我々は猫である

白川津 中々

◾️

「選挙どこに入れたらいいんだ……」



高橋くんは愛猫のコチョーランをつかまえて嘆いていた。

彼は政治を知らない。日々目にし耳にする現政権の醜聞悪評。失われた何年だの裏の金だの格差助長だのいわれているが高橋くんは普通に働き普通に暮らす普通で愚昧な社会人である。政治が生活に直結しているわけでもないため当事者意識がまるでなく、学ぼうともしていなかった。だが、初めて国政を担う選挙が行われるという事でなんとなく責任を抱き「投票しなければならない」という意識に駆られたわけである。



「物価高とか賃金とかよぉ。普通に暮らせてるわけだから実感がわかねぇよぉ。やるべき時にやる事やってこなかった奴が痛い目見てるだけなんじゃねーのかぁ?」



暴論を吐く高橋くん。外交やインフラ整備などについて目を向けられないのは今の生活が当たり前過ぎてそこまで思考が回らないからだ。ライフラインが止まったら、道路が崩れたら、一次産業の国内生産量が減少したら、外国人が移民してきたら、外資系企業がマーケットを独占したら、円や企業株価の価値が下がったら、戦争が起きたら……数限りないIFに対する政策があり、今の安心を補償するためにどんなシステムが構築されどう維持されているのか、それが分からない。調べようにも膨大で見にくい資料や根拠に乏しく主観の強い情報が跋扈しており頭を悩ませる。本来それを取りまとめるのが新聞をはじめとしたメディアの役割なのであるが、政治の息がかかり過ぎており思考偏重と恣意的な編集がされているなという感覚が高橋くんの中にあり信用を置けず遠ざけていた。つまるところ高橋くんの政治知識の欠落は恵まれた生活環境と情報の氾濫によりもたらされたものなのである。



「猫はいいよなぁ。どうとでも生きていけるんだから」




コチョーランにそう投げかける高橋くんであるが、家猫は飼主がいなければ生きていけない。餌を与え薬を投与し遊んでやらなければ死ぬ。雨風凌げ空調管理の徹底した快適な空間は猫が用意したわけではなく人間が整えたものなのだ。これは国と民の関係に似ているように思う。我々市民は、自覚なく国に飼われているといってもいいだろう。

ただ、猫と違って飼い主は選べるかもしれない。今の生活に不満があるなら野党に投票すべきだし、逆に不便なく生きているのであれば飼い主を変えられないよう現政権を支持すればいい。

もっとも、票を入れた先が正しいかどうかは結果を見てみなければ分からない。万人が万人恵まれているわけではない。誰かが得をすれば誰かが損をする。選挙は損の押し付け合いである。


「ま、もう少し考えるかぁ」


コチョーランを一撫でして、高橋くんは転寝をはじめた。彼の票がどこへ行くのか、その票がどんな影響を与えるのか。答えは、いずれ……

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