第6話 泥の中の蓮
この後、太郎のもとに柿や梨、栗が振る舞われた。三つは同じ籠の中に入っている。
籠に入った果物を侍女は手に取り、持っていた小刀で器用に皮をむき、二人に振る舞う。栗はすでに茹でられていて、少し力を入れて押せば剥けるほどに柔らかくなっていた。
(梨は男はなし、栗は『結婚結婚』て同じことを繰り返すな、同じ籠は、家族になろう、という意味か……。でも、なぜここに柿がある?)
果物を眺めながら、太郎は頭の中で勝手な解釈をしていた。梨、栗、同じ籠にある意味は分かった。けれども、柿についてはよくわからない。
(よし、歌にして聞いてみよう)
そう思い立った太郎は、綾に仕えている侍女に、紙と墨を持ってきて欲しいと伝えた。
津の国の難波の浦の柿なれば
海わたらねど塩はつきけり
摂津国の難波で取れた牡蠣なので、うみ渡っていないわけではないが、しっかり塩がついていることよ。そんな意味の歌を詠んだ。ここでは「柿」には「牡蠣」、「うみ」には海と熟すことを意味する「熟み」という語をかけている。
ちはやふるかみを使ひにたびたるは
われを社と思ふかや君
神様、貴方は私のことを社や祠と思っているのでしょうか? 綾は太郎を神にたとえた歌で返した。
(やっぱり姫様は違うな)
昔から教育されているから、枕詞や縁語といった技法を使った高度な返しがしっかりできる。綾の返しを聞いた太郎は思った。自分のような下賤の成り上がりとは、違うとはっきりわかる。
(卑しい人だと思っていたけど、意外と風流なところがあるのね……)
太郎の返しを聞いた綾は感心した。なんとなくだけれど、歌をすぐに詠んで返したり、問答にすぐ答えたりしている辺り、言語の取り扱いに関する感覚は優れているのだろうとは思っていた。が、短時間で、というだけでなく、機知にも富んだ返しができる。これに関しては、小式部内侍のような才能の持ち主でなければできない。
和歌を通じ、互いを認め合う二人。二人の間には神妙な空気が漂っている。
切られた梨や柿が、土器(かわらけ)の上に置かれて出された。
それを食べながら、綾は太郎の顔をじーっと見つめる。その表情は、どこかうっとりとしている。
「先ほどからじーっと見つめていますが、何か私の顔に何かついていますか?」
先ほどから見つめられていた太郎は聞いた。
「あなたよく見るといい顔してるわね」
「どういうこと?」
「ちょっと来なさい」
綾は太郎の手をつかみ、別の部屋に連れ込んだ。連れ込まれた部屋には、桜色や萌黄、白、青、抹茶など色とりどりの狩衣が数多く立てかけてある。
「いきなり何だよ」
困惑する太郎。いきなり違う部屋に連れ込み、何をするつもりであろうか?
近くにあった適当な服を手に取り、太郎の目の前に突き出し、
「やっぱり似合う!」
と興奮気味に言った。
「そ、そうか?」
「うん。着てみてよ」
「お、おう」
太郎は綾が突き出した狩衣を手に取り、うなずいた。
「あ、でも少し臭うから、お風呂入ってきて」
「わかった」
綾は侍女の和沙に、湯殿を沸かせるよう命じた。
太郎は風呂に入り、髪を乾かした。
久しぶりの風呂に入った太郎は、暖かさと爽やかさの入り交じった心地よい気分になった。今までは気力が無かったり、勉学に励んでいたりしたせいで、よほどのことが無ければ風呂に入ろうとも思わなかった。けれども、こうして入ってみると、なかなかいい。今度からは定期的に入ろうかな。そんなことを思いながら、湯殿で汗を流し、溜まった垢を綾の屋敷の使用人に流してもらう。
髪を乾かしたり、髷を結ったり、化粧をしたりなどしているうちに、あっという間に二刻が経った。現代の時刻でいえば4時間ほど経っているので、全ての作業が終わったのは、日も暮れ、辺りが真っ暗になり始める酉の刻を過ぎていた。
「入ってよろしいでしょうか?」
彼女のいる部屋の戸の前で、太郎は聞いた。
「どうぞ」
「では、失礼いたします」
着替えを済ませた太郎は、引き戸を開けて、彼女のいる部屋に入ってきた。
「えー!!」
綾の目の前にいたのは、先ほどのむさくるしい下級武士とは全くの別人であった。
ぴんと立った烏帽子、海苔のきいた唐紅の狩衣、白の指貫。完全に大名や公家の装いである。そこに白粉を眩し、薄墨で描いた眉が、線の細い体つきと小さく中性的な顔によく似合っている。例えるなら、古の平家の若い公達といったところであろうか。
「更科太郎義勝、です」
下級武士から公達のなりとなった太郎は、格好に似合わない小さな声で、自身の新たな名前を名乗った。
「めっちゃきれい!!」
「なんか照れるな」
顔を真っ赤にして太郎は言った。汚いとか臭いみたいなことを言われたのは人生で何度もある。が、きれいだ、とか、かっこいいみたいに褒められた経験がほとんど無いから、照れくさくもありもどかしくもある。
「ここに礼法とか学問とか身につけたらもっと良くなると思うんだ」
「ほう」
納得した太郎は、頭を下げ、
「できれば教えてくれませんでしょうか、礼法や学問を。必要ならば、貴方のためなら喜んでやります!」
と頼み込んだ。
「いいですとも」
と答えた。普通ならば、無理です、と答えるところだが、やる気に満ち溢れた態度を見せられては、無下に断れない。加えて彼は恩人でもあるから、なおのこと。
(太郎さん、意外といい人だな……)
最初は若い女性なら誰彼構わず求婚する不審者という風評もあってか、少し警戒していた。どうせ体や財産目当てで自分に求婚してるんだろうと思っていた。けれども、何かをもらったとき、とても嬉しそうに喜ぶといったわかりやすいところが、少し可愛らしいなと思えた。また、それとは反対に、すらすらと機知の富んだ和歌を詠みあげる風流なところや、装束を着せたら美青年になるところとかは、彼の素直さとは違った魅力を感じる。
(待って、なんであたしあんな男のこと考えてるの!?)
冷静になって考えてみれば、今の自分はとても馬鹿げている。自分は大名家のお姫様であるのに対し、太郎は地頭ですらないただの平侍。なんであんな下衆に自分は心惹かれているのだろう? 身分不相応なのに……。
「姫様、何かお考えですか?」
物思いにふけっていたところで、和沙は声をかけた。
「いや、特に」
あわてて綾は正気に戻ろうとする。
「あ、もしかして、太郎さんのことを考えていたんでしょ?」
からかう口調で、和沙は綾に聞いた。
「違います!」
「素直でいい人よね。それに見目形もよくて、和歌もできて」
「確かに『いい人』だけどさ……」
「想いに身分の不相応はありません。『おもう』だけなら、誰でもできますから」
思い悩む綾に、和沙はアドバイスした。
「さ、明日も早いから寝ましょう」
「はいはい」
二人は寝床へ向かった。
(続く)
次の更新予定
2024年12月26日 12:00 毎日 12:00
ものぐさ太郎 佐竹健 @Takeru_As1999
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