六、ケイプリアン

 人々は何が起こったのか解らず、一度引いたヴァンラスたちが一斉に襲ってくるのでは…と恐れはじめた。

 この件については連日報道がされ、専門家たちがあれこれ推測を述べていた。


 だが、どれも正解ではなかった。


 この真実を知る人間はミサキただ一人だった。


 やったのだ…。


 ケイプリアンが。


 父親を、殺したのだ。


 ミサキは固く口を閉ざし、この真実を隠した。

 これだけはぜったいに、ミサキだけの秘密にしようと思ったのだ。


 ケイプリアンが打ち明けてくれた秘密。ミサキただ一人に与えてくれたヴァンラスの秘密だ。


 ヴァンラスたちが消えてしまったのと同時に、ミサキの腕につけられたケイプリアンのお印も消えてしまっていた。

 それはケイプリアンとの繋がりが消えてしまったことを意味していた。


 本当にヴァンラスが消えたのかと不安がる人々の中で、ミサキは静かに泣いていた。


 ケイプリアンが恋しかった。

 本当に彼には二度と会えないのだと悟り悲しくて悲しくて涙が流れた。


 彼に対して自分がどういう感情を持っていたのかはよくわからないが、愛おしかったことは確かだった。


 ふと気が付くと、彼につけられた噛み痕を無意識に触っている自分がいた。


 それをつけた人はもういないのだと思うとまた涙があふれた。


 数週間たって、政府はやっとヴァンラスがどうやら攻撃をやめたらしいと発表した。


 生き残った人々は歓喜し、いたるところでお祭りやパレードが開催された。


 ミサキも自宅に戻ったが全く喜ぶ気持ちにはならなかった。


 世界は平和を取り戻したが、ミサキはケイプリアンを失ったのだった。


 平和になったことを受けて両親は引退し、田舎に家を買った。

 ミサキにも一緒に暮らすように誘いがあったが彼女は断った。


 ケイプリアンと共に過ごした思い出の残る部屋から出たくなかったのだ。


 弟のナオキは現役を続けていて、以前のように時々様子を見に来てくれた。


 彼だけはミサキが何を悲しんでいるのか何となく察しているようだったが、何も聞いてこなかった。


 ヴァンラスからの解放が宣言されてから数か月後、政府は史上初のリセットを行うか否かの選択を住民投票によって決める方針を発表した。


 リセットとは「なかったこと」にする機能である。


 ヴァンラスにやられた全てをなかったことにしませんか? というのが政府の提案であった。

 それによりヴァンラスによってもたらされた被害や傷跡はなくなるし、直接的・間接的に殺された人も戻って来る。


 これにはほとんどの人が賛同していた。


 ただし、これまで一度も実行されたことのない “リセット” なので、慎重派の者たちや自然派推奨団体の者たちはこれに反発した。


『被害が大きすぎてどこまでリセット対象かわからない。想定外のことが起きる危険が大きいのでは?』

『我々は、この悲劇から立ち直ってこそ強くなれる!』

『いや、この経験はトラウマしか生まない! 消し去れるものなら消し去ろう!』

『殺された家族を返して!!!!!!』


 住民投票の日まで、果てしない議論が繰り広げられた。


 ミサキは自分がどちらを望んでいるのかわからなかった。


 全てを忘れて楽になりたいという気持ちはあった。

 カオルとサキコが戻ってきて欲しいとも切に思った。


 だけれども、ケイプリアンのことを忘れてしまうのは嫌だった。


 いよいよ住民投票の日。

 ミサキは投票には行かなかった。


 彼女はどちらにも決められずに、民意に自分の運命を委ねたのだった。


 結果は、≪リセットする≫だった。


 この結果を受けて、ミサキは足元から崩れ落ち泣いた。


 ケイプリアンとの時間が全て消えてしまうと思うと心が張り裂けそうだった。

 だけれども、心の中では同時にほっとしてもいた。


 リセットは投票翌日に実行されることとなった。


 人々は集会場や自宅などに親しい人たちと集まってその時を待った。


 ミサキは自宅で独り、ニュースもつけずにこのときを待った。


 そしてリセットが実行された。


・・・・


 ミサキは爽やかな光の中で目を覚ました。

 清潔な自分のベッドだった。


 体を起こし部屋を見渡すと、ヴァンラスの攻撃を受ける前に状態に戻っていた。

 ベランダも壊れていない。


 …ということは、リセットされたのか?


