第4話 仲間と住処②


 その青年は薄暗い闇の中、何を考えるでもなく、頬杖をついて横たわっている。

 名前は堀田健晴。22歳。

 特技はガタイ。好きなものは自分のガタイ。

 実家暮らし。縁側から桜を眺めるのがマイブームだ。夜間はそうにもいかないのでテレビの砂嵐を見つめている。

 職業、戦士。

 母からは「はやく働け」と再三言われている。


 そんな堀田の家を訪れたのは、日岡が住む場所をなくしたからであり、家賃を払おうにも家がない現状を、小学校来の友人というだけで助けてもらう魂胆なのだ。

 両手に抱えた大荷物をこれ見よがしにアピールしている。


「帰ってくれ」


「お前だけが頼りだ」


「帰ってくれ」


「不動産屋に行っても10LDKはないと門前払い。俺が混血だからって足元見やがる」


「気の毒に」


「だろう?」


「不動産屋のことだ」


 日岡と堀田は小学校からの友人である。

 小学校から養成学校までまったく同じ進路をとったが、一昨年、堀田は何も言わずに中退してしまった。


「俺の立場をわかってくれ。学校を辞めてからも戦士になるとウダウダ働かず、筋トレばかりしている穀潰しだ。この肩を見ろ。デカいだろ。筋肉にデカくなるにつれて両親の貯蓄は減っていくんだ。……死にたくなってきた。こんな俺が居候させるだと? 死にたいと言ったばかりだが家族に殺されるのは御免だ」


「お前もお前で袋小路なわけだ。フム、少し待っていろ」


 そう言い残して玄関に荷物を置くと、日岡はどこかへ消えた。

 堀田はのんびり花見を再開したが、一時間もするとまた玄関を叩く音がするので、見に行くと、紙切れを手にした日岡が立っていた。


「そりゃなんだ」


「志願票だ。学校までひとっ走り持ってきてやった」


 目を凝らすと、いちばん上に戦士認定訓練課程と書いてある。

 戦士は――勇者一行でも前衛を務める重要な役職だ。

 が、勇者や魔法使いと違って、国家資格ではない。特別な試験もない。

 必要なのは魔ナ受容体を持たない特異体質であること。

 その条件さえ満たしていれば、訓練を受けるだけで迷宮攻略に参加できる。都合、迷宮攻略を望まないのであれば、誰でも戦士を名乗ることができる。赤子であろうとも。


 日岡が卒業する気満々で、吉丸も魔法使いになる気満々だったころ、勇者パーティを結成しようという段で、戦士についてこんな会話をした。


 指定場所に誰も来なかった昼下がり。


「凛生に人望がないとは思ってたけど、まさかここまでとは……」


「…………」


「とにかく、次の志願期間までに戦士くらいは見つけないと」


「あいつら嫌いなんだよな。全員脳みそが筋肉かってくらい体育会系だろ。年中タンクトップだし」


「わがまま言ってないでよ。前衛がいないとすぐ全滅しちゃうよ」


「俺が守ってお前が魔法を使う。それじゃあダメか? ……いや、冗談。わかっているよ。その顔やめろ。……戦士になれるのは、魔ナ受容体を持たないために、あらゆる魔力の干渉を遮断できるヤツだけだ。俺たちは戦士という盾無くしては迷宮に潜れない。魔法の不意打ちにほとんど無力だからな」


