番外編 日岡の悪評について

(読まなくてもいいです)



 一昨年の夏。魔物が迷宮から脱走した。

 凶悪な魔物だった。


 偶然、近くに居合わせた日岡は、機動隊員よりもはやく現場に駆け付け、子どもを貪るそいつの背中を滅多刺しにした。

 仕留めたかと思われたが、魔物はしぶとく、また、高い知能があった。


 幼稚園児を盾に〈治癒魔法〉を展開しようとするので、魔法の要となる利き腕――その魔物の場合、明らかに発達した右腕を切り落とした。あの感覚は今でも忘れることはない。皮が裂け、肉の繊維の一本いっぽんが素直に断たれ、やがて骨に刃が届くと、また鏡のように肉と皮がやってくる。そぞろな戦慄が日岡をさらに勢いづかせ、瞬く間に魔物を3枚に卸してしまうと、敵はやっと死んだが、野次馬の連中は、警察のサイレンが鳴り響くまで金縛りに遭ったみたいに動くことができなかった。


 なぜって、初めて魔物を斬り殺した快感に、日岡は非常に爽快な気分のなかにいて、空がかつてないほど高い場所にある気がして、地球を自宅の吹き抜けのように愛することが出来たため、あろうことか、魔物の死体にじょぼじょぼと小便をし始めたのだ。

 周囲の人間はその光景を、魔物が偶々やって来た別の魔物に殺されただけではと疑った。

 仲間割れか、そうでなくても気チガイに違いない。

 警察が来るまでは迂闊に動けないぞ……。

 その映像は見事に拡散され、小便勇者というスラングを生むに至った。


 日岡は教訓を得た。

 魔物を殺す前はちゃんとトイレに行っておこう。ではない。


 返り血ですっかり汚れ、しかも据わらない目で小便をしている日岡に、その幼稚園児は抱きついて、礼を言ったのだ。

 それまで日岡は、魔王打倒を目指すうえで純日本人を守る意識なんて微塵もなかった。

 そうする甲斐も義理もないから。

 しかし、あの子どもだけは、あの場で人種の垣根を越えて、一命を救われた者として救った者を労ったのだ。その子の親ですら、さっさと子を抱えて、礼も言わずに立ち去ったというのに!


 なるほど――と日岡は一つ誓うことになる。

 自分の手の届く範囲で、かつ助けられる奴なら、出来る限り助けてやろう。

 そいつが恩人に礼を言わず、迫害するような奴であるなら、そうわかったときにまた殴ればいいだけだ。

 とりあえず窮地を救ってやることに損はあるまい。

 俺は、勇者として人を救い、日岡凛生として気に入らない奴を殴る。

 彼が人生の矛盾に蹴りをつけた瞬間であった。

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『君も勇者になろう!』 発行:異国文出版 魔法省承認 三月生まれ @Today_taro

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