だからもしかしたら奇蹟だったかもしれない。斗夢はまた二日後の雨にも、この壊れゆく緑色の港に現れてくれた。そのときすでに、ぬれ続ける憂に大変なことが起こっていた。

「くそっ、憂はどこなんだ。逃げられるはずないのに……」

 彼は今や塁より憂を捜して岸壁や倉庫跡を歩き回る。彼女があと少しで見つかるのに、そこを素通りしていく彼。ああそれに、倒れた彼女を見つけても幽霊だからと助けてくれない可能性もある。

 私は弟ながら情けなく、むなしくなった。

 そう、私は塁だ。私は斗夢から理緒が今もここで見張ってるんじゃないかと言われたとき、彼が彼女ではなく私の姿を見かけて言ったのではないかと思ってぎくりとした。もちろん想像にすぎないのだが、いやそれより今はもっと大切なことがある。

 私は決断しなければならない、何より憂のために。

 私は今日は黄ばんだシャツ姿のふれられない彼女に「待っててね」と聞こえない声をかけ、自分の姿が見える少年の元へ急ぐ。地縛霊の私は家族か自分を殺した人としか接することができないのだ。

 私は子供のころから思いやりがあるといわれてきたけれど、それは一面を見た評価でしかなかった。死者の自分は人と接してはいけないという葛藤、斗夢の前に出たら私の死を知られてしまうと恐れるのは弟を思いやっているだけでなく、彼を傷つける人間になりたくないという身勝手な感情がつねにあった。

 ねえ、斗夢の奴どこ? さっき赤い傘を見かけたのにまた姿を消すなんて。他の人に聞こえない大声を出して私だとわかれば来てくれるだろうか、逆に怖がって逃げかねない。でもあの子は、今まで生きている憂を地縛霊と勘違いして普通に接してきたではないか。

 憂、彼女は生きているからこそ古い倉庫のトイレで倒れ、男女共用にもかかわらず斗夢に見つけてもらえなかった。

 そのときだった。

 倉庫の角からどわっと我が弟が現れ、これまで隠れて観察してきた私の姿を見る。

「…………」

 彼は驚いて声を出せず、「ル」、「イ」と口だけ動かした。

 私は「そう、塁よ」と答える。雨が狙ったみたいに小降りになり、逆に私から死者の涙があふれ出す。今何を泣いているのだろう、斗夢か憂か、自分のことか。私は目を見開いて固まったままの斗夢に近づき、そっと冷たい腕を伸ばした。

「私は斗夢の手にふれることもできない。こうして――ほら」

 二人の右手がかけらの意味もなく重なり、私は腕を引いて続ける。

「あなたがずっと話してきた憂は人間で、生きてるの。船に載せるはずだった保存食でこれまで生きてきた。いい? 斗夢が捜してた私のほうが地縛霊なのよ」

 私の家族でなくもちろん殺してもいない理緒の手紙の内容は残念ながらうそだった。彼女も死んだ私を生きていることにしたかったのだ。それとも斗夢が手紙が来たとうそをついただけ? ああ、彼女にも会いたい……。

 そして憂である。彼女が黒い海相手にこぼした独り言によると、女の子を必要としない親に捨てられたそうだ。彼女は港から旅立ったお兄ちゃんをずっとずっと待ち続けていたが、とうとう待ちくたびれて最悪の道を選んだ。しかしあの晩、恋人に別れを切り出された私がこの捨てられた港をあてなくふらふらしており、車の前に飛び出した彼女を助けてはねられ、私が岸壁から落ちてしまった。

 命を救われた彼女は自分を死んだと思っている。突き飛ばされたときに生前の私の顔を見なかったのは本当らしく、また私を〝殺した〟のは車の運転手だから彼女に私は見えない。気がついたら私は現生への執着と彼女の心配で地縛霊になっていた。

「私、私は自分の命がもうここにないことを知られたくなかった。知ったときの斗夢が心配だって自分にうそついて、姿を見せるのをためらってた。でも今は――」

 斗夢が私の「でも今は」で正気を取り戻し、震える声で「今は?」と訊いてきた。

「今は、もっと大切なことがある」

 私は思わず彼の手をつかみかかってすり抜ける、もうかまわない。

「急いで、憂が倒れたの。まだ生きてるのに倒れちゃったの! お願い、憂を助けて。斗夢」

 彼に頭を下げて頼み、水たまりに頬から冷たい雫が落ちていった。


          了


▽読んでいただきありがとうございました。


地縛霊は塁のほうでした。この小説の視点は三人称ではなく、累だったんです。

今も生きている憂を助けたい方は、ぜひ♥や★評価、フォローなどをお願いします。

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ポートレイン 海来 宙 @umikisora

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