掟に囚われしリビドー

加賀倉 創作

掟に囚われしリビドー

——ある、新月の夜。


「ヨシキくん! こっちきて〜。今日の分け前渡すから」と、オーナーが俺を呼ぶ。


 ヨシキ。

 それは、本名ではなく、だ。


「あ、はーい」と、俺は、鼻息の荒い男どものいない待合所のソファから立ち上がり、小走りで、声の方へと向かう。


 脚を豪快に組み、宝飾まみれの下品な格好をした、やけに態度のデカいオーナーが、サツを数えている。


「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく、なーな……はい! 七万円なり! いやぁ、働き者だねぇ、ヨシキくんは。はいこれ!」


 紙幣が差し出される。


 諭吉よりも、渋沢の方が多い。

 

 あまりいい気は、しない。この仕事をしている俺が言うのも何だが、渋沢は正妻とめかけを一つ屋根の下に住まわせたり、女中に手を出しまくって婚外子こんがいしを何十人とつくった男だ。とは言え、一夫多妻制が当たり前の世界もあるわけだし、そもそも数多あまたの動物の中で、つがいに関する厳格な取り決めをしているのは、人間だけ、なんだよな……


「七万、ですか」

「なんだいそんな不安そうな顔して! オプションたくさん付いてたから、思ったよりもいったんじゃないのか? ま、そのうちお客が、腰を振ってあえぐ札束に見えてくるから、安心しな!」

「そ、そうなんですね」

「おうよ! 明日の晩も、よろしくね? 指名、三件入ってるから! で、はいこれ、分け前」


 俺はオーナーから、ゲンナマを、頂戴する。そしてクシャッと、それをデニムのポケットに突っ込む。


「あ、はい。じゃ、失礼します」


 店を出る。


 ポケットに手を突っ込んで立ち止まり、ふと、雲一つない、真っ黒な空を見上げる。


 ざっと見回しても、やはり、何もない。


 …………虚空。


 ポケットの中から、二人のおっさんの肖像の印刷された紙切れを取り出す。


 諭吉は動かずに、じっと俺を見つめてくるが、虹色をした渋沢は、俺の体のあちこちをジロジロ見てくる。


 さっきのご新規さんも、こんな顔をしていたような気がする。


「やっぱりこの仕事、結構稼げるよな……」俺はそう、独りごちた。


 俺は最近、男性同性愛者向け風俗店ウリセン男娼ボーイを始めた。昼の会社勤めが本職だが、特段、金に困っているわけではない。単に、出会うのに労力や時間を割きたくないから、この手っ取り早く、かつ安全に男と関係を持てる方法を使っている、というだけだ。分け前は、小遣い、という感覚だ。

 もちろん、違法性はない。この業界に片足を突っ込んで初めて知ったが、風営法が定める『性風俗店』というのは、の交わりを想定しているため、同性愛者向けの性風俗店は何ら規制されていないのだ。戸籍をいじると、話が変わってくるが、俺はただのゲイなので、その予定はない。


 俺は、紙幣を再びポケットにしまいこみ、自宅を目指した。



***



——郵便物の、束。


 俺はおびただしい数の封筒を、ローテーブルの上にどさっと、置いた。


「かなり溜めちゃってたなぁ……」


 イヤイヤながらも、封筒を上下左右に散らして、ラインナップを確認する。


 すると、一際目立つ花柄のデザインの封筒を見つけた。


「招待状在中……あぁ、結婚式か。誰からだろう?」


 封を雑に開け、上等な紙質の便箋を、一枚、取り出す。


「えーっと、中外美代なかがいみよ。誰だっけ? でも漢字がスラスラ読めたってことは、まぁまぁの知り合いだよな…………あ! 高校の演劇部の、『みよっち』か!」


 夜中だというのに、つい、声を張ってしまった。


 すると、部屋の奥から、女性の影が現れる。


「ちょっときよしぃ、こんな遅くに大声出さないでよー! 目が覚めちゃったじゃないの」

 

