第3話 太郎の出自
(あいつ、意外とやるじゃないか)
一生懸命に頑張る太郎の様子は、普請奉行の侍の認識を改めた。
普請奉行の侍は最初、太郎のことを単なる使えないやつだと思っていた。角材一つ持てないほど非力で、物覚えも悪い。けれども、逃げたりふざけたりすることもなく、真面目に取り組んでいる。そして、回を重ねるごとに少し少しではあるが、前よりも出来るようになっている。
不器用なところもあるが、仕事に真剣に取り組む太郎を気に入った普請奉行は、自身の家の足軽として雇うことを決めた。
非公式ではあるが、信濃守護である小笠原家の、そして普請奉行の家のいち兵卒となったのである。
太郎は工事現場にいたときと同じように、不器用で飲み込みは遅かったが、一生懸命槍術や剣術といった武芸に打ち込み、2年後にはひとかどの足軽となっていた。
足軽や中間としての仕事をする傍ら、太郎は寺に通って文字を習っていた。和歌を詠むためである。
最初はひらがなやカタカナなどの仮名文字、そして小学校で習うような漢字の読みや書き方を不器用なりにではあるが、習得していった。
ある程度の読み書きが出来るようになってからは、連歌の会に出席するようにもなった。
連歌とは、最初の人が5・7・5の部分、いわゆる上の句を詠み、次の人が下の句である7・7の部分を詠むというものである。これを延々と続けていく。
最初は上の句を投げかけられても、即興で下の句を作るということができなかった。
太郎はわからないなりに、連歌の会の先輩たちから、和歌の作り方を学んでいった。そこで、概念レベルにしか知らなかった掛詞や縁語といった高等技法を自身の身にしていった。
そんな太郎の努力は、3年後の連歌の会で実となった。
この日の連歌のお題は「男と女の情」であった。
参加していた僧侶は、
唐紅に楓色づく清水寺
と詠んだ。清水寺の紅葉が真っ赤に染まっているさまを詠んだものである。
(楓か。『色づく』とある辺り紅葉になるな。紅葉は秋の季語だから、秋は季節としての『秋』という意味以外にも、西国の『安芸(あき)』、男が女のもとへ通わなくなる『飽き(あき)』という意味もある。よし、これでいこう)
あれこれ考えた太郎は、
つぎ逢う人の縁ぞ祈る
と返した。男が自分に飽きてしまい通わなくなった。捨てられてとても悲しい。次に会う人は、自分のことを大事にしてくれるいい人であることを観音様に祈りに行くという意味が込められている。
太郎が下の句を詠んだとき、一同からはどよめきが起こった。主催であり師でもある師匠からは、
「紅葉が秋の季語であること、そして清水寺に縁結びの神社があることを上手く結びつけたいい歌である」
と褒められた。
少し少し重ねていった努力がこうして報われることも、太郎の自信へと繋がっていく一つの要因となった。
連歌の会で次々と秀逸な返しをしていく太郎。このことは、太郎の主君で信濃守護職の
(ものぐさ太郎か。会ってみたい)
長秀は彼に興味を持った。そして、自身の近習たちに太郎がどのような人物なのか調べた後、彼に手紙を書いた。
守護の御前に召し出された日、太郎は新品の烏帽子に紺色の水干を着て参上した。
白い狩衣を着、腰には豪勢な拵の太刀を帯びた長秀は、たくさんの供回りを連れ、一段高くなった畳の上に座る。
太郎が礼をしたあと、長秀は、
「そこの者が、『ものぐさ太郎ひじかす』という者か?」
と声をかけた。
頭を下げながら太郎は「左様にございます」と答えた。
長秀は、表を上げよ、と命じる。
太郎はゆっくりと顔を上げた。
顔を上げた太郎に長秀は、
「ものぐさ太郎か。変わった名前だな。お前には名字や姓は無いのか?」
と聞いた。
「父母は私が生まれたときには既に鬼籍に入っておりましたので、名字や姓といった大それたものはございません」
「ほう。一生懸命に働いていたそうだから、そなたには『ものぐさ太郎』という名前は合わない。そうだ、お前のいた村に左衛門尉がいたな。彼に話を聞いて見るとしよう」
長秀は近くにいた筑摩郡のあたらしの郷の地頭である左衛門尉を呼んだ。
「おお、太郎ではないか! 久しいな! 表を上げよ」
筑摩郡あたらしの郷の地頭こと新村左衛門尉信頼は、久しぶりの太郎との再会を喜んだ。
