第4話 清水寺の出会い

 後日、太郎は連歌の会が行われる禅寺に来ていた。 

 連歌の会の前半では、お題が提示され、それに沿って上の句と下の句を互いにに詠むのを繰り返す。後半は各々が詠んだ和歌を講評したり添削したりし合う時間となっていた。

 この日も太郎は、秀逸な返しをし、後半の講評の時間では、連歌仲間の作った句から、技巧を学んだ。


 ──なかなか一生懸命な青年よ。

 和歌の講評の時間に一生懸命聞き入る太郎の様子を見て、連歌の会の主催であり師匠でもある僧宗方そうほうは思った。

 宗方が太郎と出会ったのは、文字を教えてほしいと言われたことである。

 最初は下民ごときが何を言っているんだと思っていたが、何度も懇願するので、仕方なく教えることにした。

 太郎は最初、ひらがなを逆に書いたり、漢字の飛び出してはいけないところを飛び出したりなどした。だが、自身が太郎の手を取り「こう書くのだ」と矯正したことは何度あったか。

 それでも太郎は、めげずに文字を覚え続けた。

 何度失敗しても挑戦し続ける太郎に、宗方は尊敬の念を覚えた。子どもみたいにすぐ投げ出そうとしたりせず、不器用ながらも覚えるために必死で頑張るさまが彼の心を打ったのだ。同時に、いろんな字だけでなく、簡単な説話やお経についても教えてあげたいとも思うようになった。そうすれば、彼は立派な僧侶になってくれるかもしれない。そんなことを考えていた。


 太郎が文字を習いに来て2年が経った日のこと。

 いつものように太郎は彼の教えを聞くべく、寺にやってきた。

 このとき宗方は彼に極楽浄土の話をしようとしていたのだが、話そうとしたときに、

「和歌を、連歌を私に教えてくれませんでしょうか?」

 と言い出したのだ。

「太郎君、どうして歌を学ぼうと思ったのかな?」

 和歌を学びたい理由について、宗方は聞いた。

「美しい妻が欲しいからです! 実は信濃にいたときに名主様から、都にはきれいな人がたくさんいるって、言われて。で、若くてきれいな奥さんを娶ってやるって心の奥底で決めたんです!!」

 太郎は自信満々な口調で答えた。

「そうか……」

 僧侶にならないのか。そう思った宗方はがっかりした。でも、これも一つの進む道。無理に引き留めては罪を作ることになる。

「ならば、今月に連歌の会をやるから、来てみるといい」

「いいのですか!?」

 目を輝かせて、太郎は聞いた。

「ああ。まずはどういうものかを見ていくのがいい。細かい技法とかについては少しずつ教えるゆえ」

「ありがとうございます!」

 そうして太郎は、連歌の会に出席するようになった。

 最初は見てばかりだったが、技法を身に付けてからは、自身も歌の会に参加した。

 参加してからは、緊張のあまり返しが思いつかないという事態も何度かあった。だが、どうしたらいいかについては、参加している仲間に聞いたりして、それを自分のものにしていった。そして、男女の情を題にした連歌の会で、紅葉が秋の季語であること、そして「秋」という言葉から導き出された同音の語の意味から導き出した秀逸な返しをしたときは、どれだけ誇らしく思ったことか。


 連歌の会が終わったあと、宗方は太郎に妻探しの進捗について聞いた。

「最近仕事が忙しくて、時間も出会いも無くて……」

 申し訳なさそうに太郎は言った。

「ほう……」

 腕を組んでしばらく考えたあと、宗方は、

「なら、いい手がある」

 と言った。

「どのようなもので?」

 太郎が食いつき気味に聞くと、宗方はこう答えた。

「清水寺でナンパするんだよ。あそこは女がよく詣でている」

「ほう」

 やってみる価値がある。太郎はそう思った。

 清水寺は、京都の南西にある由緒正しき寺院である。ここには霊験あらたかな観音様が祀られていて、敷地内には縁結びの神様を祀る地主神社がある。当然、京都やその周辺に住まう女性たちからの人気がある。その中には、いい夫に巡り合いたいと願っている女性もたくさんやって来る。そんな女性を狙えば一人くらいは口説けるであろう。

「やれるかどうかは、お前次第だがな」

「やってみます!」


 早速妻を得るべく、女を口説きに太郎は清水寺へと向かった。

 このときの太郎は、古びた黒い素襖すおうを着、自分の背丈より少し高い竹杖を片手に持って、堂々と仏塔や堂宇の前にある清水寺の門前に立っている。通りかかるとりわけ見目形のいい若い女性を見つけては、

「私と結婚してください!」

 という大意の上の句を吹きかけた。

「急いでるんで……」

「いきなり何、気持ち悪いんだけど……。それに臭い」

 女の返答は、大体こんな感じであった。気の弱い女性だと、話しかけるや否や叫び声を上げて逃げ出すといった有り様であった。そして侍女が出てきて、これでもかと言わんばかりに罵倒されたり、連れの男が出てきてタコ殴りにされたりした。

