風の吹かない国

阿僧祇

風の吹かない国

 ターコイズでは15年間風が吹いていない。


 正確には60年前から我々の国ターコイズではほとんど風は吹いていない。


 60年前の風が吹かなくなる前、ターコイズは呪われていた。ターコイズの国民全員が全身に黒斑が出てしまう呪いにかかってしまったのだ。


 そんな病気が広まったと同時に、ターコイズでは風は吹かなくなった。


 そんな呪われた国から出て行く国民が最初は多くいたが、国を出ようとした国民の全てが国を出る前に死んでしまった。


 皆この国に縛られているようで、国から少しでも離れようとすれば、決まって全身を痙攣させて死んだ。


 この国の周りには、抜け出そうとした国民の骸骨がごろごろと転がっている。まるで、何かの結界が貼られているようだった。


 この結界は内側だけでなく、外側からも有効なようで、この国に入って来るものは60年間で誰1人としていなかった。


 しかし、15年前のある日、この国の外から魔法使いが現れた。


 その魔法使いは風とともに現れた。魔法使いはダイヤと名乗った。そのダイヤと言う魔法使は結界に閉じ込められた国民の間に通り抜けた新風となり、人々に希望をもたらした。


 ダイヤは言った。この国には風が吹くべきだと。


 人々はその魔法使いのダイヤを崇めた。


 しかし、ダイヤは現れた次の日に突如として姿を消した。


 再び風は止んだ。


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「ヒスイ! 今日の晩御飯はウサギだよ!


 湖のほとりでぴょんぴょん跳ねてる所を捕まえたんだ! 


 コハク、猟上手いでしょ!」

「はいはい、上手い上手い。」


 ヒスイは机の上に分厚い本を開きながら、何かを紙に書き写している。コハクが必死に捕まえた獲物に見向きもしないヒスイに、コハクは頬を膨らませる。


「ちょっと! 見てよ! う・さ・ぎ! 


 ぴょんぴょん跳び回って、すばしっこいウサギ! 1番狩るのが難しいウサギ!


 この国ではコハクくらいしか捕まえられないウ・サ・ギ!」

「はいはい。すごいすごい。」


 冷淡に呟かれるヒスイの言葉に、コハクはさらにいらだちを募らせる。


「全く、コハクがいなきゃ、ヒスイもウサギなんて食べられないんだからね!」

「……。」

「ヒスイは狩りもせずに、何してるの?」


 ヒスイは真剣な表情になる。


「……真実を追い求めてる。」


「真実? それって呪いのこと?」


 コハクは腕をまくって、黒々と火傷のようにケロイドとなった皮膚を見せた。


「それもあるな。


 俺達の国ではなぜ呪いが蔓延したのか?」

「それは昔の人が何か神様を怒らせることをしたんじゃないの?


 だから、この国では風が吹かなくなったって聞いたよ。」

「大人はみんなそう言うな。神様が、魔法使いが、結界がって。


 そんな簡単な概念がこの世界を支配していると思うか?」


 ヒスイはようやくコハクの目を見て、そう言った。


「……でかいウサギだな。」

「今?」

「それ、俺に全部くれないか?」

「なんでよ?」

「今日の夜、俺はこの国を出るからだ。」


 コハクはヒスイの言葉に驚いて、手に持ったウサギを床に落とす。


「何言っているの? 死にたいの?」

「死なない。俺は生きるために、この国を出る。」

「どういうこと? この国を出たら、すぐに死んじゃうんだよ。」

「でも、この国にいても、呪いですぐに死んじまうだろう?」


 コハクはその言葉に黙ってしまう。


「コハクのお母さんは何歳で死んだ?」

「……26。」

「俺の両親はどちらも24だ。」

「俺は昔の本を読む限りじゃ、人間は30じゃまだ普通に生きているし、7,80歳まで生きているのはざらだ。


 この国の呪いが俺達の寿命を減らしているんだよ。」

「だからって、死に急ぐことは無いよ。」

「だから死なないんだよ。」

「なんでよ?」

「俺は風の起こし方を知っているからだ。」

「えっ!?」

「俺は今夜、風を起こす。


そして、この国の呪いを解く。」


 ヒスイの目は真剣だった。


「本気?」

「もちろんだ。今から出かけようと思っていたところだ。


 ……最後にコハクへさよならを言っておきたくて。」

「……。」

「じゃあな。


 ……この国の外に出たら、次の国までどれだけの時間かかるか分からないから、このウサギは非常食としてもらっていいか?」

「ちょっと待ってよ!」

「なんだよ? もう俺は何を言われても止まらないからな。」

「……私も連れてって。」



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 コハクはヒスイを盾にして、歩いていく。ヒスイはウサギを左手で引っ張りながら、右手に何かを持っていた。


