第9話「クラッシュ/終わるデイドリーム」
お題:【ゼリー】
◇
——夕刻などとうに過ぎ去り、夜も更けていく。
俺は、黒紫あげは——人類の敵にして、俺の討伐対象にして、そしてそれ以上に大切な存在——と夜通し話し込んでいた。
好きなもの、苦手なもの、幼少期の思い出話、取ってつけたような取り留めのない話。
これまでのこと、今までにあったそれぞれの戦い、戦いへの本音、人生観、そういったことを、ただただ語り合った。
彼女は俺の話を静かに聞いていたかと思えば急に笑い出すこともあった。
「何がおかしいんだ」と聞くと、「真面目なトーンで爆笑失敗談とかダダ滑りで逆におもしろいです」などと返してきた。遠慮がない。でも、俺はそれを望んでいる。
外からの疾風が、窓を鳴らした。
……その後も話は続いた。
彼女の話は、それはもうすごかった。経験値が俺とはダンチだ。あ、段違いって意味らしい。彼女が言っていた。博識である。
ところで彼女はやはり16歳じゃなかった。普通にもっと歳上だったわけなのだが、それ以上は彼女が怒る——というか嫌がるので言わないようにしていた。もっとも、精神的にはピチピチの16歳らしい。本当かどうかはよくわからないが、でも俺はそういうことを言う彼女も好きになっていたので、もうそれで良いかと思っていた。
——きっと日曜日も、こんな風に、俺は彼女に惹かれていったのだろう。
実はもう吸結姫ゆえに吸血鬼からは逸脱していたわけなので、彼女は陽の光を浴びても案外なんとかなるらしい。流石に夏場は燃えそうになるそうだが、萌え袖で体育座りをしながら話す彼女を見ている俺は「萌えすぎる」としか言えなかった。はたかれた。
「もっと真剣に聞け」と言われた。
もっともである。そう言われて当然である。
はたかれても痛くなかったので、加減してくれたのかな、嫌よ嫌よも好きのうちとも言うし、これも愛情表現なのかな、などと、そんなことを考えていたら、殺し合うはずだったのに、もう恋愛感情しか残っていないということを再認識して、何か少し——変な気持ちになっていた。
「なぁ、あげはちゃん」
いつの間にか下の名前で呼んでいた。
「なんですか、先輩」
少し上気した顔つきで、あげはちゃんは答える。
「年齢不詳ってことはさ、ていうかその、なんだ。あー、違う、そうじゃないんだよ」
頭をくしゃくしゃとかきながら、俺は言いたいことを言えないもどかしさに苛まれていた。
それを見ていた彼女は、わずかに、ほんのわずかに笑って、
「——口下手ですね。
でも、ふふ。そういうところ可愛いと思いますよ」
「ああ、くそ、やっぱカッコつかないな——んむ!?」
そうこう言っている内に、俺の口の中に何かが入ってきた。
深夜も深夜。明かりのついていない教室で、しかも突然覆い被さられた関係で、実際どういう体勢になっていたのかも定かじゃない。俺の理性も定かじゃない。でもなんだろう、口の中が、ゼリーの様にとろけている、蕩けている。
何かが絡んでいる、絡み合っている。
けれど、今は少し、よくわからない。
顔に鼻息もかかるが、俺がこの状況を理解するのを拒んでいる——だって。
だって。
——つーーーーーー。
床には何か液体が垂れているから。
だって。
——ぱしゃっ。
床には液体が広がっているから。
そしてそもそもその原因が、
「————、ぁ、見ないで、せんぱ、い」
俺が掴んだ彼女の左腕が、
掴んだ所から先が破裂したのだから。
——俺はそれなりに腕の立つアヤカシハンターだ。
だけどこれは違う。
俺は今——何の力も行使していない。
俺はただ、彼女が、黒紫あげはが愛おしくて、彼女の腕に触れただけだったのだ。
なのに、なのに——ああ、あああ。
彼女の腕は、ゼリーの様に砕けて弾けた。