 しかし、彼女の記憶はリセットされていなかった。

 ミサキはしっかり覚えていた。


 ケイプリアンがこの窓から入って来た夜のこと。

 彼女の首にかぶりついたこと。

 最後にミサキの手首から血をすすって去って行ったこと…。


 カオルとサキコがどうやって死んだのかも覚えていた。


 …リセットに失敗した??


 ミサキは慌ててニュースを確認した。

 どのニュースを開いても、ヴァンラスのヴァの字もなかった。


 ミサキは恐る恐るカオルに電話をかけてみた。


 数回のコールで電話は繋がり、カオルの声が聞こえた。


「もしもし? ミサキ? 何? こんな朝早く」


 ミサキはその何事もなかったかのようなカオルの声に激しく動揺した。


「おーい、ミサキ~? どうしたの? 寝ぼけてるの?」


「あ、あの…えと、ごめん…寝ぼけてかけちゃったみたい…」


 ミサキは震える声で何とか答えた。


「もー何? 夜更かしでもしてたの? 心配事とかあったら何でも相談してよ」


「うん…ありがとう」


 ミサキは電話を切るとガクガクと震える身体を自分で押さえつけて止めようとした。

 だが震えは止まらなかった。


 …どういうこと? 私だけリセットされていない?


 ミサキは首の傷跡に触ってみた。


 お馴染みの感触はそこにはなかった。

 ベッドから飛び降りて鏡を見たが、ケイプリアンが付けた傷跡はキレイさっぱり消えていた。

 同様に手首の傷跡も消えていた。


 お印はと言えば、当然こちらも消えたままだった。


 ケイプリアンが存在していた証は全て消えてしまっていた。


 引き出しをいくら漁っても、ケイプリアンのくれた「生きろ!!!!」の文字が書かれた手紙はみつからなかった。

 それと同じように、おばあちゃんの鏡もなくなっていた。


 ミサキは激しい喪失感に襲われて何もする気が起きなかった。

 街に出て状況を確認しようと思ったが、それすら億劫に思えた。


 昼前になって、やっとサキコに電話してみた。


 彼女はすぐに電話に出た。


 今回は適当な用事を考えてから電話したので何も疑われることなく電話することができたが、ミサキの動揺は増していた。


 これはいよいよ、本当に、“ミサキの記憶だけがリセットされていない” というあり得ないことが起こっていると思わざるを得ない事態だった。


 …バグっていたのは鏡ではなくて、ミサキ自身だったのではないだろうか…。


 “カオルやサキコを取り戻したい…全てなかったことにしたい…でもケイプリアンのことは忘れたくない…”


 これはまさに、ミサキが自ら望んでいた状態なのではないか?

 しかし、ミサキの心は前にも増して苦しいのだった。


 自分だけが知っている…ということがどれほど辛いことか想像ができていなかったのだ。


 壮絶な死に方をした友人と、再び以前のように変わりなく接することができるのか。ミサキには自信がなかった。


 ……じゃあ、ケイプリアンはどうなった?


 これからのことをぼんやりと考えていて、ミサキはふと思いついた。


 これまでのヴァンラスがらみのことがなかったことになったのであれば、ケイプリアンが父親を殺したのもなかったことになったのでは?