 の、結衣ゆいだ。随分と長く、同棲している。


「ごめんよ、結衣。懐かしくて、ついね。これ、高校の同級生から、結婚式の招待状」俺は、紙を差し出す。


「へぇー。結婚。いいわね」結衣は嫌味っぽくそう言うと、近くのペン立てから油性の極太マジックを取り、『ご出席』の字の、『出席』だけに丸をつけ、残りは斜線で消してしまった。


「あ、ちょっと結衣!」

「はーい、ご出席! 調、行ってきなさーい」


 俺は、もう何年も連絡をとっていない、かつての友人の結婚式に、行くことになった。



♣︎♣︎♣︎



——式、当日。


 かなり盛大な式だったが、何か特別な感情が込み上げるということはなかった。


 それに俺は……


 最後まで、会場の誰とも話せなかった。


 顔見知りのの人間と目が合っても、誰も話しかけてこなかったし、こちらからも、誰にも話しかけなかった。


 そして、一つ不思議なことが起きた。


 俺は何の対価も得ることなく、財布の三万円を、失ったのだ。



♧♧♧



——数年後の、朧月夜おぼろづきよ


 俺は、結衣と結婚していた。


 籍を入れてから少し時間は経ったが、式を上げることになった。


 俺は結衣と、結婚式の計画について、話し合った。


「予算はどれくらいにする? やっぱり、盛大に、かな?」俺はそう提案した。


 盛大な、挙式。

 俺がそうしたいのではなく、そう提案するのが、結衣にとって喜ばしいことだとわかっていた、だけのことだ。それに、とっくの昔に辞めてはいるが、時代の小遣いが、たんまりと蓄えられているから、原資は潤沢じゅんたくだ。


「もちろんよ! こんなこと、人生で二度とないもの。少なくとも五百万くらいは、見積もっておきたいわね」と、結衣は張り切って言う。


 五百万、か。思ったよりも多いが、十分可能だ。


「よし、ならここは……俺が全額出そう。こんな時のために、手付かずの貯蓄口座があってだな——」

「うそ! 本当? やっぱりあなた、できる男ね! さすが私が惚れただけのことはあるわ! でも……」

「でも、なんだい?」

「それは、盛大な新婚旅行ハネムーンのために、とっておきましょう?」

「ほぉ。なら挙式費用は、どうするんだい?」

「ちょっとー、倹約家のくせに、どうしてそれは思いつかないのよ。ご祝儀よ、ご祝儀! 私の人脈は、こういう時のためにあるのよ!」

「あぁ、ご祝儀、ね。五百万ってことだけど、そんなに人を、呼べるのかい?」

「ええ、もちろん。まず夏菜子と、えっちゃんと、美奈と、京子と、和子と、愛菜と、ともくんと、大樹でしょ。あと大学のサークルのみんなと、大学のゼミ仲間、教授も! で、会社の同僚、先輩とか上司も。部長も呼んじゃう? 行きつけのカフェのマスターと、その常連さん。もちろん家族もだけど、どこまで呼ぶか……いとこ、叔父さん叔母さん、まで呼んじゃう? 二百人弱は、いけるわよ、きっと! そうしたら、単純計算で三万円に掛けることの二〇〇で、六〇〇万円! 思っているよりも豪華にできちゃうかも?」


 結衣は、目をカネのように輝かせて、ベラベラと、そう語った。


 その姿は、デカい態度で男娼ボーイの分け前の札束を数える、品の欠片かけらもないウリセンのオーナーと、重なった。



◇◇◇



——数年後、新月の夜。


 俺と結衣は……


 離婚、した。


 、離婚した。


 そして、また一つ不思議なことが起きた。


 俺は何の対価も得ることなく、財産の半分を、失ったのだ。


 まぁ、いい。


 ご祝儀によって必要以上に巻き上げた結婚式の費用も、ウリセンで稼いだハネムーンの費用も今回失った財産も、全部……


 身の丈に合わないカネだったのだから。


  〈完〉

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