8.「想子ちゃん大好き」

 実家に帰った私は事務のアルバイトを見つけ、真面目に働き始めた。島でのことは、ふとした拍子に思い出してしまい仕事の手が止まることもあったため、できるだけ心の奥へ奥へとしまいこむようにしている。どうせ誰にも言えない過去だ。


 ある日、あの男性警察官から真井の裁判日時を知らせる電話が来た。

「希望すれば誰でも傍聴できますよ」

「そうなんですか」

「被告人の言うことをじかに聞くことになるので、つらいかもしれませんが」

 気を遣って話してくれる彼に、私は「ありがとうございます」とだけ言った。すぐに決められることではないと、その時は思った。でも私は翌日、職場に当日の休みを申請した。


 自分が知らない花を感じられるかもしれない。それが、裁判を傍聴しようと決めた一番の理由だった。

 私は置屋で、花を含む女の子たちと同じものを食べて同じ時を過ごした。真井もきっと日常生活の中に花と共有する何かを持っていただろう。ただきれいな女の子を妻として据えたかっただけだとしても。

 恋の色を頬に乗せる花を思い出すと、真井が彼女を殺した動機を知るのは怖い。それでも、島を出てからの花を確かめたい。そんなことを考えて自然と肩に力が入ってしまい、私は裁判所の門の前で大きく息をついた。


「検察官が読み上げた起訴状の事実について何か言いたいこと、間違っている点はありますか」

 裁判長が問う。

「こ、殺したことは認めます。でも……そんなつもりはなかったんです。まさかあれくらいで死ぬとは思っていなくて……。あいつ、あいつの金なんてすぐに尽きたんだ、だから稼ぎに行けって言っても、口を開けば『島に帰りたい』『痛いのは嫌』だって!」

「日常の暴力については?」

「そ、それは……よくあるじゃないですか、ちょっとしたプレイで……あいつだってそれくらいは許してくれてたんですよ」

「嘘よ!」と言いそうになり、慌てて手で口を押さえる。私が伝えておいたとおり、花は『痛いのは嫌』と言っていた。真井がそんな簡単なことにも応えず、自身の欲望だけを振りかざしていたことは想像に難くない。

 検察官は真井の言葉を否定する証拠を冷静に挙げていく。弁護人の弱い弁論では覆せないと判断したのか、そのたびに彼の背が丸まり、しまいにはくずおれるのを私は後ろからただ見つめる。

「被告人は、証言台に立ってください。これで本件の審理を終わりますが、最後に何か言っておきたいことはありますか」

「……俺は、俺は……」

 少しの静寂を破り、真井は大声で言った。

「俺は悪くない! あいつが、あいつが俺を怒らせたから!」

 弁護人が静かにため息をつく。再び静寂が訪れたあと、裁判官が口を開いた。

「主文、被告人を懲役十二年に処する」

 無機質な蛍光灯の白い光が、天井を見上げた私の目に容赦なく刺さった。



 私が膨張した裁判から一ヶ月が経った頃、警察署から遺品を送る手筈が整ったとの電話が来た。数日後に届いた段ボール箱の遺品の中には、花が気に入っていたパステルグリーンのフレアスカートと、赤いハイビスカスのバレッタが入っていた。スカートを触った時にかさりと小さな紙の音がして取り出してみると、それは「ラーメン」という言葉と、店の情報がたどたどしく書かれたメモ用紙だった。

「……ごめん、花……ラーメン、食べに行けなかっ……」

 あの日、風呂場で花に「借金は返せたみたい」とだけ言っていたら。真井に目を付けられることもなく、島を出ることもなく、置屋で暮らしていただろうか。

 どんなに考えたところで、私の後悔は消えることはない。目から大粒の涙が流れ出し、滲む視界に花が「想子ちゃん大好き」と笑った気がした。

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花は、咲う。(改訂版) 祐里 @yukie_miumiu

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