7.行旅死亡人
「いくらあんたたちが仲良かったとはいえ、探すのは骨が折れるかもしれないよ」
「……でも、花の住所はわかってるし、駆け込み寺の見当もついてるので」
「まあ、止めはしないよ。借金がなくなった女の子は、止められないんだ。花だけは止めたかったけどね」
そう言うと女将は大きく息を吸ってから、吐き出した。私の後悔を知っているためか、それ以上は何も言わない。
「……お世話になりました。お給料も多くいただけて、本当に感謝しています」
「想子が事務を手伝ってくれたからね。正当な報酬だ」
女将はそう言い、視線を落とした。
花の不穏な電話が来てから無事に駆け込み寺へ行けただろうかと気になり、そわそわしていたら女将に事務作業を手伝えと言われた。そうして、毎日机に向かって電卓を叩いたり電話に出たり、伝票の整理をしたりなどの事務の仕事に、三ヶ月間明け暮れていた。どうせ客など来ないのだ。何かに集中している間だけでも、あの電話のことと自分の後悔の念を忘れられるのは助かった。
「タミヤ軒のおじさんにも、よろしくお伝えください」
「ああ」
「お元気で」
「早く行きな。もう船が出る」
「はい。ありがとうございました」
私がぺこりと頭を下げると、女将はくるりと向きを変え、置屋に入っていった。船着き場まで歩いて行くと、もう小型の船が到着している。船頭に料金を支払い、船底を沈ませながら乗り込む。
「すぐ着くよ、二十分かからないくらいで。座ってな」
大きなエンジン音を立て、船が動き始める。たかだか二十分の距離、こんな近くに本土があるのに、私たちは島に繋ぎ止められていた。借金のせいという理由が大半だったが、こうしてだんだん離れていく島を眺めていると、他にも理由があるような気がしてくる。
「……花が言ったとおり、いいところだった、かも」
夜の仕事は気を遣ったけど頭を使わずに済んだのが楽だったな、嫌な客がいなければ、などと考えていると、本土の陸地が目の前に迫ってきた。
「もうすぐだよ」
船頭の声に「はい」と返答をし、私はその陸地を見据えた。
久しぶりに本土の地を踏み、私はまず電車を乗り継いで花の住む町を訪れた。駅を出るとすぐにタクシーを拾い、駆け込み寺へ、と男性運転手に告げる。すると彼は黙ってうなずき、走行を始めた。女性から「駆け込み寺」と言われたらそうするというルールがあるのかもしれない。
タクシーは、急な階段の下で止まった。どうやら階段を上った先に駆け込み寺があるらしい。一通り見上げてから古びた山門をくぐり、一段、また一段とひたすら階段を上り続け、目の前に現れたのは寺の大きな本堂だった。
花の言っていた駆け込み寺なのかはわからないが、まずは彼女の所在を確かめようと、私は境内に足を踏み入れた。
「すみません、あの……」
本堂に向かって声をかけると、住職らしき老年の男性が出てきた。
「赤井花って人を探してて……」
「ちょっとお待ちを」
そう言うと住職は本堂の奥に下がった。それから十分くらい経っただろうか、立ったままだと疲れるなと私が思い始めた頃に再び出てきた彼は、「赤井花さん……亡くなった方ですね」と衝撃的な言葉を告げた。
「……え……?」
「確かにこの寺に眠っている方のようですが……お名前がわかっているのに、
「そ、んな……」
「詳しく知りたいなら、警察署の方がいいと思います」
「……警察……」
住職は言葉を失った私に、警察署にはバス一本で行けると教えてくれた。礼を言い、階段を降りていく。
警察署へと出向き、受付で事情を話すと担当課の男性警察官が出てきた。彼は、花が無戸籍だったこと、生みの親は花の遺体引き取りを拒否したということを教えてくれた。直接の死因は脳挫傷性血腫。ただ、体には他に痣や怪我が複数あったと、小刻みに震えながら聞く私に彼は説明した。
男性警察官はとても親切にしてくれた。ショックを受けている私を見て、彼は軽くため息をつくと、こう言った。
「何で助けられなかったのかって、みんな言うんですよ、こういう時。でもね、本人が隠そうとするんです」
「……そうですか。事故じゃない、ですよね? 犯人は……」
「内縁の夫が逮捕されて……もうすぐ裁判が」
「あの、もしかして、真井って人……ですか?」
「知ってましたか。ひどいやつでね」
「……わかりました。ありがとうございます」
「仲が良かったんですね。よければ遺品をお送りしましょうか?」
「遺品……。友人でもいいんでしょうか?」
「大丈夫ですよ。じゃ、こちらに名前と連絡先を。あ、もしかしたら親族ではないということで、書類上の手続きにまた来てもらうことになるかもしれませんが」
私は書類に自分の名前と実家の住所や電話番号を書いた。男性警察官はそれを受け取ると、「ありがとうございました」と真摯な態度で頭を下げる。
「い、いえ、こちらこそ」
「あなたのような友人がいて、彼女は幸せでしたね」
「……はい」
笑おうとしたができなかったというような表情の彼に、私はそう返すのが精一杯だった。
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