落ちた腕は、地面に落ちると血として爆ぜた。
なんのことはない。液体とは、血液だったのだ。
——そもそもおかしかったのだ。おかしかったのだ、話が。
俺が本来迎えるはずだった死を吸い取ったと言うのなら。それで俺がこうして無事生きているというのなら。
なら、今まで吸ってきたアヤカシたちもそうであるはずだ。
彼女の血肉となってはいないのだ。
そもそも、彼女は別に概念を吸っていたわけではないのだ。
そもそも、吸血鬼から逸脱するために——わざわざ『死んだアヤカシ』を食らっていたのだ。
吸血鬼の行動から外れるために、手間暇かけて弱体化していったのだ。
それでも結果的に、その行為を延々と続けていたために、彼女は吸血鬼から吸結姫へと転じた。
吸血者から——ただの食肉者へと転じたのだ。
彼女は別に吸血鬼の進化体となったわけではない。彼女はただ、ハンターたちに気づかれないレベルにまで、落ちぶれただけなのだ。
だがそれでも。アヤカシという存在は、噂——或いは伝承——により特殊能力を会得する。
それがどれだけ身の丈に合わないものであろうとも、アヤカシは自身に与えられた【
彼女は、その身を犠牲に、実際に——俺の死を吸い取ったのだ。
その反動がこれだ。これだった。
彼女は——黒紫あげはは、己の能力を行使したがために、器たる彼女自身の肉体を崩壊させた。
結果として、彼女はもう、上半身以外ゼリーのように砕け散り、夜の教室を血で満たしていた。
「あっ、あ、あげ、あげは——なんで……、なんで……ッ!」
飛散した血を浴びたり、震える足が原因で床に体を打ち付けたりしたことで、俺の体は血塗れだった。
でもこれも彼女の一部か——混乱する感情の中で、どこかでそう思う最低な自分もいた。
それでも、そんな自分も抱えて、俺は彼女の元へ這い寄る。もうどこを触っても砕けてしまう、彼女の元へと躙り寄る。
縋りつきたくとも、それはできない。それはもう、殺すも同然なのだから。
声にならない嗚咽を漏らす。俺は、好きな相手すら満足に守れずにいる。何もできず、ただ打ちひしがれることしかできない。いつぞやと同じように、顔を床に擦り付けることしかできない。
でも、それでは彼女を見れないと、そう思い、ぐちゃぐちゃの感情のまま、俺は彼女を視界に納めた。
「——ぁ、やっと見てくれましたね。
いやその、見てほしくないって言ったけど、やっぱ、最期ぐらいは、先輩、と」
もう彼女の目に光はほとんどない。たぶんもう、ほとんど聞こえてもいないのだろう。
「せんぱい。わたし、ぜんぜん不幸じゃないですよ。……本当は日曜日に死んでいたのは、わたしだったんですから。
それを、せんぱいが、かばって、くれて」
「あげは——あげは……っ!」
「せんぱい、さいごのおねがい、です。
——わたしを、だきしめてください。
それで終われるなら、それも、ほんもう、です」
——何かが弾けた。
何かが堰を切ったように溢れている。
泣いているのか叫んでいるのかもうわからない。
けど、けれど俺は、最後はちゃんと——
——好きな子のお願いに応えられた。
◇
翌日。
秋晴れの中、俺は学校の屋上で一人空を眺める。
澄み切った空、涼しげな空気、風。
きっと寂しさも虚無感も、この気候によるものだろう。
「——なぁ、あげはちゃん。
俺、君のこと忘れられないけど。それでもどうにか、生きていくよ」
誰にでもなく、そうひとりごつ。
せめてあの世で褒められるように。
俺はどうにか、起き上がった。
『コバナシラセン』、了。
コバナシラセン〜またの名を連作短編〜 澄岡京樹 @TapiokanotC
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