 ミサキは急いでヴァンラスについての情報を探した。


 彼女が検索できるかぎりでは、ヴァンラスについての情報は、ミサキが以前知っていた程度くらいにしかなかった。


 ヴァンラスの基礎知識。

 帝王の存在。

 冷血のヴァンラスの特徴。

 ヴァンラスの道化の特徴。


 ミサキはぼやけてよく見えないケイプリアンを捉えた画像を自分の端末に保存して、できるだけ拡大して見た。

 だいぶ前に撮られたもので、ミサキも見たことがある画像だった。

 それは、仮面はつけているが紛れもなくケイプリアンだった。


 ヴァンラスについての情報は、それ以上のものはなかった。

 消滅したなどのニュースは一切なかった。


 やっぱり、ケイプリアンは生きているかも…。


 密かな期待を胸に抱き、ミサキは「リセット」の仕様を調べ始めた。

 一派に公開されている内容はさほど多くなかったが、実際にリセットを経験した彼女にとってはその情報だけでも充分だった。


 リセットは、設定された条件にあう事象のみ、それが起こる前の段階まで戻らせることができる。

 リセットは、この領域に属するもののみに作用する。


 “この領域に属するもののみに作用する”


 この一行はミサキを絶望の淵へと誘った。


 それではケイプリアンたちはリセットされていないのか?


 ミサキは状況が解らずにもんもんとした日々をすごした。


 そして数週間後。衝撃のニュースが街を駆け巡った。


≪ヴァンラスが消滅した!!!!!≫


 何でも、他領域に攻め込んでいたヴァンラスが忽然と姿を消したのだと言う。


 政府は他領域からもたらされた情報としてこのニュースを報じた。


 だが、ミサキには解っていた。

 これは半分本当で半分ウソの報道だ。


 政府は、リセット前にヴァンラスの消滅を確信した時点で他領域にこのことを報告しているはずだ。

 そしてリセットが行われると決定した際、リセット後にこのように報道するように他領域に協力を仰いでいたのではなかろうか。


 他領域でも全力をあげてヴァンラスの消滅の裏を取ったに違いない。

 今、こうして報道されているということは、ヴァンラスが消滅したことには間違いないだろう。


 ケイプリアンの戦いはリセットされなかったのである。


・・・・


 数年後、ミサキはごく普通の男性とごく普通の恋愛をし、結婚した。


 そして、双子の可愛い子供に恵まれた。


 双子が5歳になるころにミサキは決心をして、二人をある場所へと連れてきた。


 それは街はずれの牧場の丘にぽつりと立つ一本松だった。


 ミサキは持ってきた花束を木の根元に備えると、双子にもそうするように言った。

 二人は可愛らしい花を木の根元に置いた。


「ママ、どうしてお花を置くの?」


「それはね、ずっと前にママはここで大切な人をなくしたからよ」


 それはカオルのことであり、サキコのことであり、ケイプリアンのことだった。


「そのことを忘れないように、ママはここに毎年お花をあげに来ていたの。今日はあなたたちも大きくなったから一緒にきてもらったんだ」


「ママの大切な人? パパよりも?」


「パパに出会うよりずっと前のことなの。だからといってパパより大事というわけじゃないのよ」


 双子はふーん。とわかったようなわかってないような返事をした。


 ミサキは、あのリセットから何故自分にだけ記憶が残っていたのか考え続けてきたのだが、今、ひとつの結論に達していた。


 語り継ぐため。


 ミサキが何を経験し、何を思ったのか。語り継ぐためだ。


「今日はね、ひとつお話をしてあげる」


「やったー、お話? どんな?」


 絵本が大好きな二人は新しいお話に目を輝かせた。

 ミサキは松の木の根元に腰を下ろすと、双子を傍らに座らせて、そして語り始めた。


「むかしむかし。あるところに人の肉を食べて生きている者たちがいました」


「え、なにそれ? 怖いお話なの?」


「怖くないよ。聞いてて」


 そうしてミサキは話を続けた。

 世界を救った鬼の話を…


 むかしむかし。あるところに人の肉を食べて生きている者たちがいました。


 人々は彼らのことを乱暴で食べることしか考えていない野蛮な鬼だと考えていました。


 ところが、人々が知らないだけで、鬼にも心があったのです。

 やきもちをやいたり、怒ったり喜んだり、時には誰かを好きになったり…。

 鬼には鬼の事情がありました。


 そして、ある時、鬼の子供が生まれました。


 その鬼の名はケイプリアンと言いました…


(おしまい)

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ミサキミラー [改定版] 大橋 知誉 @chiyo_bb

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