「地頭様!」
太郎は改めて頭を下げた。
二人の様子から、既に見知っていたことを悟った長秀は、本当にこの忠実な平士が、かつて「ものぐさ」だったのか左衛門尉に聞いた。
「左様にございます」
左衛門尉は答えた。そして、10年前に市の廃墟を占拠して乞食をしていたこと、自身が村々に彼の生活を改善させるお触れを出してそれで3年食いつないだことなどを話した。
「ほう。それでもこうして努力を重ね、平士まで登りつめた。よくやったのう」
「ありがたき幸せにございます」
昔のことをあれこれ暴露されて恥ずかしくなっているのと、褒められたことのうれしさが同居して、たどたどしい感じになっていた。
太郎との会談を終えたあと、長秀は左衛門尉を呼び出した。
近くにいた小姓は、空になっている二人の茶碗に茶の粉を入れ、そこにお湯を注ぐ。そしてそれを茶筅でかもした。
できたお茶を一献し、茶菓子を一つまみしたあと、長秀は何かを思い出したかのような口調で、
「信頼、あの男姓が無いと言っていたな」
とつぶやいた。
「ええ」
「普通は民間人でも姓や名字はあるものだが、それが無いというのはおかしいと思わないか?」
「言われてみれば確かに」
当時の日本人の多くは名字や姓の類いを名乗っていた。住んでいる土地の名前や家の近くにあるもの、そして屋号といったものである。特に武士は自身が領している土地や官職に由来するものが多かった。足利尊氏の「足利」や新田義貞の「新田」もそうした地名を名字にしたものである。官職由来のものとしては、代々左衛門佐で姓が藤原だから佐藤と名乗ったケースといったところだろうか。なお、姓に至っては、源氏や平氏、藤原氏、橘氏といったもので、名字とは別に存在していた。
「あの男の顔、昔に会った久明親王の末によく似ている」
「そうなのですか?」
そう言って、小姓から出されたお茶を左衛門尉は一口飲んだ。
「昔久明親王の胤である僧侶に会ったことがあってな。その僧侶によく似ていたのだ」
「ふむふむ」
「太郎と近しいお前にしかできない頼みがある?」
「頼み、とは?」
左衛門尉は首を傾げる。
長秀は、
「あの男の素性を調べてくれないか?」
と命じた。
(太郎の出自か……)
左衛門尉は太郎と出会った日のことを思い出した。
最初に太郎を見たときは、髪はボーボーで虱だらけ、おまけに顔が塵や垢で汚れた不潔な人という認識であった。が、餅を拾わないことに抗議したときの筋の通った返しや地頭である自分に反論する度胸から、彼がただ者ではないと直感でわかった。そうした太郎の性に興味を持った左衛門尉は、声をかけた。働かずに生きていきたいという考え方も独特で、面白いなと思った。あと、よく顔を覗けば、目鼻立ちの整った雅やかな顔立ちをしている。ただ者ではなさそうな太郎に生きて欲しいと思い、左衛門尉は養うようお触れを出した。
今思い返してみれば、確かに「ものぐさ太郎ひじかす」という名前は、明らかにおかしい。普通道の前に住んでいるなら「辻」みたいな名字を名乗るはずである。
(本当に名字が無いのでは?)
そう考えてみれば、太郎が名字を名乗っていないというのも合点がいく。そして、主君の言う久明親王の末の子息であるという可能性もあり得るような気もする。
(でも、どうして信濃に?)
同時にそんなことも考えた。確かに信濃は、ここ京都からも鎌倉からも離れているうえ、山深い。おまけに広いので、監視の目が届きにくい場所という意味では正解であろう。かつて信濃の諏訪家に匿われ、乱を起こした得宗家北条高時の遺児時行の例もあるからだ。もしかしたらだが、当時の諏訪家当主である頼重のように、何者かが北条家の隠し子や南朝の皇子を隠していたとしても不思議な話ではない。
「承知いたしました」
左衛門尉は礼をした。自分が見つけた太郎という周囲とは違った見方をする青年が、どこで生まれ、育ち、何をし、どのようにして筑摩の郡の街道沿いで物乞いをするようになったか調べるいい機会が来た。
次の更新予定
2024年11月28日 12:00
ものぐさ太郎 佐竹健 @Takeru_As1999
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