 これを何度も繰り返した。

 清水寺で女を口説くのを繰り返しては失敗するのを何度か繰り返していくうちに、

「清水寺で色褪せた黒い素襖を着た怪しげな風体の者が、若い女性に『結婚してください』と迫って来る」

 という風説が出回るようになった。太郎は不審者として、清水寺の参拝者の中で有名な存在となってしまったのである。


「ダメだ……」

 連歌の会が終わったあと、師匠に清水寺のナンパについて聞かれた太郎は、宗方に愚痴をこぼした。

「それって、清潔感がないからじゃないかな?」

 宗方はきっぱりと言った。

「そういや、そういうの気にしたことなかったな」

 太郎は前に比べて身なりには気を遣うようにはなったつもりである。出仕のときには烏帽子を被り、黒い素襖を着、腰には漆も塗られていない拵の太刀を帯びて行く。だが、休日は適当なものを着、髷もろくに結わないし、烏帽子も被らない。それゆえにどういう

「あと、伝え方があまりに露骨すぎる」

「しまった……」

 顔を赤くした太郎は、手で頭を抱えた。

 思い返してみれば、確かに強引だったなと太郎は思った。見知らぬ人から「結婚してください!」といきなり言われたら、誰だっていい気分はしない。自分が妻を得たいがために、非常に出過ぎた真似をしてしまった。

「こういうのはさ、さりげなく『一緒にお茶なんかどうですか?』みたいに言うもんだよ。下心は隠さないと」

「はい……」

「相手の意を汲んで、そこから適切な返しをするのも大事。けど、それと同じくらい、相手がどう来るかを予測して立ち回ることも大事だ」

「ありがたきお言葉、ありがとうございます」

 宗方からのアドバイスを聞いた太郎は、深く頭を下げた。

「わかったなら、早く行ってきなさい」

「はい」


 宗方からアドバイスをもらった後、太郎は身なりを整えた。髷を結い、ボロボロの砂塵や垢でまみれた黒い水干から、新しい鼠色の直垂に着替え、清水寺へ向かった。

 前よりは食いつきは良くなったが、やはり清水寺周辺に出没する不審者という世評がついたためか、どうしても警戒されてしまう。

 ──心が折れてしまいそうだな。

 毎日女性に罵倒されたり、連れの男や護衛に殴られたり蹴られたりする。一部の人にしてみればうれしいことなのかもしれないが、そうでない太郎にとっては苦痛そのものでしかなかった。秋の冷たい風が、殴られたり蹴られたりしてできた傷にしみて痛い。

 ナンパ活動に失敗してばかりの太郎は、清水寺の観音様と地主神社の祭神にお参りをするようになっていた。毎日毎日こうして意味のない努力を続けるのは辛い。神でも仏でも何でもすがりたい。

 清水寺の観音様と地主神社の祭神に願うことは、

「いい人が妻になってくれますように。できれば若くてきれいな人でお願いします」

 という願い一つだった。


 清水寺でのナンパ活動を続けて3週間ぐらいが経った辺りで、事件が起きた。

 いつも通り太郎は、女性をナンパしに清水寺へ行った。この日は柿渋色の直垂に黒い拵えの太刀を佩き、竹杖を突いている。

 通りがかったナンパしようと思っていた矢先に、若い女性が、賊に襲われていたのを見かけた。

 女性の年のほどは、17、8歳ぐらいだろうか。30後半ぐらいの侍女と一緒に、いかつい男たち数人に囲まれ、怯えている。

 ──これは見過ごせないな。

 もとは何者でなかった自分も、今では武士の末席。乱暴狼藉は見過ごしておけない。

「こっちへ!」

 太郎は若い女性の手を引っ張って逃げ出した。

 侍女も太郎と若い女性を追いかけ逃げ出す。

「待て、クソガキ!」

 腰に佩いていた太刀を抜いて、追いかけてくる賊。

「逃げて!」

 太郎は持っていた竹杖の先端を取った。竹の先端には、槍の穂がきらめいている。こういうときのために、竹杖の先端に槍の穂を仕込んでおいた。

 ──やってみるか。

 背後の二人を気にしつつ、太郎は竹杖に見せかけた槍を振るった。

 賊は持っていた太刀を力いっぱい振り上げ、太郎を斬ろうとした。

 太郎は間合いを開け、攻撃してきた賊の一人にできるわずかな隙をついて太ももを突いた。

「この野郎!」

 賊の仲間の一人は、薙刀で脛を狙って斬り払おうとした。

 太郎は槍の柄を上手く使い、組合に持ち込ませた。そして竹になっている部分で賊の喉元を突いた。

「なめんなよ」

 賊の仲間の一人は背中の矢筒から矢を取り出し、それを持っていた弓につがえた。

 勢いづいた太郎は、竹の仕込み槍を器用に回し、矢を防いで間合いを近づける。そして厄介な弓の弦を切ろうとしたときに、太ももに矢が当たった。灰色の袴にできた傷口が蘇芳色に染まっていく。

「くそ……」

 痛がる太郎。そこへ賊の仲間たちが取り囲む。

 もはやこれまでか。観念した太郎は、このまま賊に殺されると覚悟した。その矢先に、騒ぎを聞きつけた僧兵たちと彼女に仕えている郎党がやってきた。駆けつけてきた僧兵のうち一人が助け、僧房で手当てをしたことにより、太郎は一命を取り留めた。

 賊の方は、僧兵たちに捕らえられ、処刑された。

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