6.天皇崩御
『天皇陛下が、一月七日午前六時三十三分、吹上御所で崩御されました。八十七歳でした。陛下は昨年九月十九日に吐血されて以来……』
一九八九年一月七日、天皇陛下が亡くなった。昭和が終わったと言われてもピンと来ないが、景気が悪くなるだろうということはわかる。
「また自粛……お客さん来てくれないと、お金が……」
「でも想子、あんたもう年末で自分の借金払い終わったって知ってるよね?」
「あ、はい」
「あんたなら島の外でも生きていけるだろうけど、どうする?」
「……私、は……」
「ま、ゆっくり考えな。さて、本当ならそろそろ風呂に入れという時間だが……」
「……お風呂、入ります」
「そうかい? なら他の女の子たちにも言っといてよ。仕事はないけど風呂に入りたいならさっさと入れって。その方が早く掃除できるからさ」
事務作業で忙しそうな女将に「わかりました」と返事をし、私は女の子たちの部屋を回って女将の言葉を伝えた。その中の数名が早く風呂に入ると決めたようで、同じタイミングで私を含めた四人が脱衣所に集まる。
「うう、寒い。……あのさ、花、元気かな?」
すぐ隣で服を脱ぐ女の子に突然花の名前を出され、「ん?」と聞き返す。聞こえなかったわけではなく、何でこんな時にという疑問からだ。
「花、いつも早くお風呂入ってたでしょ。この時間にお風呂に来ると思い出しちゃって」
「ああ、なるほど。えっと……、元気に暮らしてる時は連絡しないものらしいよ」
「そうなの? じゃあ元気なんだね。全然電話来ないもん」
「うん」と返答し、風呂場の扉を入る。確かに彼女が言うとおり、扉を開けると花が先に入っていることが多かった。きれいな白磁の肌、ほんのり薄赤色に染まった頬と肩、へにゃりと笑って「想子ちゃん」と私を呼ぶ細い声。
滲んだ涙を他の女の子たちに見られないよう、私は浴槽の湯を汲むと思い切り頭からかぶった。
花からの電話が来たのは、風呂から出た二時間後だった。
「あの、赤井(あかい)ですけど……」
「……もしかして、花?」
事務作業で忙しくボールペンを走らせている女将の代わりに電話に出た私の耳に、花の不安そうな声が届く。
「想子ちゃん? あのね、あたしね、ここの町の駆け込み寺に行くの」
「駆け込み寺って……」
「怪我、しちゃって」
「怪我!?」
「赤くなっちゃって、血も出てるの。痛くて……」
「何でそんな! お寺じゃなくて病院でしょ!?」
「で、でも、お金ない……」
「じゃあ早くその駆け込み寺に行って。一分でも早く!」
私が早口で言う言葉は伝わっただろうか、そんな心配をしていると、電話の向こうから突然、「なに電話なんてしてんだよ!」という男性の大声が聞こえた。
「花!? どうしたの!?」
私が言い終わらないうちに、ガチャッと乱暴な音を立て、電話は切れてしまった。
「け、警察、警察にっ……」
一旦置いた受話器をもう一度左手で上げる。手が震えてしまいダイヤルを回すことができずにいると、いつの間にか後ろに来ていた女将が、言うことを聞かない私の右手をがしっと掴んだ。
「やめとくれ。警察とは相性が悪いんだ」
「え……、でも……匿名なら」
「花が何を言っていたか知らないが、島を出た女の子に干渉しすぎるのはご法度だからね」
そう言われてしまうと何も言い返せない。商売人の前では、私はただの商品になるしかないのだ。
「はい……」
ゆっくりと受話器を置く私にほんの一瞬だけ心配そうな表情を見せた女将は、すぐに奥の事務机に戻っていった。
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