第5話 更科太郎義勝

 足が良くなったあと、太郎は再び清水寺でのナンパ活動に精を出した。

 相変わらず行き交う女性たちは、紺色の水干の男を汚物を見る目で避けていく。

 ──今日もダメそうだな。

 そう思い、境内に入ってお参りをしようと思った矢先、

「あの──」

 と声をかけられた。

 太郎は振り返る。視線の先には、前に助けた姫と侍女、そして薙刀を持ち、侍烏帽子を被り、腹巻をつけた護衛の侍2人がいた。「この前助けてくれた人ですか?」

 太郎を見た姫は、聞いた。

 「ええ」と太郎は答える。

「この前は、ありがとうございます」

「いえいえ。困っている人間を助けるのは武士の務めですので、お気になさらず」

「何かお礼がしたいんですけど、して欲しいこととかはありますか?」

 姫はそう聞くと、太郎は彼女の手をつかんで、

「なら、おれと結婚してください!」

 と言って頭を下げた。

 苦い顔をした姫は、


  から竹を杖につきたるものなれば

  ふしそひがたき人をみるかな


 と詠んだ。

 ──ふむふむ。そういうことか。

 初めて会う人だから、急に結婚と言われて戸惑っているのだな。太郎はそう解釈した。節があるのは唐竹だけではない。孟宗竹もうそうちくや細い竹にもあるし、か細い矢竹でさえも立派なそれがあるではないか。世の竹と同じように、人間にだって短所という名の節がある。そう思った太郎は、


  よろづ世の竹のよごとにそふふしの

  など唐竹にふしなかるべき


 と詠んだ。

(何なの、この人?)

 いきなり結婚しようと言ってくる図々しい平侍かと思いきや、立派な和歌をさらりと返してくる。厚かましさと雅やかさが同居している不思議な男である。

「なら、家でも教えてくれませんか?」

 黙っていた女に、太郎は聞いた。

(どうせこの男は平侍。どうせろくな教養も無いから、ここで適当なことを言って巻いてやろう)

 太郎の質問を逆利用しようと考えた姫は、

「家は松のもとです」

 と答えた。

「ほうほう。松といえば松明。松明といえば明るい。つまりは常に明かりが灯っているということだな? とすれば、明石か?」

「はい。と言っても、松や杉が生い茂っていて、昼も暗いです」

「昼も暗いか。なら、鞍馬の方か?」

(ちっ、全部解きやがった……)

 姫は心の中でつぶやいた。まさか、目の前の田舎から来た平侍が、ここまで教養のある人間だとは思っていなかった。

 意味の無い問答にしびれを切らした太郎は、姫に本当のことを話してほしいと伝えた。

(めんどくさいやつ……)

 根負けした姫は、


  思ふなら訪ひても来ませ我が宿は

  唐橘からたちばなの紫の門


 と詠んだ。

「よーし、わかった! 『唐橘の紫の門』ですね!」

「ええ。忙しいので、私はこれにて」

 姫は早足で侍女と一緒に帰っていった。


 その後太郎は女の屋敷を探した。「唐橘の紫の門」とあることから、門の向こうに唐橘が植えられているか、もしくは紫の唐門がある屋敷なのだろう。

 和歌の言葉から推測できる情報を頼りに、姫の住まう屋敷を探す。だが、その条件の門を持つ家は見つからなかった。

 ──とすると、紫壇しだんの木を使った唐門という意味か?

 そんなことも考え、再び探してみた。が、紫壇の木が門に使われている家はどこにも無い。

 ──そもそも紫壇なんかが使われてる建物と考えるのが愚かだな。

 紫壇の木は宝木である。おいそれと建物に使われていい木ではない。

 やはり素直に人に聞くべきだったと思った太郎は、道行く人に、

「『唐橘の紫の門』の屋敷はどこにある?」

 と聞き回った。

 通り過ぎる人は、大方無視するか、答えても「知りません」と返す。

(なかなか見つからないな……)

 目の前を通り過ぎた黒い水干の青年に声をかけた。

 青年はしばらく考えたあとに、

「唐橘、紫の門……。もしかして、豊後守様のお屋敷でございましょうか?」

 と答えた。

「ほう」

 ──あ、そういうことか!