 かつて勃発した異世界との戦争は、なんと日本人の勝利で終結した。

 日本人には魔法が効かないのだ。魔ナ受容体を持たない者には、魔法による副次的物理的な効果を除けば、純粋な魔法による攻撃が通用しない。

 黒電話にBluetooth機器を接続しようとするようなものだ。

 異世界では魔ナ受容体がないのはまずありえない。

 たまにアルビノくらいの確率でそんな赤子が生まれるが、すぐに衰弱して死んでしまう。

 こちらでいう医療を受け付けない体質の赤子なのだ。

 魔法でせっせと攻撃しているうちに銃器をぶっ放して、一応の勝利を獲得した。

 受容体を持たない混血が産まれる確率は200に1とも、2000に1とも言われている。

 堀田健晴は、混血にして受容体を持たない稀有な体質なのだ。


「訓練のため、もう一度あの学校へ行けと?」


 真剣な色をにじませ、堀田が訊く。

 体がデカいと流石に声もドスが効いている。

 日岡は怯むことなく、笑みを浮かべて言う。


「堀田。今はただの養生期間だと、お母さまは信じておいでだぞ」


 日岡、こいつ、すでに母に話を通したらしい。相変わらず狡猾な野郎だ。


「俺の留年も、認定戦士の訓練も、半年。そのあいだは小言を言われずに済むぞ。さあ、ともに頑張ろう!」


「お前は絶対、勇者の器じゃない」


「フン」日岡は鼻で笑い、


「それから、ゲストにもご登場いただこう」


 引き戸の影にちらりと覗く誰かの腕を引っぱり出す。


「……誰か連れてきたのか?」


 若干、気まずそうにそこに立っているのは、ド派手な格好をした女だった。

 いかにも染めた感じの金髪が眩しく、眼球と同じサイズのつけ睫毛は黒い毛虫のようだ。年齢は同じほど。顔はもとから良いのか、化粧で美人に見えるのか、堀田にはわからない。

 ……というか、どこかで見覚えがある。


「もしかして厳士さん?」


「ウス。ども。厳士美晴です。よろしく」


「なんでうちに?」


 堀田が震えた声で訊く。正直、日岡の言い出すことがわかりかけている。


「こいつも住まわせてくれ」


 ほら。

 堀田は頭を抱え、もう、どうにでもなれ、と、うなずくしかなかった。


***

 

「そう気を落とすな、堀田。厳士にはフルタイムで働きに出てもらう。なにしろ単位をとっくに取り終えているんだ。俺の家賃も稼いでもらう」


「は? それは自分で出しなよ。なんであたしが――」


「家を斡旋したろ。仲介料だ、仲介料」


「ガチゴミじゃん……」


***


 それから半年間、彼らの地獄よりも苦しい訓練期間がはじまった。彼らの頭にはずっとロッキーのあの音楽が流れ続けていた。


 たいてい日岡が先に起きて、カーテンを開き、堀田をゆすり起こす。

 なかなか起きないようならおもちゃの空砲を放つ。厳士はまだ寝ている時間だ。

 ふたりで並んで朝飯を食い、歯を磨き、髪を梳かし、髭を剃る。

 堀田の便所は長いので、そのうちに家庭菜園に水をやる。キュウリとトマトと談笑するのが一日の楽しみだ。

 学校へ向かうには並んでダッシュする。はじめは25分ほどかかった。

 繰り返すうちに、だんだんタイムが縮まった。ランニングする夫婦や高校生とも挨拶する仲になった。


 到着すると、日岡は、取りこぼした唯一の授業である魔王対策を熱心に拝聴し、堀田は、脱落者続出の戦士訓練に励む。彼の現役生にも負けない屈強な肉体は、鬼教官・不二崎を唸らせた。

 昼に堀田母手製の弁当をいただくと、日岡は伊予講師と魔法の特訓に、堀田は訓練の続きへ。


 真っ赤な夕日が差し込むころ、ふたりで走るか、のんびり歩くかして、帰宅。

 夕飯を食い、湯船で体をほぐし、日中よく干したふかふかの布団に飛び込む。

 厳士は別室ですでに就寝している。


「今日も疲れたなァ」


「ああ。だが体力はついてきたぞ」


「なあ、日岡。お前、謀ったろ」


 堀田が顔だけを向けて言った。


 日岡はわざとらしく、うんざりした表情をつくる。


「何の話だ」


「誤魔化さなくていい。お前がうちに来たタイミングも、思い返せば訓練開始の数日前。ちょうど良すぎる。どこからが計算だ? ひょっとして、留年からか」


「さあ」


「俺はお前に嵌められて、今、楽しいよ。あれだけ嫌だったあの学校へ通うのが、すげえ楽しい。純血の連中もあたたかく仲間に入れてくれる。現役時代もこうだったらって考えて止まない」


「それはお前が優秀だからだ。過去と違うのは、そのガタイで全部受け止めてやるという気迫だけだ」


「お前が訪ねて来なきゃただの分厚い胸板で終わっていたさ」


「で、どうするんだ。もうじき訓練は終わる。22歳にもなって俺たちはまた進路を選ばなければならん」


「わからない」


 しばらく天井を見つめ、あくびをしてから、


「眠いからわかんねえ」


 その日は伊予の都合で修行が出来ないため、日岡は昼食をとって早々暇になった。

 グラウンドでは訓練生が武装障害走をしている。一様に大きな盾を担ぎ必死の形相だ。

 堀田は先頭から数えたほうがはやい位置にいた。匍匐前進でネットを潜り抜け、細いロープの上を渡っていく。着地してバービーを10セット。それから2mはある障害物をひょいと飛び越えた。最後の直線をつっぱしる。なんだか爽やかな気分になる躍動感だ。のびのびと動く健康な筋肉。日岡は、堀田の身体に潜む才能を知っていた。