「そんな怖がるなよ。まだ国の外れまで来ている訳じゃない。」

「そうだけど……。」

「何も知らないから怖いんだ。」

「それはそうでしょ。何も分からないんだから。」

「……じゃあ、俺の後ろを離れるなよ。」

「……ところで、ヒスイはどうやってこの国に風を起こすの?」

「それはこれだよ。」


 ヒスイはそう言って、右手に持った石をコハクに見せた。


「それは魔法石みたいなこと?」

「いいや、家の庭で拾ったただの石だ。」

「じゃあ、駄目じゃない!」

「風を起こすにはこれで十分だよ。無理だったら、もう少し大きい石を持ってくればいい。」

「どういうことよ?」

「じゃあ、1から話そう。


この国になぜ風が吹かないか?」

「聞かせてよ、ヒスイが本当に分かるなら。」

「じゃあ、質問だが、暖かいスープと冷めたスープの違いはなんだ?」

「スープ? なんで急に?」

「いいから、2つのスープをどう見分ける?」

「それは、湯気が出ている方が温かいスープでしょ?」

「その通りだ。温かいスープには湯気がある。」

「それがどうしたの?」

「じゃあ、湯気とはなんだ?」

「……水かな? 湯気に手をかざしたら、濡れるし。」

「そうだな。水だ。その水はおそらくスープの水だ。


 つまり、スープの水は宙に舞い上がっているんだ。じゃあ、減った水の分はどこから補うと思う?」

「それは、補うというより、減った水の分空気が入るんじゃないの?」

「そうだな。なら、暖かい水は宙に舞い、宙に舞った水の分だけ空気が動くはずなんだよ。」

「でも、スープからは風は感じないよ。」

「確かに、小さなスープからは風は感じない。


 でも、それがこの大きな世界で考えればどうだろう?


 幸い、太陽が地面を温めてくれるから、大きなスープの役割として湖があったなら、空気が動いて風が起こるはずなんだよ。


 この国の真ん中には湖があるから、空気の動き、つまり、風が起こるはずなんだ。」

「でも、それはヒスイの妄想でしょ?」

「そう言われてしまえば、それで終わりだが、一旦、この国では湖があるから、風が起こるはずだ。という妄想が真実だと考えてみる。


 では、その上で、なぜ風が起こらないのか?」

「うーん? 空気が動かないとかかな?」

「そう!」

「そうなの!」

「この国では空気が動かないから、風が吹かないんだ。


 そして、仮説では湖の水も湯気として立ち昇らない。」

「それってどういうこと?」

「それは……、

 おっと、その前に、もう結界の前だ。」


 ヒスイはそう言って、目の前にある骸骨を指差した。骸骨はそこら中にごろごろと転がっている。コハクは怖がって、ヒスイの後ろに隠れる。


「よく見てみろよ。骸骨は一直線上に並んでいるだろう?」


 コハクはヒスイの背中から顔を出して、骸骨の位置を確認した。すると、ヒスイの言う通り、骸骨は誰かに並べられたかのように、綺麗に整列していた。


「でも、あそこから結界ってことでしょう? その骸骨を踏み越えたら、呪い殺されちゃうよ!」

「その死に方は覚えているか?」

「……体を痙攣させて死ぬんでしょう?」

「そうだな。」


 ヒスイはそう言って、左手に持ったウサギの死体を骸骨の上へと放り投げた。


 すると、骸骨の上の空中でウサギの死体は痙攣を始めた。ウサギは生きているように、体をビクビクと激しく揺らした。そして、宙に浮いていたウサギは痙攣を続けながら、骸骨の上へと落ちた。