 太郎は見事にやられたと思った。唐橘は「唐」の国と関わりがある大内家のことを、紫はかつてあった筑紫国の「紫」、すなわち唐との窓口がある筑前の博多を領有していることを意味していたのだ。青年の「豊後守」という単語から類推すると、彼女は大内家もしくはその一門の娘ということになる。仮にそれが正しいとするならば、彼女は大大名の娘ということにならないか。同時に、自分の無教養が恥ずかしくなってくる。和歌だけでなく、歴史や政治についても勉強をしておくべきだった。

「それならば──」

 黒い水干を着た男は、大内豊前守の屋敷までの道のりを案内してくれた。

「丁寧な説明ありがとうございます」

「いえいえ、とんでもない。私は大内様にお仕えしている中間ちゅうげんでございまして」

「そうか。どうりでよく知っているわけだ」

「お侍様、用件があるのでございましたら、一緒に行きますよ」

「何から何まで本当に申し訳ない!!」

 太郎と大内家に仕える中間の青年は、一緒に豊前守こと大内氏の京都の屋敷へ向かった。


 大内家の屋敷に着いた。どこまでも続く築地の真ん中に、立派な唐門が建っている。その唐門の向こう側に見える屋根は檜皮葺で、部分的に金や銀などで装飾されている。

(ああ、そういう意味もあったのだな)

 門を眺めながら、太郎は「唐橘の紫の門」のもう一つの意味を悟った。屋敷の門が唐門であることも意味していたのである。

 太郎は道ですれ違った中間に用件を伝えた。

「わかりました」

 中間は門番に、今一緒にいる侍が姫様に用があるので取り次いでほしい、と申し出た。

「通れ」

 太郎と中間は屋敷へ入り、庭の白州へと案内された。


 白州の上で四半刻ほど待たされた。

 衣擦れの音とともに、前助けた姫が現れた。後ろには一緒にいた30ほどの侍女もいる。

「あら、まあ」

 驚いた様子で、姫は太郎と中間を見た。

「道を聞かれたので、お侍様と共に参りました」

 頭を下げている中間はそう答えた。

「恩人よ。表を上げなさい」

 姫は白州の下にいる他家の平侍である太郎に命じた。

 ゆっくりと太郎は、頭を上げる。

「せっかく来てくれたので、上がっていってください。お礼もしたいですし」

「いいのですか!?」

 侍は侍でも、低い身分である太郎は、こんなきれいで高貴なお姫様と同じ目線で言葉を交わしてもいいのだろうかと不安になった。一生分の運を使ってしまって、罰が当たってしまいそうだ。

「ええ、構いませんよ。貴方は命の恩人ですから」

「では、お言葉に甘えて」

 太郎は一礼し、草履を脱ぎ、階を渡って建物の中へ入った。

「あ、言い忘れてたけど、貴方とは結婚しないからそこは勘違いしないでよね」

 釘を刺すように、姫は言った。

「はいはい」

 侍女に案内され、太郎は姫の部屋へと向かう。


 姫の部屋で、太郎は彼女と語り合った。

 姫の名前は、綾という。父は数年前幕府に目をつけられたことにより追討された大内義弘である。父を失い、みなし子となった彼女は、父の弟、彼女から見たら叔父にあたる盛見に引き取られた。以来叔父の家で暮らしている。

 京都へ来たのは、7年前のことである。叔父が、せっかくだから綾も来ないか? ということで一緒に来た。以来京都にあるこの屋敷で暮らしている。

 自身のことを一通り話し終えたあと、綾は太郎に名前を聞いた。

 太郎は小さな声で、

「ものぐさ太郎ひじかすです」

 と答えた。

「ふっ」

 姫は笑った。「ものぐさ」という明らかに名字っぽくない感じがどこかおかしく感じた。

「おかしな名前ですよね……」

 自分には名字や姓が無い。だから、仕方なく周りの人間が自分のことを言うときに、必ず枕詞につける「ものぐさ」を名字にしている。

「『ものぐさ太郎ひじかす』って名前だけど、なんか合わないよね。やっぱり、こう、もっと侍らしい名前に変えた方がいいかな。たとえば、太郎義勝みたいなさ」

「そうですか」

「ええ」

「なら、その、『義勝』という名前を私にください」

 太郎は深々と頭を下げた。

「いいですよ」

 姫は即答した。

「ものぐさ太郎義勝、ものぐさ太郎義勝……」

 太郎は綾から新たに名付けられた名前を、呪文のように何度も繰り返した。

「かっこいい!! 立派な名前をありがとうございます!!」

「喜んでくれてよかった。あ、でも、名字の『ものぐさ』も相応しくないわね。出身はどこなの?」

「信濃国の更科郡です」

「なら、里の更科を名字にして、更科太郎義勝と名乗るのはどうかしら?」

「更科太郎義勝、更科太郎義勝……」

 太郎は新たな名前を呪文のように繰り返しつぶやいた。

「めっちゃかっこいい!! 立派な名前と名字をありがとうございます!!」

 新たな名前をもらった太郎は、帰ってきた飼い主に会って嬉しがっている犬のように喜んだ。

「いえいえ」

 ものぐさ太郎ひじかすこと太郎は、この日から更科太郎義勝という立派な名前を名乗るようになったのである。


(続く)

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