 小学校時代、かけっこで堀田に勝ったことはついにない。上り棒はあいつがいちばんに頂点に着いたし、身体測定の走り幅跳びなんて、3年生にして6年生を負かしてしまった。遊びのドッヂボールではどんな速球も受け止め、殿を務めた。

 野球もサッカーもバスケも上手で、運動するという一点において堀田は徹底的なスターなのだった。


 ただし――日岡は絶対に許せない点がある。


 やつは喧嘩ができない。

 教師が堀田を褒めるせいで上級生や現役選手にいじめられても、やり返さない。殴られようと蹴られようと泣きながら堪える。

 優しいと言えば聞こえはいいが、自衛すら出来ないのは弱点であり問題だ。それは養成学校に入っても変わらなかった。

 堀田をいじめるやつは日岡が必ず成敗した。

 だが、ガキの頃は暴力一辺倒だったいじめも、年齢が上がるにつれ陰湿さを帯びる。嫌がらせなんかは本人が言い出すまでそう気づけるものでもない。

 頭抜けた成績で苛烈な競争を勝ち残っていた堀田だが、盤外での攻撃に心が折れてもなお、プライドが邪魔したのか、日岡の迷惑を考えたのか、ついに言い出すことなく、一昨年、黙って自主退学してしまった。


 堀田は3着でゴール。1着と2着がその場に倒れ込むも、堀田はすばやく整列している。

 鬼教官が堀田をしきりに褒める。後からゴールした連中に加え、一着と二着も堀田に駆け寄り称える。堀田は嬉しそうだ。ここに集まのは、様々な事情で正規入学できなかったり、学校に通う時間が取れなかったりする苦労者たちだ。年齢もまちまちである。そういう上下関係のない体質が堀田には合っているのだろう。


 訓練が終わると、敷島を吹かす日岡のところまでやってくる。


「お疲れ。見事な走りだった」


「そうでもない。石室パーティの戦士なんか、これを5セットやって息を切らさなかったらしい。俺は1セットでバテバテだ」


 堀田は笑う。支度をして、帰路に就いた。


「魔法の修行はどうしたんだ?」


「孫が遊びに来るとやらで、爺さん、さっさと帰っちまった」


「魔法の修行っていつも何してんだ? 箒で金の玉追いかけたり、杖でサバゲしたりか?」


「まさか。勉強と一緒だ。魔導書を読んだら実践。その繰り返し。つまらないものだ」


「夢がないな」


「ド派手なのは魔法使いの担当。勇者なんて、魔王を殺すまでは地味なの」


「殺す? 逮捕するんだろ?」


 素っ頓狂な声で言う。


「ンなもん、建前だよ。これだけお上が苦労しても捕まらねえんだぜ。大っぴらに言わんだけで勇者の仕事は、東大最深部の魔王を殺すことだ」


「ふうん。物騒だな」


「他人事みたいに言うんだな。お前も迷宮攻略に参加する。そうだろう?」


 足を止めて訊きただす。


「認定戦士になったなら道はひとつ。俺のパーティの戦士として魔王に挑む」


 堀田は夕日を背に突っ立っている。


「着いてこい。俺は魔王を殺し、混血の地位を日本人と並べる。あるいはさらに上へ」


「……無理だよ。魔王どころか、俺はきっと魔物も殺せない」


「甘いな。いくつになっても」


「日岡。この国では、迷宮に潜るとか考えない限り、何かを殺せなくても生きていける。混血の扱いだって、親の世代に比べればよほどマシになった。まともな頭さえあれば甘ちゃんでも箱入りでも、食っていく方法はあるよ。混血全員がお前のように、ギラギラと、より良い未来を望んでいるわけじゃない」