「やっぱり! 呪いはあるんだ!」

「違うね。これは電気だ。」

「電気?」

「ああ、電気だ。


 コハクくらいの長髪なら、髪が逆立つことあるんじゃないか?」

「寒い時にそんなことになることもあるけど……。」

「そんな頭の時に、鉄に触るとどうなる?」

「ビリビリ来るけど?」

「それが電気。そして、この結界にはその小さな電気よりはるかに大きい電気が流れているんだよ。」

「死んじゃうくらいの電気ってこと?」

「そうだな。」

「でも、それは呪いの一種なんじゃないの?」

「そうとも考えられるな。


 でも、ここまで材料がそろえば、別の考えが浮かんでくる。その考えは呪いよりももっと合理的な結論だ。


 その結論に至った時、おのずと風の起こし方が分かる。」


 ヒスイはそう言った後、右手に持った石を握った。そして、ヒスイは結界に向かって、その石を思いっきり投げつけた。


 すると、投げた石は結界の上空で止まる。空中に止まった石はバチバチと激しい音を立ててた。そして、石はそのまま結界に跳ね返され、ヒスイの足元に帰ってきた。


「ちょっと待って! 結界の上に何かが……。」


 コハクが石の当たった部分を指差すと、そこは空間が裂けたように空中に亀裂が入っている。亀裂は黒くなっている。


「どういうことなの?」

「やはり、俺の仮説は正しかったみたいだ。」

「仮説って?」

「……コハク。」

「何?」

「今さらだが、今ならこの国に留まることができるぞ。」

「本当に今さらだね。」

「このまま石を投げ続ければ、


 きっと、風は吹く。


 でも、その風はこの国に、いや、俺達に幸福をもたらすとは限らない。


 この国にいることが一種の幸せで、この国を出ることが一種の不幸になるかもしれない。


 それでも、風を吹かせるか?」

「……正直、ヒスイの言っている意味は全く分からないけど、私はヒスイのことを信じる。」


 コハクは少し笑みをこぼし、ヒスイの目を見てそう言った。ヒスイもコハクの笑みにつられて口角を上げた。


 そして、ヒスイは石を結界にぶつけ続けた。結界の亀裂は石をぶつけるほど裂けていく。段々と空間すらも歪んでいるようだ。


 そして、10回以上石をぶつけ続けたその時だった。石がその空間の裂け目に吸い込まれ、どこかへと消えてしまった。


「消えた?」

「おい!」


「……風だ!」


 石が消えた空間の裂け目から空気がなだれ込み、コハクとヒスイの髪を揺らした。






 再び風は吹いた。


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【黒斑病隔離地区からの男女2人の脱走に対する政府の対応について


 60年前、〇〇県南部に位置する蛸伊豆市にて、体に黒斑が出るウイルス性の感染症が確認される。しかし、その感染症に対するワクチン並びに、治療法は発見されなかった。


 この感染症は黒斑病と名付けられた。この黒斑病は蛸伊豆市内での感染しか確認されていなかったため、政府は感染の拡散を防ぐために蛸伊豆市をディスプレイの壁と天井で囲うことで、黒斑病を蛸伊豆市内に隔離することに成功した。


 ディスプレイには蛸伊豆市民に隔離を悟られないようために、切れ目のない風景が映されている。


 また、ディスプレイには高圧の電気が流されており、隔離された感染者がディスプレイを破壊して外へ出ないようにされていた。


 しかし、今から15年前に感染学の教授である大矢公博(だいや きみひろ)が黒斑病は蛸伊豆市内でしか感染することのない風土病であるという主張の論文を発表する。


 さらに、黒斑病は肌に黒い痣ができるだけで、人体にはほとんど影響がないこともその論文に書いた。


 しかし、大矢の論文は受け入れられることは無かった。


 それに痺れを切らした大矢は、蛸伊豆市の隔離壁を破壊した。大矢は次の日に逮捕され、壁の即日直された。


 大矢は未だ刑務所の中だが、大矢は蛸伊豆市内の現状として、政府の隔離によって、蛸伊豆市内の空気はよどんでしまい、平均寿命が格段に下がってしまっていることを指摘していた。


 もちろん、これらの発言に科学的な根拠は存在しない。


 存在してはならないのだ。


 よく考えて欲しい。


 黒斑病は蛸伊豆市内でしか存在しない風土病でしたと言うことを信じるためにはどうしたらいいだろう?


 黒斑病は人間にしか感染しない病気であることは証明されている。そうなれば、風土病であることを証明するには、健康体の人間に黒斑病のウイルスを打たなくてはならないのだ。


 そんなことをして、もし風土病ではなく、単純な感染症であることが分かったら、感染者には黒斑が残るし、せっかく隔離に成功していた黒斑病を広めるきっかけにもなる。


 つまり、取り返しのつかない事態になるのだ。


 そして、もし、黒斑病が風土病であると証明されたとして、60年間隔離され続けてきた蛸伊豆市民に何と謝ればいいのだろうか?


 60年間の蛸伊豆市民の隔離は、非人道的である。だが、それが日本国民全体に不安をもたらすなら、必要な犠牲であったということで見逃されてきた。


 だから、私達は黒斑病が人類全体に、地球全体に危険をもたらす感染症であると信じ続けなければならない。


 そうでなければ、我々が創り上げてきた行為が正義だったと言えない。


 だから、これからも蛸伊豆市民を隔離しなければならない。


 しかし、隔離壁が再び破壊された。


 今回は大矢のような外側からの破壊ではなく、内側から隔離壁の破壊で、少なくとも若い男女2人が脱走したものと見られる。


 脱走した男女2人は黒斑病にかかっているので、国民は見つけ次第、警察への通報または、接触の無い殺処分が許可されている。


 60年間封じ込めてきた歴代の国民の意志を現代に繋ぐために、我々政府は国民の賢明な判断を期待している。】

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風の吹かない国 阿僧祇 @asougi-nayuta

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