 うつむきがちに呟いた。


「ならば、なぜ働きもせず体を鍛えていた。なぜ忌々しい学校へ戻り、戦士になる訓練をしている。俺が説得したからか? ホームレスの俺を憐れんでくれたからか?」


 ところでホームレスとセックスレスのレスって同じ使い方のくせして、命に別状度がやばいくらい違うな。


「堀田。お前は他の腰抜けとは違うと信じている。訓練期間が終わるまでに、お前の口から答えを聞かせてくれ」


 日岡は言い終わると玄関の戸を開け、


「ただいま戻りました! 晩飯なんすかァ!」


 すたこら台所へ走っていった。


「……ただいま」


「おい堀田、はやく来いよ、カキフライだ! パフォー!」



***



 2週間後。

 認定戦士の訓練期間が修了する。

 今度は日岡もばっちり単位を取り、卒業を確定させた。

 一点の曇りなく、彼らは迷宮に潜る権利を手に入れた。

 季節外れだろうと卒業生は卒業生だ。

 簡易的な卒業式が執り行われたその帰り道。


「おや、まだ桜が舞っているぞ。うふふ、綺麗だなァ」


「気をつけろ」


「イッテェ!」


 手に桜の花を乗せた堀田が飛び上がった。


「この時期の桜は、花びらに擬態したサクラモドキだ。皮膚を食い破ってくるぞ。去年は酒と一緒に飲み込んだバカがいた」


 その光景を思い出してクククと笑う。


「なんて殺伐としているんだ……」


 人差し指から出た血を見つめる堀田に、日岡が頭を下げた。


「半年間、世話になった。お前が助けてくれなければ野垂れ死んでいた。ありがとう」


「気にするな。友だちを見殺しには出来ない。こうして俺を気にかけてくれるのはお前くらいだし、経緯はともかく、家から連れ出してくれたことには俺こそ礼を言うよ。久しぶりに何かに必死になれた」


 日岡はわずかに頬をゆるめた。


「さっそく荷物を引き上げて、明日からは前哨基地に」


「寂しくなるな」


「ンなこと言ってないで着いて来るがいい」


「日岡、お前はいつも強引だな」


「回りくどいのが嫌いなだけだ」


 ふたりとも黙った。日岡は相手が了承するのを待ち、堀田は相手が背中を押す言葉を言うのを待った。結局、我慢比べに負けてやったのは日岡だった。


「こうしてお前を誘う理由がわかるか」


「……」


「俺は去年、隊員を募った。お前が学校を辞めた後のことだ。養成学校の定員は勇者と戦士で一対一。あぶれることなんて普通はないが、誰も来なかったよ。あのときから俺の悪評は学校中に広まっていた。でも、このあいだの卒業式、ひとりだけいたんだ。俺のパーティの戦士になりたいから、半年でも一年でも待つ、と言ってくれたやつが」


「なんで、その人にしなかったんだよ?」


「困ったことに、俺は、戦士科の首席よりも、お前の方が信じられるんだ。信じられない戦士はいないのと同じだ。お前を選ぶのは、お前しか残っていないからじゃない。堀田健晴という男にこそ背中を預けたいからだ」


「……」


「魔物を殺したくないなら俺がやってやる。魔王を殺すのも俺がやる。やりたくないこと全部やってやる。望むなら確定申告だって」


 いつも空かしている日岡にしてはかなりの熱弁だ。観念した堀田は、空を覆うサクラモドキの群れを見上げた。まるで本物の桜吹雪のようだ。


「このなかに本物はあるのか?」


「本物の桜か? とっくに散ったよ」


「ふうん。こうも見分けがつかないんだな」


 地面のサクラモドキを踏み潰している日岡の横で歩んできた自分の人生を振り返ってみる。

 ふたりの付き合いは長く、またやたらと親密だ。

 あいにく彼らは友情を確かめるような言葉を交わさないが外の者は口をそろえて彼らを親友と言う。



「わかんねえなァ。わかんねえよ。なあ、日岡。俺たちで魔王を殺せるかな?」


「ああ」


「お前は、自分を本物の勇者だと?」


「ああ」


「俺はちがうかも」


 自信なさげに呟いてから、彼は腹が痛くなってきた。

 堀田はここぞという時の胆力が欠けていて、大事な決断を前にすると、緊張から逃れたいがために、いつも適当に済ませてしまうのだった。


「馬鹿言え」と、日岡は本当に馬鹿にするみたいに吐き捨てた。


「いまの時点じゃどうもこうも判別つかんから不安なのもわかるが、いいか。魔王を殺した者が本物だ。そうやって自分を疑い、尻込みするなど、迷宮以外でも生き残れんぞ」


 堀田は笑った。すとんと納得できたのだ。


「ああ。いつまでもウジウジ情けねえ上にダセエや。帰って物をまとめるかな」



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